3.「……だったらどうしろと言うんだ」
去っていくセシリアの背中を見ながらオスカーは息をついた。
「まったくあいつは……」
大切な外交を、まるで旅行か何かだと思っているところには正直あきれてしまう。けれど、そういう彼女の自由奔放なところも好きなのだから、もうどうしようもない。
『旅行、楽しもうね!』
元気いっぱいにそう言って駆けていった彼女が愛おしい。
このままずっと手放したくないと強く思う。
(けれど、それ以上に――)
「オ・ス・カー」
思考に割って入るようにそう頬をつつかれて、オスカーは思わず飛び退いた。
指が伸びてきた方向を見れば、ニヤニヤと笑う友人が目に入る。
「ダンテ……」
唸るようにそう友人の名を呼べば、彼はいつもどおりの読めない笑顔で「やっほー」とこちらに手を振った。
オスカーは、その天真爛漫さに思わず頭を抱える。
当然のことながら、ダンテのことは呼んではいない。勝手に侵入してきたのだ。
騒ぎになっていないところを見るに、きっと警備についている兵の一人も傷つけてはいないのだろう。その手腕が心底恐ろしい。
「お前のせいで王宮の警備体制を見直す必要が出てきた」
「やだなぁ。こんな警備が厳重なところ、潜入できるの俺ぐらいなもんだって」
「お前が入れるのも問題なんだ」
「やーん、友達なのに」
「友達だというのなら、正面からきちんとした手続き踏んで入ってくれば良いだろうが!」
「それだとほら、時間かかっちゃうし! 面倒くさいじゃん?」
手続きを踏む面倒くささと、王宮に潜入する危険を天秤にかけて後者が勝つのはどうなのだろうか。ダンテだから仕方ないのか。ダンテだから……。
そんな仕方がない彼はオスカーの顔をのぞき込んでくる。
「それにしても、なんだか浮かない顔だね。愛しのセシル――じゃなかった。セシリアちゃんと旅行だってのに」
「お前のせいでこんな表情になっているとは思わないのか?」
「俺が来る前から、オスカーなんか悩んでいそうな顔してたじゃん?」
「いったいどこから見ていたんだ……」
「知りたい?」
「知りたくない」
返す刀でオスカーがそう言うと、ダンテはからからと笑う。
「で、なんで不機嫌なわけ? 国王様がセシリアちゃんの周りを固めはじめているのが気に入らないわけ?」
「まぁ、そうだな」
「わ。まさかの当たり!?」
オスカーはしばらく考えたあとに口を開いた。
「そろそろ潮時だと思っていただけだ」
「ん?」
「セシリアとの婚約関係だ。父が周りを固めはじめたのなら、もう時間がない」
「は? なになに? どういうこと?」
「婚約破棄をしてやるなら今しかないだろうな、とな考えていただけだ」
その言葉はダンテにとっても予想外だったのだろう、少し表情を強ばらせていた。
「どういう心境の変化? とうとう愛想尽かしちゃったとかそういう話じゃないんでしょう? もしかして、セシリアちゃんには王妃は荷が重いとか、そういう話?」
「まぁ、ざっくりといえばそういう話だな」
オスカーが肯定すると、ダンテは目を丸くする。
「そもそもあいつは、俺と婚約破棄をする気満々だったんだ。そんなあいつに、俺の立場は重いだろう? このまま結婚すれば否応なしに色んなものを一緒に背負ってもらわなくてはならなくなる」
「そんなこと言って今更じゃない? オスカーはいつだって王太子殿下だったわけだし」
「そう、だな」
そういって視線を下げれば、まるで心を読んだかのようなダンテの声がする。
「……前よりも大切になっちゃたんだ?」
「俺が十二年間頭で思い描いていた公爵令嬢は、あそこまで笑顔が似合うやつじゃなかったからな。それを俺の都合で奪うのは忍びないだろう?」
嫌がらないのならば、離さないでいようと思ったこともあった。どうしても一緒にいたいと願った日もあった。けれど、セシリアの楽しそうな笑みや学友たちとはしゃぐ姿を見る度に、彼女の居場所は自分のそばではないのかもしれないと思うようになったのだ。
仮にセシリアが王族になれば、あの無邪気さは保てないだろう。腹に一物どころか何物も抱えている老獪たちを相手にさせることもあるかもしれないし、女性特有の見栄の張り合いに参加せざるを得なくもなるだろう。
そんなところに彼女をつれていくのは、オスカーの本意ではない。
「立場がある人間は辛いね」
「好き嫌いで相手を選べればよかったんだがな。まぁ、好き嫌いで相手を選べても選んでもらえるかどうかだが」
「片想いだからね」
「言うな」
オスカーは隣にいるダンテを小突く。
「いまなら、俺の意思で手放してやれる。『深窓の令嬢』だからな。理由もある」
「『王妃の役目に身体がついてこられそうにもないから婚約破棄しました』ってことにするってわけ?」
「父からは何度もそれを理由に婚約を破棄した方が良いんじゃないかと言われてきたからな。他の理由で良いなら、俺が他の女性にうつつを抜かしたとかでもいい。最近、ちょうど良い噂が流れているだろう?」
先日、カツラを取ったセシリアを抱きしめていたのを女子生徒に見られたやつだ。大きく広まってはいないが、密かにじわじわと噂が広まっているのをオスカーも知っていた。
「でもさ、それってオスカーだけが損するやつじゃない? ちょっとかっこつけすぎだと思うけど」
「好きなやつの前だからな。格好ぐらいつけるだろう?」
オスカーの返事が気に入らないのだろう、ダンテは少し不服そうな表情になる。
「まぁ、なんにせよ、この旅行が終わってからだな」
「良い旅行になるといいですね」
ダンテの皮肉交じりの言い方にも反応することなく、オスカーは首肯する。
「そうだな。最後の思い出になるかもしれないからな」
その一言が気に障ったらしい。ダンテは無言でオスカーの足を思いっきり踏みつけた。
足の親指に走った鋭い痛みに、オスカーはその場に膝をつき、悶絶する。
「ダンテ!」
「この、かっこつけ!」
「は?」
「俺、帰るわ!」
唇を尖らせつつ、彼は珍しく本気で不満げな声を上げた。
「ちょっとまて! なにか用事があって来たんじゃないのか?」
「べっつにー! ただ遊びに来ただけ! でも今は、そんな意気地無しとは遊ぶ気なくなったから!」
そう言ってダンテは、瞬きの間にその場からいなくなってしまう。
オスカーは霞のように消え失せた彼に息をついてから立ち上がる。そのまま、わずかに曇り始めた空を見上げた。
ダンテが怒っている理由ぐらいオスカーにだってわかっている。自信なさげなオスカーの言葉が、彼には情けなく映ったのだろう。
「……だったらどうしろと言うんだ」
ぽつりとこぼした一言は、広い空に吸い込まれていった。
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