13.「ギル! あぶない!」
「この女が、部屋の中を覗いていました」
セシリアはその言葉と共に部屋に投げ入れられた。
彼女の手足首は縛られており、口が聞けないようにタオルまで噛まされている。
セシリアを捕まえたのは、先ほど白い仮面の男を部屋に運び込んだ人間の片割れだった。どうやら、物音がして戻ってきてみたらセシリアを発見したらしい。
「お前たちはなにをしていたんだ! なんのための見張りだ!」
「すみません。少し目を離した隙に入り込んだみたいで……」
「まぁいい。捕まえたんだからよしとしよう」
「しかし……」
そんな会話を聞きつつ、セシリアは床に転がったまま見える範囲内で部屋の中を見回した。部屋の中は普通の貴族の屋敷にある客室といった感じだが、部屋の中心には大きな机があり、そこに何やら書類を広げて男たちが集まっていた。
その中にはやはりハリーもいる。
彼は驚愕に目を見開いて、セシリアを見下ろした。
「君は――?」
「この女、どうしますか? このままってわけにはいかないでしょう?」
「とりあえず、取引の邪魔だから隣の部屋にでも入れておけ。あとでどこの娘なのか話を聞く。処遇はそれからだ」
「隣の部屋、ですか?」
「しょうがないだろう。空いている客室は客が来る予定なんだから」
「とにかく、さっさと連れて行け!」
「わかりました」
男はそう頷いてセシリアを持ち上げた。そのまま奥の部屋に向かい、扉を開けてセシリアを転がした。部屋の中はどうやら倉庫として使っているらしく、転がったセシリアの身体はすぐに木の箱にぶつかってしまう。
「大人しくしとけよ」
男はそう忠告したあと、扉を閉めた。暗い部屋の中に錠の落ちる音が広がる。
(どこの人間かわからないんだから、もうちょっと丁寧に扱いなさいよね)
セシリアは心の中でそう毒づきながら、身をよじる。彼女の手足は思った以上に固く結ばれており、ちょっとやそっと身体をねじったくらいでは取れそうにもなかった。
セシリアは仰向けに転がりつつ息をつく。
(というか、思い返してみれば、こんなことばっかりね)
学院に入ってからこっち、こんなことばかりだ。
殴られたり、閉じ込められたり、嫌がらせされたり、火の中に取り残されたり……。
まるで災難にでも取り憑かれているかのように次々と問題が降りかかってくる。
(それもこれも、私のなんにでも首を突っ込もうとする性格が悪いんだってわかっているんだけど……)
それでもセシリアは自分の性格を変えられないのだから、仕方がない。
(でもこれじゃ、ギルに頼ってもらえないのも無理ないわよね)
少しだけ憂鬱な気分になりながらセシリアは勢いを使って身体を起す。
(とにかく抜け出さないと!)
セシリアは辺りを見回す。しかし、部屋の中にはものは多いが、手が届く範囲で役に立ちそうなものは見当たらない。
(ナイフみたいなものでもあれば良いんだけど……)
そのとき積んであった木箱から釘の頭が出ていることに気がついた。セシリアは身体をねじりながらなんとか近くまで行き、くぎの頭に手首を拘束している縄の結び目を押しつけた。
ぐりぐりと押しつけていると縄の間にくぎの頭がめり込んだ。そのまま手首を左右に揺らすようにすると、段々と紐が緩んでいく。そうして、十数分後――
(やった!)
手首の縄が完全に解けた。
セシリアは自由になった両手でまずは猿ぐつわを外し、次に足首の縄に手を掛けた。
そのときだった――
(あれ? 外が、騒がしい?)
先ほどまで静かだった扉の外が妙にバタバタし始めたのだ。
耳を澄ますと『資料を全部燃やせ!』『暖炉に焼べろ!』『客を逃がせ!』などという怒号が聞こえてくる。
セシリアがその声に気を取られていると、急に部屋の扉が開いて、暗い室内に光が差し込んだ。見れば、ナイフを持った男が驚愕に目を見開いている。
「お前――!」
そこにいたのは、先ほどセシリアをこの場所に放った男だった。
彼はほとんど自由になったセシリアを見て、驚きに言葉を失っている。
(まずい――!)
