13.「セシリア。俺の好きはそういう好きだよ」
『もしよかったら私に王子様のお話を聞かせていただけませんか?』
その言葉からはじまったのは、姫による怒濤の質問責めだった。
『王子様は、どのような方が好みなのですか?』
『王子様のお気に入りの場所は?』
『香りは? どんなコロンをおつかいになって?』
どうやら姫はセシリアのことをプロスペレ王国から来た商人の娘ぐらいに思っているらしく、王子様についての質問にも容赦がなかった。他にも人柄や性格、好きな食べ物や嫌いな食べ物。話すときの癖や仕草、などなど、などなど……。早々に学友ということはバレてしまったので、学院ではどのような様子なのかなども事細かく聞かれた。
最初の日こそ遠慮していたのか質問は二、三個だったのだが、日をまたぐことに彼女の勢いは増していき、昨日などは何時間にもわたって質問を受けた。
セシリアも、最初は軽い気持ちで質問に答えていた。恥じらいながら頬を染める姫は可愛かったし、単純に断る理由がなかったからだ。けれど質問を重ねるたびに、姫がこちらに向ける笑顔が増していくたびに、セシリアの口はなぜだか重たくなっていった。理由のわからない不安と、原因不明の焦りが胸を占拠して、どうしようもなくなる。そして、そんなどこか落ち込んだような自分を目の当たりにして、セシリアはさらに狼狽えた。
だから、なのかもしれない。
「オスカーのことが好きなんだって」
その言葉を告げるのが、ずいぶんと遅くなってしまった。
本当はもっと早く言わなければいけないということはわかっていた。彼に相談すれば、きっとなにか良い案が出ただろう。少なくとも一人で考えているよりは絶対にマシだった。
だけど、それがわかっていても言いあぐねてしまった。
(だって――)
言ったら、オスカーに姫の気持ちが伝わってしまうのだ。
どうしてオスカーに姫の気持ちを言いたくなかったのかはわからない。わからないが、言いたくなかったものは言いたくなかったのだがら仕方がないだろう。
オスカーは、そんなセシリアが伝えたくなかった姫の気持ちを聞いて、これ以上ないほどに驚いていた。
「俺のことが? それは間違いないのか?」
「うん。間違いないと思う」
そう頷くと同時に、セシリアは頬を染める姫のことを思い出す。
瞬間、呼吸が浅くなって胸の奥がずんと重くなる。今すぐにでも走り出したいような焦燥が身体中を駆け巡り、それから目をそらすようにセシリアは少しだけ早口になった。
「というか、オスカーって姫との接点あったんだね。全く話を聞かないし、こんな遠くの国の姫だから初対面だと思っていた」
「まぁ、接点と言われれば確かにあるはあるが、数年前だぞ? しかも、個人的に会ったのではなくて、うちの国の夜会で会っただけだ。それも、一緒に来ていたマリステラ国王と話すときに少しだけ言葉を交わした程度で、何を話したのかも全く覚えてない。それで惚れたと言われてもな……」
「オスカーって誰にでも優しいから、何か気を持たせるようなことをしたとかじゃない?」
「気を持たせるようなこと、か」
「例えば、困っていた姫に優しい言葉をかけてあげたり、身を挺して守ってあげたり……」
「本当に一切覚えてないんだが」
「覚えてないぐらい自然にやってたんじゃないの?」
そこでオスカーは何かに気がついたように顔を上げる。彼はセシリアの方をまじまじと見て首をひねった。
「なんか、機嫌悪いか?」
そう聞かれてはじめて、セシリアは自分が唇を尖らせていたことに気がついた。
そうして先ほどまでの拗ねたような自分の態度を思い出し、大きくかぶりを振る。
「え!? そ、そんなことないよ。気のせいでしょ!」
「そうか?」
「そう! もう全然、機嫌いい! すごくいい!」
慌てるセシリアに、オスカーはしばらく首をかしげていたが、考えても仕方がないと思ったのだろう
「まぁ、それならいいいんだが」と話を切り替える。
「だが、そうなってくると話がややこしくなるな。姫はそのことを国王には?」
「まだ言いたくないみたいで、口止めされている」
「そう、か。いっそのこと無視しても良いんだが、それはそれで、後で揉めそうだな。相手が本当に俺なら、なおさら面倒くさいことにもなりかねん」
オスカーが姫を誑かした……なんてことはならないとは思うが、結婚直前のこのタイミングで、姫がどうしても嫌なら結婚を白紙に戻しても構わないと言うような、姫に甘々な国王だ。もしかすると、もしかするかもしれない。それならば無駄な諍いをしないためにも、『姫に他に好きな男性がいる』ということは伝えても、相手がオスカーだということは出来れば黙っておいた方が良いだろう。
「もうそれなら、いっそ俺が姫と直接話をして――」
「だ、だめ!」
そう言ってしまったのは、無意識だった。
セシリアは一拍遅れて自分の発言に気がつき、慌てて口を閉じる。
オスカーはそんなセシリアのことを再びまじまじと見つめた。
「セシリア」
「な、なに?」
「やっぱり様子がおかしいぞ?」
「そ、そんなことない」
「もしかして、やきもちか?」
きっとその言葉は、オスカーにとって冗談に近いものだったのだろう。
けれど、セシリアにとっては思った以上にダイレクトアタックで――
「へ?」
「は?」
