15.扉の中から姫の叫び声が聞こえた。
姫から聞くに、誰かから見られているような感じが始まったのは、セシリアと出会い部屋から出るようになってかららしい。
最初のうちは気のせいだと思っていたらしいのだが、日に日に感じる視線は強まり、昨日はとうとうこちらを見つめる人影に気がついてしまったらしいのだ。目深にフードをかぶっていたその人影は姫になにをするでもなく、じっと彼女を見つめた後、立ち去ってしまったという。
「……それは聞き捨てならないな」
その夜、セシリアから相談を受けたオスカーはそういって顎を撫でた。
場所はセシリアの部屋とオスカーの部屋の間にある共用部の部屋。二人はソファに隣り合わせに座りながら、話をしていた。
「それで、陛下には言ったのか?」
「言ってない。姫様が、気のせいかもしれないから言わないでって」
「気のせい……か」
「人影も、本当はこっちを見ていたわけじゃないかもしれないし、日々感じていた視線も自分が過剰に反応していただけかもしれないから、って。それでも、なにかあってからじゃ遅いと思って、何度か言うように言ってみたんだけど……」
それでも姫は首を縦に振らなかった。『ただでさえ結婚のことで迷惑をかけているのに、これ以上お父様とお母様に心配をかけるわけにはいきません』と譲ってくれなかった。
オスカーは神妙な表情で顎を撫でる。
「確かに、王宮に人が易々と忍び込めるとも思えないからな。ただ、今は結婚式の準備で普段よりも人の出入りがある。なにかの業者のものに紛れ込んで……という可能性はあるかもしれないな」
「そう、だよね。やっぱり国王様に言った方がよかったかな?」
「姫に言うなと言われているし、難しいところではあるな。でもまぁ、結婚のこととは違って、こっちは危険がある話だ。このままってわけにもいかないだろう」
「そう、だよね」
「とりあえず、明日セシリアがもう一度姫を説得してみて、それでもダメなら俺がそばにつこう」
「え!?」
「幸いなことに、姫はセシリアと会うとき以外は部屋から出ないらしいからな。四六時中は無理でも、それぐらいの時間ならば一緒に行動することも出来るだろう。それに、俺が近くにいれば俺の護衛が姫も守れるからな」
「そう、だね」
確かにそれならば合理的だ。そもそもオスカー自身が剣の腕が立つし、彼が近くにいれば姫も安心することができるだろう。オスカーの言っていたとおり、二人が一緒にいればオスカーの護衛が姫も一緒に守ってくれることにもなる。
それでも手放しでそれを応援できないのは、胸に蟠るモヤモヤ――嫉妬のせいだ。
「それに、ちょうど良い機会だしな」
「なにが?」
「姫が本当に俺のことが好きなら、そのことは一度話し合っておくべきだろう? 今後のこともあるしな」
「今後……」
それはつまり、セシリアと婚約破棄した後のことを言っているのだろうか。
オスカーはセシリアと離れた後のことに、もう目が向いているのだろうか。
だとしたら、かなり――
(さみしい……な)
頭の中に浮かんだその言葉を振り切るようにセシリアはかぶりを振る。
そうして、できるだけ明るい声を出した。
「とりあえず、明日姫を説得してみるね!」
そうして翌日、セシリアは王宮の廊下を歩いていた。目指す場所は姫の部屋である。ここ最近は部屋の外で会うこともあった二人だが、昨日のこともあるからと今日はセシリアが部屋まで行くことになったのだ。
セシリアは廊下を歩きながら、昨晩のことを考える。
『姫が本当に俺のことが好きなら、そのことは一度話し合っておくべきだろう? 今後のこともあるしな』
(今後って、やっぱり、そういうことだよね)
オスカーの切り替えの速さにショックを受けつつも、二人はもしかしたら良い夫婦になるかもしれない……ともセシリアは思っていた。姫は言わずもがなオスカーのことが好きだし、快活な姫の性格はわかりやすさを好むオスカーの好みでもあるだろう。姫という立場から妃教育にだってさほどの時間はかからないだろうし、あんなにかわいらしい姫ならば、オスカーの隣に立っても見劣りしない――どころか、とても絵になると思う。貿易や軍備においても有益だし、カドリ公爵の件やら、考えなくてはいけないことはいろいろあるが、それを差し引いても案外姫と一緒になるほうがオスカーは幸せになるかもしれない。こうやってなにもかもを後回しにしているセシリアよりは、よほど――