自由になったと言っても、足首は括られたままだ。この状態では逃げることも反撃することも叶わない。しかも相手はなぜか手にナイフを持っているのだ。セシリアがいくら鍛えているとはいえ、この状態では絶対に敵わない。
男もそのことに思い至ったのだろう。驚きに強ばっていた顔を一転させ、途端に余裕のある表情になった。
男はナイフ片手にセシリアに近づいてくる。
「俺もこんなことはしたくねぇんだけどよ。お前のことを悠長に調べている暇はなくなったらしいんだわ」
「……」
「今から口封じされるってのに、叫び声も上げねぇのかよ。かわいらしくない女だな」
男が近づくのに合わせて、セシリアは尻を滑らすように後ずさりした。しかし、すぐに背中は背後の荷物に当たってしまう。
「でも、安心しろ。一思いにやってやるよ。俺も逃げないといけねぇから、そんなに時間掛けられねぇしな」
男はセシリアにゆっくりと近づいてくる。そうして、ナイフを握り直した、そのとき――
「がっ――」
木材のような何かが割れるような音がしたあと、男は前のめりにこちらに倒れ込んできた。
「ひゃっ!」
男の身体はセシリアの隣で軽く跳ねる。白目がこちらに向いて、セシリアは思わず男から距離を取った。それと同時に聞きたくて願ってやまなかった声が耳を撫でる。
「セシリア、大丈夫!?」
「ギ、ギル!?」
男の背後から突如現れたギルバートは、肩で呼吸をしつつ、手に椅子の残骸を持っていた。きっとそれで男の頭を殴ったのだろう。ギルバートはそれを投げ捨ててこちらに駆け寄ってくる。
「だから帰れって言ったのに。大丈夫? 変なことされてない?」
「それは、大丈夫だけど。……どうして、ギルがここに!?」
ギルバートは状況が飲み込めないセシリアの側に膝をつき、身体の無事を確かめたあと、彼女の足首を括っている縄を解き始める。
「さっきの部屋に俺もいたからね。まぁ、セシリアは背中を向けていたから気づかなかったみたいだけど」
「それは――」
「大丈夫だよ。俺はあの取引にかかわっていないから」
「じゃぁ、なんで――」
「これを手に入れたくてさ」
ギルバートはそう言って懐に入っていた一枚の紙をこちらに見せてくる。
「これは?」
「薬の顧客名簿」
「顧客名簿?」
「家を散々探してみても見つからなくて、ここだろうって辺りを付けてたんだよね。だから今日は、あの人に頼んでここを『見学』させてもらってたの。そしたら、セシリアがやってきて……」
はぁ、と息をつくギルバートの額には、よく見れば脂汗が滲んでいる。きっと、捕らわれたセシリアを見た瞬間、彼はこれ以上ないぐらいに焦ったのだろう。
その必死だった痕跡を見て、セシリアは場違いな嬉しさを覚えてしまう。自分のためにこんなにも動揺してくれたのだと思うと、なんだか胸の辺りが浮ついてきてしまうのだ。
(だけど、今はそんなことを考えている場合じゃない)
セシリアは首を振って自分の浮ついた心を吹き飛ばすと、先ほどから疑問に思っていたことを口にした。
「ギルバートは、顧客名簿をどうするつもりなの?」
セシリアの考えていることが正解ならば、ここで行われていたのは、違法な薬の取引で、ギルバートの父親――ハリーはその主犯だ。ギルバートの持っている顧客名簿は、ハリー含め、ここで話していた男たちを捕まえるのに重要な証拠である。
「それは――」
ギルバートがそう口を開いた瞬間、会場の方でわっと声が上がる。
その騒がしさに、セシリアは困惑の表情を浮かべた。
「さっきから、なに?」
「殿下――オスカーだよ」
「オスカー?」
思わぬ人物の名前にセシリアは目を瞬かせる。
「元々この会を不審がっていたのは殿下もだったからね。でも、資料を送ってすぐ、ここまで動いてくれるというのは意外だったけど」
「資料を送って……って。じゃぁ、ギルがしたかった事って――」
セシリアは目を見開いた。
ギルバートはそんな彼女に一つ頷く。
