14.「実は最近、誰かに見られているような気がするんです」
翌日――
セシリアは、先日宴をした中庭にあるベンチに、ぼーっと腰掛けていた。
高い空には鳥が飛んでおり、セシリアの心象とは真逆のあまりにも穏やかな時間が流れている。
『このままお前と一緒になりたいに決まってる。一体何年待ったと思ってるんだ』
『この気持ちには蓋をしようと思っていたのに、お前がやきもちを妬いたなんて言うから……。なんだか自分のこの見勝手な想いも、願いも、全部、許されるような気がしてしまったんだ』
オスカーにあんなことを言わせるつもりはなかった。
セシリアはオスカーを傷つけたくない。だけどここで、セシリアが嘘をついて『オスカーのこと、好きだよ』なんて言った日には、もっと彼は傷ついてしまうに違いない。
「どう、したら、いいのかなぁ」
そうのんきな空に吐くけれど、そんなもの最初から答えは決まっている。セシリアがきちんと自分の気持ちに向き合えば良いのだ。向き合って、見つめて、眺めて、分解して。その気持ちに名前をつけるしかない。名前をつけたら、それがきっとどういう形であれ、この宙ぶらりんな状態からは脱することが出来るはずである。
「気持ちが目に見えたら良いのに」
こういう形が恋愛の好きで、こういう色が友達の好き。
そう決まっていたら、どんなに楽だっただろう。
そもそも気持ちってそんなにパキッと境界線があるように、別れているのだろうか。本当はもっとグラデーションで、色んな曖昧な気持ちが混ざり合って、存在しているんじゃないだろうか。
(でもきっと、そういうところに逃げているから、私はなにも答えが出せないんだろうな)
世の中の多くの人間が出来ていることを、自分は出来ない。
恋愛偏差値が低すぎる以前に、誰かと特別に決められた関係になるのが、セシリアはまだ怖いのかもしれなかった。
「セシリア様!」
落ち込んだ気分を切り裂くように、その声はセシリアの耳に届いた。
声のした方を向くと、そこにはアミリア姫がいる。彼女は、まだ幼さの残る頬を染めながらこちらに走ってきていた。
(可愛いなぁ)
出会ったときから思っていたが、姫は可愛い。走る度に跳ねるうねりのある黒髪も、幼さの残る顔立ちも、大きな瞳も、低い身長も、なんだか全部人形のようにかわいらしい。王妃は綺麗な印象があったが、娘である姫は、見た目こそそっくりなのに、なぜか可愛いのである。きっともっと年齢を重ねたら、彼女は綺麗も手にするのかもしれない。
姫はセシリアの前につくと膝に手を置き、息を整えた。その姿でさえもやっぱり可愛くて、なんだかすごく庇護欲がそそられる。
「こんなところにおられたんですね。お待ちしておりましたのに」
「お待ち……って、すみません。もうそんな時間でしたか!?」
セシリアは慌ててベンチから立ち上がる。今日は姫と約束をしていたのだ。そう、セシリアの頭を悩ませている『プロスペレ王国の王子様のお話をする時間』である。
約束の時間までもうちょっと時間があるからとベンチで休んでいたのだが、考えを巡らせているうちに思った以上に時間が経ってしまっていたようだ。
姫は息を整え終わると、セシリアが先ほど座っていたベンチに腰掛けた。そうしてこちらを見上げながら、笑みを作った。
「今日は天気も良いですし、ここでお話ししましょう」
「いいんですか?」
「えぇ。たまには外の空気も吸わないといけませんからね!」
セシリアに『禁断の恋』を打ち明けた一件以来、姫は時々部屋から出るようになっていた。といっても『禁断の恋』のことを言いたくないのか、両親にはどうしても会おうとはしないのだが、それでもセシリアに会うために彼女が部屋からでるようになったのは、大きな進歩ではあったし、国王夫妻もとても喜んでくれた。
(ここから、どうするか、だよね)
全てを丸く収めようとするならば、姫にオスカーのことを諦めてもらうのが一番だ。そうして、最初の予定どおりカドリ公爵と結婚してもらう。けれど、そのためにはまず姫を説得しなくてはいけないし、そもそも姫は説得されるのが嫌で両親との面会を拒んでいるのだろうから、上手くいく見込は薄いのではないだろうか。
(案外、姫とオスカーの婚約がまとまっちゃったりするのかな……)
こんな結婚式間近な状態で、姫が嫌がるようなら結婚を白紙に戻すなんて言ってのける国王だ。姫が望めば、そういうこともあるのかもしれない。
セシリアとオスカーの婚約がなかったことになれば、尚更だ。
元々マリステラ王国は同盟国だが、二人が結婚すればその絆がさらに強まるだろうし、軍事的にも南の海を庭のように船で駆け巡る彼らが絶対の味方についてくれるのは大変ありがたい。マリステラが産出する真珠や珊瑚などといった装飾品はプロスペレ王国にとってはとても貴重だし、そういった取引が多くなればプロスペレ王国からの観光客も増えて、マリステラ的にもありがたいだろう。
なんなら、内政を固める意味合いの強い、セシリアとの結婚よりも、アミリア姫との結婚の方が国からしたら得るものは大きいかもしれない。
そう考えた瞬間、いつぞやと同じように胸が詰まって呼吸がしにくくなる。
(婚約破棄、か……)
「セシリア様?」
「あぁ、すみません! ちょっとぼーっとしちゃって!」
セシリアはかぶりを振って余計な気持ちを振り払う。
とにかく今は、そんなもしもを考えている場合ではない。二人がどうこうなるとして、それはセシリアとオスカーの婚約が破棄になってからだろうし、その前に姫のことを国王に伝えるか、それとも説得するかは考えなくてはならない。
そこまで考えたところで、セシリアの頭にはたと疑問が浮かんだ。
