9.「ねぇ、セシリア様って、オスカー殿下のどういうところが好きなの?」
マリステラの祝宴は、豪奢なホールなどではなく、広い中庭で行われた。
空には星が瞬き、満月が顔を覗かせている。灯りはもちろんシャンデリアなどではなく淡い光を放つランタンで。それがいくつも連なって会場を照らしていた。会場を満たす音楽は管弦楽ではなく民族楽器で、中央の広場では手拍子と共に踊っている人たちもいた。
柔らかい芝生の上には布が垂れ下がったようなテントが円状に並び、そこが各来賓の席となっている。
セシリアが現在いるのもテントの中だった。椅子などはなく、布の上に真綿の詰まったふかふかクッションがたくさん置かれ、中央には丸い座卓がある。その上には香ばしく焼いた魚と、奇抜な色をした南国のフルーツがこんもり皿に盛ってあった。
(なんだか、国によって宴って全然違うのね)
厳粛な雰囲気が漂うプロスペレの夜会とは違う。砕けていて、陽気で、和やかだ。
オスカーは先ほど人に呼ばれてしまって、テントの中にはセシリア一人だった。
彼女はテントの中から陽気に踊る人たちを眺める。手に手を取り合って、跳ねるようなダンスをしている彼らはとても楽しそうだ。
そうしていると不意に数時間前のオスカーの台詞が耳朶に蘇ってくる。
『いいか、セシリア。絶対にその格好でこの部屋から出るな』
『その格好のまま出ようとするなら、このまま首筋に噛みつくからな』
セシリアは無意識に首筋を触る。
(なんで首筋を噛むって話になるのかな……)
変な痕がついていたら、部屋から出られないだろうという意味だということはわかるのだが、だとしても方法が方法だ。
結局、ドレスはそのままで、持ってきた衣装の中から適当なショールを選び、それで上半身を隠すことでセシリアは宴会に参加していた。
どうやら明日からもショールを身につけるのは絶対らしく、オスカーは『なんなら俺がもう少し露出の少ないものを選んできてやる』となぜか息巻いていた。
「他の人だって、あんまり変わらない格好なのに……」
セシリアは宴に参加している女性に視線を向ける。
彼女達が着ているドレスはどれもセシリアとあまり変わらないものだ。もちろん色や形は多少違うが基本的にオフショルダーで露出度が高い。ちょうどオスカーと話している女性の二人組も、同じような恰好をしていた。片方なんてお腹まで出ているような、ちょっときわどいドレスである。
どうやら彼女たちは貴族である父親と一緒にこの宴に参加しているらしい。
(なんか、オスカー楽しそうだな……)
「私が同じような格好をしていたら、目を吊り上げて怒るくせに……」
オスカーが楽しそうに話しているのが気に入らないのか。それとも服装を否定されたことが悔しかったのか。どちらかわからないが、セシリアの胸に得体の知れないモヤモヤが広がっていく。
そんな風にじっとオスカーのことを見ていたからだろうか、声をかけられるまで彼女の存在に気がつかなかった。
「ごきげんよう」
そう頭上から声がして、セシリアは視線を上げた。すると、見覚えのある人物がセシリアのテントを覗き込んでいた。
「へ? お、王妃様!?」
そこにいたのは宴の前に挨拶に行った、マリステラ王国の王妃、その人だった。
セシリアはとっさに立ち上がろうとしたのだが、テントが邪魔で立ち上がれない。その上、王妃から「そのままで良いから」と微笑まれてしまい、セシリアはわずかに狼狽えた後、その場にもう一度腰を下ろした。
「良いかしら?」と一言断ってテントに入ってきた王妃は、そのままセシリアの隣に座り艶やかな笑みを見せた。
王妃は美しい女性だった。強いウェーブがかかった黒髪に意志の強そうな瞳、健康的に焼けた小麦色の肌に垣間見える白い歯。
そのどれもに目が引きつけられる。挨拶をかわした時も綺麗な人だと思ったがこうやって間近で見るとさらに魅入ってしまう。
王妃はセシリアのドレス姿を見て、わずかに首を傾けた。
「先ほど挨拶に来てくれた時も思ったのだけれど、もしかして寒かったかしら?」
王妃が言っているのはセシリアの肩に掛かったショールのことだろう。
「そんなことないです。これは……」
どう言おうか迷っていると、王妃の視線がオスカーの方へ向いた。
そして、すべてを理解したとばかりに、こちらに向かって優しく目を細めた。