そこまで考えたとき、脳内に姫の言葉が蘇った。
『その人に幸せになってもらいですか? それとも、その人と幸せになりたいですか?』
(私は――)
正直な話、ここに来るまでセシリアはオスカーとこれからずっと一緒だと思っていた。
二人は婚約していて、以前とは違いセシリアも彼との結婚を受け入れていたし、隣にいるのが自然すぎて、あまり離れることを考えられていなかった。もちろんそんなぬるま湯に浸っていたせいでこんなことになっているとは思うのだが、それはそれとして、ここ最近のセシリアの未来予想図には、隣にずっとオスカーがいた。
(その人と幸せになりたいか……か)
それをいうなら、セシリアはずっとオスカーと幸せになるものだと思っていた。居心地のいい彼の隣で、ずっと笑っているのだとばかり思っていた。
どれだけ年齢を重ねても、子どもが生まれても、困難なことにぶち当たっても。
ずっとそばに――
だけど今は、そんな未来予想図がぶれていた。
頭の中で思い描いていた将来の絵が、瞬き一つで塗り変わる。
セシリアの隣には、オスカーの代わりにどこの者ともしれない男の人がいて、その男の人は優しいし、夫婦生活も上手くはいっているのだけれど、どこか互いに距離があって……。対照的にオスカーの隣にはアミリア姫がいて、二人はとても幸せそうに、仲睦まじそうに笑っている。
そんな絵を想像してしまったら、もうたまらなかった。
浅くなった呼吸に、自然と噛んでしまう唇。手のひらには爪が食い込んで、胸がこれまでに感じたことがないほどに苦しくなった。吐き出した息が冷たいような気がして、だけど顔は泣き出す寸前のように火照っていた。
「いや、だな」
嫌だった。やっぱり嫌だった。
昨晩から何度も同じようなことを考えているけれど、やっぱりどうやっても行き着く感情はそこだった。
セシリアは嫌なのだ。オスカーの隣に姫が立っていることが。いや、アミリア姫だけでなく、誰であったとしても、自分以外の人間がそこに立つのが耐えられなかった。
「そっか……」
納得と共に胸を満たすのは、温かい感情。それと、これ以上ないほどの羞恥心だった。
「私、オスカーのこと、好きなんだな」
そう言葉にして初めて、『好き』という言葉に重さがついたような気がした。それは、これまで幾度となく発してきた『好き』とはそれはまったく違うもので、セシリアは今すぐ叫び出したいような衝動に駆られてしまう。
それをなんとか堪えて、セシリアは壁際に寄り、身体を預けた。肩と額に感じる壁の冷たさに、自分の身体が熱かったことを知る。
「どうしよ……」
本当はすぐにでもオスカーに言うべきなのだろうということはわかっていた。好きでした、と。ちゃんと恋愛の方の好きです、と。伝えるべきなのだろう。きっとオスカーも喜んでくれるはずだ。もしかしたらセシリアにもう飽き飽きしているのかもしれないけれど、そうだとしても、ここまで待たせてしまった責任はきちんと負うべきである。
(だけど――)
今はそれがどうしようもなく恥ずかしかった。想像でも言える気がしない。言ったら最後、なにもかもが取り返しのつかないところまでいってしまうような気がして、口が開かない。
セシリアは壁から身体を離して、再び歩き出す。
「こんなんじゃ、ダメだよね。オスカーはちゃんと何度も伝えてくれていたんだし……」
改めて考えて彼はすごいと思う。幾度となく告げられた好意にセシリアはずっと翻弄されてきたけれど、想いを告げるという行為がこんなに難しいことなら、もしかして翻弄していたのはセシリアの方だったのかもしれない。
そこまで考えたところで、ようやく姫の部屋の前についた。
(とにかく、姫にはちゃんと伝えないといけないわよね……)
セシリアはオスカーの婚約者なのだと。その上でセシリアはオスカーのことが好きなのだと。
突然の告白に姫はきっと驚くだろう。もしかすると、そのせいで姫から嫌われてしまうかもしれない。だけど、それも覚悟の上だった。だって、今のセシリアは姫に嫌われることも恐ろしいが、オスカーと離れる方がもっと恐ろしい。
(ちゃんと謝らないとね)
そう考えつつ、扉をノックしようとしたときだった。
『きゃぁぁあぁ!』
扉の中から、姫の叫び声が聞こえた。
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