「あの人がこの国では違法とされる薬の密輸と密売に絡んでるだろう事は薄々感づいてはいたからね。今回家に帰るって話になるなら、その辺も綺麗にしておこうって思って」
「綺麗にしておこうって……」
「だってこんな家族(荷物)が残ってたら、姉弟じゃなくなったとしても、堂々とプロポーズなんて出来ないでしょう?」
「え? は? プロ――」
「とりあえず話は全部終わってからね」
そういう彼の手には先ほどまでセシリアの足首を縛っていたロープが握られていた。
二人は監禁されていた奥の部屋から出る。そこから繋がる先ほどまで男たちがいた部屋は、空っぽだった。廊下へ通じる扉が開け放たれ、残っている人はいない。先ほどの騒ぎから考えるに、皆、逃げたのだろう。
セシリアは隣にあった暖炉をのぞき込む。
暖炉では大量の書類が燃やされていた。そのどれもがもう黒い灰になっており、何が書いてあったのかわからない状態になっている。
「この書類、回収しなくて大丈夫だったの?」
「問題ないよ。その辺はあまり重要な書類じゃないし、重要な書類は家にもあったから、もう写しは取り終えている。それに、その辺りの大半はもうオスカーにも送ってる」
ギルバートらしい用意周到さに、セシリアはどこか安心したような声で「そっか」とかがんでいた身体を起こす。
「それじゃ、あとは名簿だけ渡せば証拠は揃うってことだよね」
「うん。そういうこと」
自分の父親を捕まえるための証拠だというのに、ギルバートはさらりとそう言ってのける。その表情には少しのためらいも見えず、セシリアは思わず先に行こうとする彼の手を引いて止めてしまう。
「ねぇ、ギル。本当にお父さんが捕まってもいいの?」
「前にも言ったでしょ? あそこはもう俺の生家じゃないって。だからあの人も父親じゃないし、あの人の奥さんも母親じゃない」
「でも……」
「……セシリアは優しいね」
ギルバートの言葉と優しい表情に、セシリアは一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「わ、私はおじ様のことを心配してるんじゃないわよ!? ただ、ギルが、傷つくのは嫌だなあって。だって、自分のお父さんでしょう? ギルにとってはお父さんじゃないのかもしれないけど、でも……」
「俺はさ。ずっと、あの家にはいなかったんだよ」
ギルバートの優しい声色に、セシリアは「え?」と顔を上げる。
驚き固まるセシリアの手の指にギルバートのそれが絡まる。
「五歳まで、俺は確かにあの家にいたけどさ、ずっと存在していなかった。どこにもいなかったんだよ」
「いなかった?」
「別に、食事が与えられなかったとか、劣悪な環境にいたってわけじゃなかったけど、親はずっと俺に無関心だったし、ニコルやティッキーからは嫌がらせをされたし。主人がそうだから使用人もそれ相応の扱いしかしないしね。食事も家族で取ったこともなくて、なんだか自分がずっとどこにいるのかわからない生活だった。空気のように透明でふわふわと漂っているだけ……って言えば良いのかな。だけど、空気ほどは必要なくて、だからやっぱり俺はどこにもいなかったんだよ」
ギルバートの過去は知っていたけれど、実際に彼から直接聞くのは初めてだった。
彼は劣悪な環境ではなかったというが、親が子に興味がないのは幼少期のこどもにとって劣悪以外の何物でもない。
「だけど、シルビィ家に来て、セシリアに会って、全部変わった」
「かわった?」
「だから、良いんだよ。俺の生家はなくても、側にセシリアがいてくれたら、俺はそれでいいんだから」
「そっか」
そう言って、頷いたそのとき、ギルバートの背後に人影か見えた。
それは先ほどギルバートが気絶させた男だった。彼の手には先ほどと同じようにナイフが握られている。
そのナイフの切っ先はまっすぐにギルバートへ向いており、セシリアはとっさに声を上げた。
「ギル! あぶない!」
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