「オスカー殿下は、嫉妬深いのね」
「そ、そういうわけでは!」
「ごめんなさいね。うちではこれが普通だから」
そう言う王妃の服も、やはりそれなりに露出が高い。先ほど見た女性とはまた違う形だが王妃のドレスもおへその部分が見えている。けれどもそれが全くいやらしく見えないから不思議である。
王妃は手に持った金の杯をこちらに傾けてきた。それが乾杯の合図だと理解し、セシリアも慌てて金の杯を持ち、彼女の方へ傾けた。
二つの杯が軽く合わさって、チン、と小気味のいい音が鳴る。
セシリアは杯に一度口をつけたあと、先ほどから気になっていたことを聞いた。
「えっと、王妃様はどうしてこちらに?」
「ここだけじゃないわ。皆に挨拶をして回っているのよ。特にセシリアさんには娘がお世話になるから」
「あー……」
その瞬間、先ほどまで忘れていた国王の頼みを思い出した。
セシリアはそのまま視線を会場内に滑らせる。
「えっと、この宴にも姫様は?」
「来てないわ。最近は部屋に引きこもってばかりいるの」
「そう、なんですか」
つまり、まずはなんとか部屋に入れてもらうところから始めないといけないということだ。結婚式まであと三週間。本当になんとかなるのだろうか。
セシリアがそんな不安から息をつくと同時に、王妃がするりと近寄ってくる。
「ねぇ、セシリア様って、オスカー殿下のどういうところが好きなの?」
「へ!?」
「すごく仲が良いってお聞きしたから、是非お話を聞きたくて! 私にはアミリア以外にも娘がいるのだけれどね。もうとっくの昔お嫁に行っちゃっているから、なかなか恋の話なんて聞けなくて」
そう言って王妃はきらきらとした瞳をセシリアに向けてきた。
そんな視線を真正面から受け止められずに、セシリアは視線を泳がせる。
「それは……」
改めて、『好きなところ』なんて聞かれても困ってしまう。確かにオスカーのことは好きだが、彼女が求めている好きはそういう好きじゃないだろう。でもだからといって、ここで馬鹿正直に本当のことを告げることなどは出来ない。なんせ二人は『すごく仲が良い』らしいのだ。どうしてそんな風に伝えたのかはわからないが、自国の国王が出してきた話をセシリアが否定するわけにもいかない。
(別に恥ずかしがらなくても良いわよね。好きなのは本当だし……)
セシリアは視線を落としたまま、手慰みに髪の毛をかき上げた。
「そう、ですね。すごくありきたりですけど、優しいところですかね」
一度そう口にすると、あとはすらすらと口から言葉が転がり落ちる。
「あとは、一緒にいてすごく楽しいです。それと、いつも仕事で忙しいのに、そういうのまったくおくびにも出さないところとかとか尊敬しています。笑っている姿を見ると安心しますし、頬を染めている顔とかもなんか可愛いなって思うし、頭を撫でてくれる手も心地よくて……」
言葉を重ねる度に、今までの思い出が一つ一つ蘇ってくるようだった。
初めて出会ったときの驚きと、恐怖。そこから少しずつ距離が縮まり、やがて友情を感じるようになって、ふとした瞬間の近さに胸が高まったり、優しい励ましに救われたり、泣きそうなとき、そっと手を差し伸べてくれたり……
「あとは、その、私のことを守ってくれたときの背中がすごくかっこいいなって……」
「……本当に仲が良いのね」
「そ、そうですかね」
はっと我に返ったセシリアは頬を掻く。
正直、ここまで赤裸々に語るつもりはなかったので、今更ながらに羞恥が募った。
(こんなのオスカーに聞かれたら、恥ずかしくて死んじゃう!)
そう思ったそのとき、まるでタイミングを計ったかのようにその声がかかった。
「セシリア、すまない遅くなった。って、――王妃様!?」
振り返ればオスカーがいた。熱かった頬がさらに熱くなる。
オスカーはセシリアの隣にいる王妃に目を丸くしていた。
「すみません。私が離れたばかりに気を遣っていただいて」
「いいえ。私が話したかったから来たまでよ。娘がお世話になるから挨拶にって、ね」
「そうなんですね」
「それでいま、セシリア様から惚気を聞いていてね」
「のろけ、ですか?」
俯いた視界の端でオスカーがこちらを見たのがわかった。
セシリアはたまらず立ち上がる。
「わ、私! ちょっと、け、化粧直しに!」
そう言って、セシリアは王妃に一礼した後、テントから飛び出した。