「そういえば姫は、オス……殿下のどこを好いておられるんですか?」
今までは質問されてばかりだったので、そんなこと話題にも上がらなかったのだ。
(オスカーの話だと、二人が最後に会ったのは数年前のはず……)
しかし、姫が結婚を嫌がるようになったのは、わずか三ヶ月前の話である。どうして急にオスカーのことを好きだと言いだし始めたのだろうか。
セシリアの質問はそんなところからくるものだった。
アミリア姫は少し迷うように視線を彷徨わせる。そうして唇を開いた。
「そう、ですね。勇敢なところとか、自分の身を省みずに他者を助けようとするところとか、誰にでも優しく接するところとか……」
「なる、ほど」
「でも一番は、やっぱり彼の見た目でしょうか!」
「え!?」
「あの王子様然とした美しさに、色香に、私の心は奪われてしまったのです!」
姫は自身を抱きしめながら、そう身悶えた。
そんな彼女の様子に、セシリアは「美しい?」と首をかしげる
セシリアから見て、オスカーはどちらかといえば『かっこいい』だ。整っていて綺麗な顔だとは思っているが、『綺麗』と『美しい』は似ているようでまったく違うものだろう。
(でも、案外そうなのかもしれないな……)
人を好きになるということは、そういうことなのかもしれない。
恋をする前よりも恋した後の方が、相手がとても素敵に見えたり、自分の理想形に見えたりするのだろう。
オスカーだってきっとそうだ。
彼の語るセシリア像は、なんだかいつもちょっと綺麗すぎる。見た目がというより、心が純真無垢なのだ。確かにセシリアは人より精神的に幼いところもあるかもしれないが、でも、それだけだ。セシリアが自覚しているセシリアは、別に聖人君主でもなければ、博愛主義者でもない。ただの普通の女の子だ。
「姫は王子に恋をしているんですね」
「はい。もちろん! 恋しています。初恋なんです!」
(じゃぁ、私は……? 私はオスカーに対して――)
「どうして、その気持ちが、恋だってわかったんですか?」
口をついて出た質問に、姫は固まった。まさかそんなことを聞かれるとは思わなかったのだろう。突然落ちた沈黙に、セシリアは一拍遅れて気がつき、はっと顔を跳ね上げる。
「あ、いや、その! すみません!」
「セシリアさんも、もしかして恋をしておられるのですか!?」
「え?」
ずいっと距離を詰められて、セシリアは目を瞬かせる。間近に迫る姫の顔は笑みをたたえており、瞳の奥にはキラキラとした期待の輝きが見て取れた。
セシリアはそんな彼女から視線をそらしつつ、唇から蚊の泣くような声を出した。
「いや、その、どちらかと言えば、恋かわからなくて困っているというか」
「恋がわからない?」
「お恥ずかしながら、生まれてこの方そういうことを意識したことがなくて。でも、私のことを好きだって言ってくれる人がいて、その人の気持ちにはちゃんと応えたいなって」
「セシリアさんはその方のことは好きなんですわよね?」
「好き、ですけど。好きにも色々種類があるじゃないですか。友達でいたい好きと、恋人になりたい好き、とか。でも、その違いがずっとわからなくて――」
「セシリアさんは真面目なんですね」
「真面目?」
思わぬ評価にセシリアは困惑を浮かべる。
「ふつうはそういうの、なぁなぁで済ますものではないですか?」
「そ、そうなんですか!?」
「だって、そういうのいちいち考えるのが面倒ですし。好きは好きじゃないですか」
「それは、そう、ですが……」
「でも確かに、何か基準がほしいと言われたら、そうですわよね」
姫は空を見上げながらしばらく逡巡したあと、うん、と一つ頷く。
「セシリアさんはその方のことが好きなんですよね? じゃぁ、その方の幸せは望んでいますよね?」
「もちろん」
「じゃぁ、その人に幸せになってもらいですか? それとも、その人と幸せになりたいですか?」
「え?」
同じ意味では――と思った瞬間、数ヶ月前に聞いた言葉が突如として頭の中に蘇ってくる。
『「その人の幸せを願うこと」と「その人と幸せになろうとすること」は似ているようで全く違った感情ですよ?』
あれはグレースの言葉だった。今と同じように悩んでいるときにそうアドバイスをしてくれたのだ。そうしてその後、ギルバートに告白されて――セシリアは一つの答えを出した。
(そっか……)
どうして忘れていたのだろうか。一度、セシリアは答えを出していたのに。その後の騒がしい日々に押し流されるようにして忘れていただなんて理由にもならない。
(私はオスカーに――)
そう考えたときだった。がさっ、近くの植え込みが揺らいだ。すぐさま視線を向けると、野鳥が飛び立っていくのが見える。
「なんだ」
そういって視線を戻したときだった、少し青い顔のアミリア姫が目に入り、セシリアはぎょっと目をむいた。
「どうしたんですか?」
「いえ、なんでもありません!」
「なんでもないってことは――」
「それよりも、やっぱりお部屋に戻りませんか?」
そういってアミリア姫が立ち上がると同時に、時を告げる鐘の音が中庭に鳴り響いた。
瞬間――
「きゃぁ!」
小さな叫び声を上げて、姫がその場にしゃがみ込んだ。
セシリアが慌てて彼女を支えると、その身体がわずかに震えているのがわかる。
「どうかしたんですか!?」
「だ、だ、だ、だ、大丈夫です! 本当に大丈夫なんです」
セシリアに支えられるまま姫は立ち上がり、先ほどと同じようにベンチに腰掛けた。すると、どこか観念したかのように彼女は話し出した。
「実は最近、誰かに見られているような気がするんです」
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