セシリアが顔を上げた瞬間、オスカーが大きく目を見開らいた。彼の大きくて綺麗な瞳には情けない顔のセシリアが映っている。こちらをじっと見つめる自分の頬が赤いように見えるのは、きっと彼の瞳が赤いからだろう。……きっと、そうにちがいない。
「セシリア?」
「わ、わかんない」
「わかんないってなんなんだ?」
「わ、わかんないっていうのは、わかんないってことで……」
だって、わからないのだ。本当になにもわからない。
ただ、彼が『やきもち』と口にした瞬間、確かにしっくりはきたのだ。
今まで自分が持て余していた感情に名前がついた。感覚で言えばそんな感じだった。
(だ、だけど――)
「や、ヤキモチって、友人同士でも湧くし……」
「じゃぁ、やっぱり俺はお前の友人なのか?」
「友人……」
「恋愛相手としては見られないのか?」
一足飛びでそう詰められて、なんだか泣きそうになってしまう。
先日は『婚約破棄』で、今日は『恋愛相手』だ。恋愛初心者のセシリアがそんな急展開に頭がついてくるはずがない。
射貫いてくるようなオスカーの視線に、セシリアは俯いた。
(わ、私は――)
姫とオスカーの話をするときに口が重たくなってしまうのも、オスカーが姫に会いに行くと言ったのを止めてしまったのも、全部『やきもち』だと思えば、それで説明がつく。
だからといって、オスカーが恋愛相手なのかと聞かれたら――
「悪い」
セシリアの思考を遮ったのは、オスカーのそんな言葉だった。
気がつけば彼は項垂れるようにソファの背もたれのてっぺんに額をつけている。
隠れているのでソファに座るセシリアには彼の表情は見えないが、声からあまりにこやかな表情をしていないだろうと言うことだけ感じ取った。
「変なことを聞いたな。忘れてくれ」
「オスカー?」
セシリアが呼びかけてもオスカーは答えない。
セシリアはソファの座面に膝をつくようにして、黙ったままのオスカーに向き合った。
「あのさ、オスカーは本当はどうしたいの? その、私に色々背負わせるとか、そういうのを抜きにして、オスカーの本当の気持ちって……」
「そんなの、決まってるだろ」
オスカーは顔を上げる。
「このままお前と一緒になりたいに決まってる。一体、何年待ったと思ってるんだ」
「なら――」
「だが、嫌なんだ」
はっきりと告げられた言葉に、セシリアは口を噤んだ。
「俺のせいでお前がお前らしく生きられないのは、耐えられない。好きだからこそ、お前にはずっと笑顔でいてもらいたい。だから、この気持ちには蓋をしようと思っていたのに、お前がやきもちを妬いたなんて言うから……。なんだか自分のこの見勝手な想いも、願いも、全部、許されるような気がしてしまったんだ」
「オスカー……」
「……悪いな、こんな諦めの悪い男で」
そう言ってオスカーは困った表情のまま、息をついた。そうして、その場を離れようとする。そんなオスカーの腕を引いて止めたのは、セシリアだった。
「あ、あのさ。オスカーの好きってさ、どういう好きなの?」
「ん?」
「どうなったら、その、そういう恋愛的な好きだなぁって感じるの?」
恥ずかしくて顔は見られなかった。目の前の彼がわずかに息を呑むのがわかる。
「私さ、オスカーの言うように、姫にやきもち妬いちゃったんだと思う。だけどさ、やっぱり恋人になりたい好きとかよくわかんなくて……」
「それを俺に聞くのか? しかも、お前が?」
「だって――」
責められたと思い顔を上げれば、苦笑いを浮かべるオスカーと視線が絡む、いつの間にか床に膝をついていた彼の顔は、思ったよりも近い。
「他の男と話してほしくない」
「へ?」
「ずっとそばにいてほしいし、いつもお前らしく笑っていてほしい。困ったときは頼ってほしいし、辛いときは一番に駆けつけられる距離にいたい。隠し事はしないで、なんでも話してほしい。あとは――」
オスカーの手がセシリアの頬に触れる。
自分のものより堅い指先に、なぜかやけどしそうなほどの熱を感じた。
「ここまで近いとキスがしたくなるな」
「……………………え?」
セシリアがその言葉の意味を理解するのには、すごくすごくすごく時間がかかった。
脳内で何度も反芻させて、かみ砕いて、ようやく飲み込んだそれは、思った以上の熱をセシリアに与えた。
頬が今までにないぐらい火照って、血管を通る血がまるで沸騰しているかのように熱く感じられる。羞恥から身体が震え、目が自然と彼の唇に向き、自分の唇にも意識が及ぶ。
そうして数十秒の脳内葛藤の後、出てきたのは、こんな馬鹿げた言葉だった。
「オ、オスカーのえっち!」
「お前が言えと言ったんだろうが」
返す刀でそう言われ、セシリアはまるで酸欠の金魚のようにはくはくと唇を動かした。
言われたセシリアは赤面しているのに、言ったオスカーの方はいたっていつもどおり。
その差になんだかどうしようもないほどの不公平さを感じてしまい、セシリアはちょっとだけ泣きそうになってしまった。
セシリアは俯きつつ、恨めしそうな視線を彼に向けた。
「オスカーは、そういうことがしたいの?」
「好きなら、当たり前だろう」
「好き……」
「なんなら、毎日だってしたいからな」
息を呑むセシリアがおかしかったのだろうか、オスカーはふっと口角を上げた。
「セシリア。俺の好きはそういう好きだよ」
優しく告げられた言葉に、今度はセシリアが顔を隠してしまった。
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