10.「……潰すぞ。マキアス家」
メリークリスマス!
「……潰すぞ。マキアス家」
いつにない低い声でギルバートがそう言ったのは、セシリアとアインが最悪な出会い方をしてしまった、三十分後のことだった。
閉めきられた空き教室の隅で、セシリアは手の甲の傷をギルバートに治療して貰いながら苦笑いを浮かべる。
「いや、アインも勘違いしただけだろうし。そこまで怒らなくても……」
「石を投げつけるだけでなく、蹴ってもきたんでしょ? しかも、止めるツヴァイの話も聞かないで……」
「まぁ、そうだけど」
「そうなったらもう、弁解の余地は無いでしょ。というか、向こうだって公爵家の令嬢に手を上げておいてタダで済むなんて思ってないよ」
「そもそも、向こうは公爵家の令嬢だとも思ってないからね!」
無表情のまま、絶対零度の声を出すギルバートに、セシリアはそう慌てたように声を上げた。
彼が怒ってくれるのはありがたいが、アインはただ弟を守ろうとしただけだ。それなのに怒られては、アインが可哀想である。
ギルバートは救急箱の中から、消毒用のアルコールがついた綿を取りだし、セシリアの傷口に当てる。その瞬間、彼女の背筋はピン、と伸びた。
「いたたた! ギル、もうちょっと優しくして!」
「これでも十分優しくしてるよ」
「でも、いたいって! ぃっ!」
傷自体はそんなに痛くないのだが、消毒用のアルコールが身に染みる。セシリアは目尻に涙を溜めた。
その表情に、ギルバートは心配そうな表情になる。
「やっぱりさ。この怪我、モードレッド先生に見て貰った方がいいんじゃない? このくらいの傷なら、すぐ治して貰えるだろうし……」
「私もそれは考えたんだけどね。でも、肩の怪我に気づかれたらやっかいだし……」
蹴られた箇所はちょうど神子候補の印である痣の隣だ。もし手の治療をしているときに、その怪我がバレて『肩を見せてみろ』なんてことになったらやっかいである。モードレッドはまだセシルが女性ということに気がついていないのだ。
「というか、そもそも肩の方は大丈夫なの?」
「あ、うん! 内出血は起こしてるけど、見る限りそれだけっぽいから!」
「腕は上がる?」
「ここまでぐらい、かな?」
そう言って彼女は腕を上げるが、それは通常の半分にも満たない。まっすぐに横にも伸ばせない感じだ。
その様子を見て、ギルバートは厳しい顔つきになる。
「それ以上は痛いの?」
「うん、ちょうど関節のところにあたったみたいで。……あ、でも! 上がらないわけじゃないから大丈夫だよ!」
ギルバートを心配させないようにと、セシリアはわざと元気な声でそう言った。笑顔を浮かべたまま、ガッツポーズもしてみせる。
(本当はこうするのもちょっと痛いけど。たぶん、大丈夫よね)
まだ蹴られたばかりなので内出血にしかなっていないが、これは後々腫れるやつかもしれない。
内心、そう思ったが口には出さなかった。この心配性の義弟に知られたが最後、『もうマキアス家の双子には会うな』ぐらいは言われかねない。それはそれでなかなかに面倒な事態である。
ギルバートはそんな彼女の様子を見た後、一つ息を吐く。
「平気なのはわかったけど。一応、肩の方も見せておいて」
「へ? なんで?」
「骨に異常がないかを確かめときたい。あと、姉さん俺に心配かけたくないからって理由で、普通に過少申告しそうだから」
「あはは……」
バレバレである。
乾いた笑いを浮かべるセシリアにギルバートは詰め寄る。
「ほら、肩出して」
「いや……」
「やっぱり何か隠してるでしょ?」
「や」
長い指先が伸びてきて、胸元のボタンに触れる。なんのためらいもなく外された第一ボタンに、セシリアの身体は硬直した。
「ひっ!」
あっという間に顔も身体も熱くなる。ボタンを外す際に触れてくる彼の指先がなんとなくいたたまれない。
(し、心配してくれてるだけなんだから、振り払うのもおかしいし! いやでも、これは……)
反応に困る。
男の人に服のボタンをはずされるだなんて、もちろん前世通して初めての経験だし、いつの間にか大きくなっていた彼の手や身体に、なんとなくドギマギしてしまう。
(服を脱がされてるって話じゃないんだから、平常心! 平常心!)
そう思うほどに平常心になれないのが人間の心理である。
ギルバートは、ボタンを三つほど外し終わると、なんてことない顔で肩を確認する。そして、呆れたような声を出した。
「やっぱり腫れてる。でも、ま、これぐらいなら大したことないかな。腫れがこれ以上酷くなるようならまた教えてね? ――って、なんで赤くなってるの? 熱?」
「あ、いや、あの……」
「ん?」
「この状況が、恥ずかしくて、ですね……」
目を合わさずにそう言うと、ギルバートは、はた、と何かに気がついたように固まった。そして、自身の指先をたどり「あ」と声を漏らす。
きっと心配が過ぎるあまり、今の今まで自身の状況に頭が回らなかったのだろう。
彼はまるで弾かれるようにセシリアの服から手を離す。
「……ごめん」
「うんん……」
赤くなったギルバートから引き継ぐような形で、セシリアは自身のボタンを閉める。指を動かしながら、彼女は自己嫌悪に苛まれていた。
(なんで赤くなるかなぁ、私!)
相手がなんとも思っていないのに、赤くなるだなんて本当に申し訳ない。ギルバートを無駄に戸惑わせてしまっただろうし、きっと変に思われてしまっただろう。
(私には前世の記憶があるからアレだけど! ギルにとっては私はお姉ちゃんなんだから、こんなところで赤くなってたらおかしいでしょ!)
セシリアは自身の頭を正気に戻すように、両手で頬を思いっきり叩く。パチン、という乾いた音に、少しだけ頭が冷静になった気がした。
「ふぅ……」
少しだけ落ち着いた頭で顔を上げる。すると、正面のギルバートがこちらをじっと見つめていた。その口元は緩やかに弧を描いている。
「……なんか、ギル、嬉しそう?」
「嬉しいよ」
「なんで?」
「姉さんが赤くなってるから?」
「はい?」
ちょっと意味がわからない。もしかしてさっきのは事故ではなく単にからかわれただけだったのだろうか。
セシリアが首をひねっていると、話を元に戻すようにギルバートが口を開く。
「それで、仲良くはなれそうなの?」
「え?」
「あの双子と、仲良くならなくっちゃいけないんでしょ?」
「あ、うん! 実はね、一ついい方法を思いついちゃって!」
彼女はギルバートに詰め寄る。
「協力してくれる?」
「もちろん」
12月28日にコミカライズ二巻が発売です!
早い地域だと今日から置いてるところもあるようです!
どうぞよろしくお願いします(^o^)
面白かったときのみでいいので、評価の方もよろしくお願いします。