17.「セシリア、愛してるよ」
ということで、結婚式――といきたいところだが、
二人には解決していない問題が一つだけあった。
「セシリア、さっきのことを説明してほしい」
「えぇっと……」
その夜、二人に用意された部屋の共用部分。いつも二人がくつろいでいるその部屋で、セシリアは壁際に追い詰められていた。彼女を追い詰めているのは当然オスカーで、彼は出会ったばかりのときのように壁に手をつき、セシリアを自分と壁の間に閉じ込めていた。
「さっきの言葉は、本当か?」
「さ、さっきの?」
「俺のことを好きだと言っただろう?」
「いや、あの、その……」
セシリアは視線をそらす。数時間前にアミリア姫に放った言葉は、考えて出したものではなかったけれど、それでもちゃんと全部セシリアの本心で、すべて一言一句残さず覚えていた。
「やはり、聞き間違いか? それともあれか? また恋人じゃない方の好きとかなのか?」
それでもその質問に答えられないのは、やっぱり恥ずかしいからだった。そもそもあんなところで気持ちを言うつもりはなかったのだ。本当ならもうちょっと場所も言葉も雰囲気も心も準備してから、彼に好きだと、待たせてしまってごめんなさいと、告げるつもりだったのだ。
(ど、どうしよう。なんて言えば……)
セシリアは間近にあるオスカーから顔をそらしながら頭を悩ませる。
そもそも、『好き』なんて、今更言っても良いのだろうか。もしかすると、オスカーはもうすでにセシリアの事なんか愛想を尽かしているかもしれない。
(それでも、私の気持ちは変わらないわけだから、言った方がいいわよね)
それが待たせてしまった彼への責任の取り方だと思うからだ。
(でも――)
セシリアがそう悶々と頭を悩ましていると、ふっと正面から迫っていたオスカーが離れる気配がした。そのことに気がついて顔を上げると、片手で顔を隠している彼が目に入る。手のせいで表情はよくわからないが、彼がついた溜息はとても重たいような気がした。
「悪かった」
「え?」
「まったく、俺も懲りないな。都合の良い言葉ばかり拾って聞くんだからな。さっきのことは忘れて――」
「ま、待って!」
セシリアはとっさに離れようと踵を返したオスカーの袖を握った。
鼓動が煩わしいほどに響いている。身体を突き破って出てきそうな心臓に、息が詰まった。でも、目の前のどこか寂しそうな彼をそのままになんてできなくて、セシリアは震える唇を無理矢理動かす。
「あの! ちゃ、ちゃんと言うから! ちょっと待って!」
「セシリア?」
「あ、あの、け……」
「け?」
「け、けけけ――――結婚してください!!」
「はぁ!?」
予想外の言葉だったのだろう。オスカーの頬が赤らむと同時に引きつった。
そんな彼の様子に構うことなく、セシリアは続ける。
「オスカーのこと、幸せにもするし、大切にもするので! もし、オスカーが私に愛想を尽かしてなかったら、私と結婚してください!」
「……おまえ」
呆れたようなオスカーの声がつむじに落ちてきて、そこでセシリアは改めて彼の方を向く。そして、動揺した。彼の表情がなぜか少し怒っているように見えたからだ。セシリア的には怒らせるようなことは言ってないつもりなのに、頬を赤らめた彼の眉間には深い溝が刻まれている。
「オ、オスカー?」
「結婚よりもまず、言うことがあるだろうが……」
「言うこと?」
「俺への気持ちとか。その、告白の答えとか。なんでいきなり『結婚』になるんだ!」
「え? それは、さっきの言葉聞いてたら、私の気持ちなんてわかってるかなって……」
そこでオスカーは再びセシリアに向き直った。そうして、セシリアの緊張で冷えた指先を温めるように、彼はぎゅっと両手で彼女の手を握った。
「あれは姫に向かって言ったものだろう? 俺はお前の口から、俺に向けた言葉が聞きたいんだ」
「え? あの……」
セシリアは俯いた。熱かった頬がさらに熱くなるのを感じる。
まるで喉の奥に蓋があるかのような錯覚を起こすほど、その言葉は出てこなかったが、先ほど『結婚』を口にしたおかげか、それでもなんとか絞り出すことが出来た。
「私は、オスカーが好きです」
「……うん」
「その、ちゃんと恋愛としての好き、だからね」
「わかっている」
繋がっていた手を引かれる。
その手に促されるようにオスカーに一歩近づけば、彼はそっとセシリアの背中に手を回してきた。そのまま優しく抱きとめられたかと思うと、彼の頭が肩口に落ちてくる。
「よく出来た夢、じゃないな」
「……じゃないよ? ほっぺた抓ろうか?」
「いや、遠慮しておく。……たとえ夢でも覚めてほしくないからな」
そこまで言って、オスカーはセシリアの肩口から顔を上げる。先ほどまで抱きしめあっていたからか、その距離は近く、額と額がわずかにふれあっていた。
「というか、本当にいいのか? 婚約破棄だが、今回を逃すともうチャンスはなくなるぞ? 前にも言ったように、俺と結婚すると色々背負わせてしまうだろうし――」
「でも、多分楽しいよ」
「ん?」
「オスカーと一緒なら、きっと楽しいと思う。大変なこともきっといっぱいあるだろうけどさ、二人で乗り越えたら、最後にはきっと笑い話になるんじゃないかな。そう考えたら、大変なことも楽しみだよね!」
セシリアの言葉にオスカーは驚いたように目を見開いた。そして、ゆっくりと目を細め、まるで眩しい物を見るような表情になる。
「……そういうやつだよな、お前は」
「それにさ、オスカーは私が私らしくいられなくなるって気にしていたけど、私、多分オスカーの隣が一番私らしくいられるような気がするよ。……だから、大丈夫」
「そうか」
「うん」
そうして二人はどちらからともなく抱きしめあった。背中に回っていた腕に力がこもる。
「と言うか、なんでお前は俺が言いたかった台詞を全部取るんだ」
「なんのこと?」
「結婚の事だ。本当なら、俺が言いたかった」
「でもオスカー、婚約破棄しようとしていたよね?」
「これは、そういう話じゃない」
「じゃぁ、どういう話なの?」
「俺は、格好がつかないって話をだな……」
「オスカーはいつも格好いいよ?」
セシリアの言葉に、オスカーは息を呑みつつ頬を染めた。自分がどういう表情をしているか自覚しているのだろう、彼はセシリアから目を背けながら「いや、だから、かっこ悪いだろ、これは……」と唸るような声を出す。
オスカーはセシリアをしばらく見つめたあと、彼女の顔にかかっていた髪をゆっくりと避けた。そうしてそのまま顔の輪郭に手を這わせる。
「なあ。かっこ悪いついでに、一つ、願い事を聞いてくれないか?」
「なぁに?」
「キスがしたい」
「え?」
直後、セシリアの唇にオスカーのそれが落ちてくる。想像した数十倍柔らかい唇が、思った以上にしっかりと合わさって、その後リップ音だけ残して離れていく。
「お、オスカー?」
「セシリア、愛してるよ」
どうにかこうにかその言葉だけ聞き取って、セシリアはそのまま目を回してしまった。