12.次の瞬間には床に頬を付けてしまっていた。
「やってしまった……」
セシリアがそう呟きつつ頭を抱えたのは、それからすぐのことだった。
怒りの収まったセシリアは、会場の隅でひとり深く項垂れる。
話し合いに来たのに、自分から話を打ち切って、怒りのまま逃げてしまった。
(本当になにしに来たんだか……)
セシリアは先ほど自分が逃げてきた方向を見る。ギルは追いかけてはいなかった。セシリアが逃げる直前、ギルバートはハリーに呼ばれていたので、もしかするとそちらに行っているのかもしれない。
セシリアは揃ったつま先を見つつ、先ほどのことを思い出す。
(でも、あれは……、ギルがダメよね)
いつだって、彼は重要なことを自分に言ってくれない。それはきっとセシリアのことを守るためなのだろうが、納得しろと言われて、はいそうですか、と素直に頷くことは出来なかった。
「これから、どうしようかなぁ」
あの様子からいって、ギルバートは本当にもうシルビィ家に戻るつもりはないのだろう。そして、きっとその理由を言う気もない。
それならばもうセシリアに出来ることは何もないのではないだろうか。彼女に出来るのはきっと両親と同じようにギルバートの幸せを遠くから祈ることのみである。
(ギルは『帰れ』って言ってたけど、帰るにしたってティッキーは探さないとね)
ティッキーが一人で帰るならそれはそれで問題ないが、自分の用事に付き合わせたセシリアが一人で帰るわけにはいかない。
帰るかどうかは決めていないが、セシリアはとりあえずティッキーを探すために辺りを見回した。しかしそのとき、彼ではない別の人物にセシリアの目は止まった。
(あれは――)
それは、白い仮面を付けた男性だった。彼は会場の隅に置かれた椅子に腰かけ、まるで意識がないかのように身体をぐったりと折り曲げている。片手は頭を支えているが、もう片方の手はぶらぶらと力なさげに身体の横で揺れていた。
(お酒でも飲み過ぎたのかしら?)
セシリアはそう思い、彼に近づこうとした。しかしその前に、どこから現れたのか屈強な男性二人が彼の前に立つ。どこかで用心棒でもしているかのようなその男たちは、白い仮面の男を見て、顔を見合わせた。
男たちの様子が気になったセシリアは彼らにそっと近づいた。すると、二人の会話が耳を撫でる。
「どうすんだよ。このままだと俺たち怒られるぜ?」
「お前が悪いんだろ。見張り中なのに酒なんか取りに行こうっていうから」
「つっても、あんなところでただ突っ立っているだけなんて出来ねぇだろ? お前だって乗り気だったじゃねぇか」
「まぁ、そりゃそうだが……」
『見張り』という単語に言い知れぬ不安感を感じ、セシリアは身を隠したまま彼らの動向を見守ることにした。
男の一人は靴の先で白い仮面の男が座る椅子を軽く蹴る。
「とにかく、この馬鹿を人に見えないところに連れて行かねぇとな。……あれほど外には出るなっていってたのによ」
「仕方がねぇだろ。薬で頭のネジが外れてるやつにんなこといっても通じるかよ」
(薬?)
不穏な単語にセシリアの眉間に皺が寄る。
「そりゃまぁ、そうだな。とりあえずこいつは部屋に戻すか?」
「まぁ、それが一番だな」
そう話し合ったあと、男二人は白い仮面の男の両脇に回った。そうして腕を自らの首に回して、白い仮面の男を立ち上がらせる。立ち上がらせたといっても、白い仮面の男は意識がないようで、ほとんど引きずられるような形で男たちに運ばれていった。
セシリアは彼らに気づかれないように気をつけながら、男たちついてく。
男たちは、人目につかないように会場の隅を歩きながら、とある一枚の布の奥へ消えていった。その布は、楽団が演奏している舞台の両脇に垂らされており、その奥にある廊下と会場を隔てている。
セシリアは布をつまんで中を確かめた。そうして、男たちが廊下を曲がったのを確かめて、彼女も布の奥へ身体を滑り込ませる。
一枚布を隔てた先の廊下は、会場と同じぐらい、いや、もしかするとそれ以上に、薄暗かった。
セシリアは足音を立てないように慎重に廊下を進み、先ほど男たちが曲がった角から顔をのぞかせる。すると、とある一室に男たちが入っていくのが見えた。
セシリアは男たちが入った部屋の扉が閉まるのを見届けてから廊下を曲がる。そうして、周りを見回した。
廊下の壁には扉が三つほど並んでいた。
廊下の奥にも扉があり、廊下はそこで途切れている。
(ここは……体調が悪くなった人のための部屋かしら)
夜会を開くとき、そういう部屋を用意しておくことがあるというのはセシリアも知っていた。しかし、気になった扉の一つに耳を付けてみると、扉の中から楽しそうな談笑が聞こえてくる。それはとても体調が悪い人の話し声ではないような気がした。
(じゃぁ、ここって――)
セシリアが首をかしげたそのとき、廊下の先で扉が開く音がした。見れば、先ほど男たちが入っていった部屋の扉が開いている。セシリアは急いで空いている部屋に飛び込んで部屋の扉を閉めた。それと同時に、セシリアが背をつけいるのとは別の扉が閉まる音がして、先ほどの男二人が何やら話しながら、セシリアがいる部屋の前を通り過ぎていく。
男たちの気配が遠のき、セシリアはほっと一息ついた。
そうしてしばらく待ってからセシリアは部屋を出る。
(さっきの人は大丈夫だったかしら……)
男性の安否が気になり、セシリアは廊下を進む。しかし、白い仮面の男がいるだろう扉の前に立ったとき、聞き覚えのある人の声が聞こえてきた。
(この声は――)
それは目の前の扉からではなく、廊下の際奥にある部屋からだった。
セシリアは恐る恐る近づき、確かめるように扉に耳を付けた。すると――
『それにしても、最近は締め付けが苦しくて』
『わかります。近頃の軍は勘が良いというかなんというか』
『もうしばらくはこういう夜会も辞めといた方が良いのかも知れませんな』
『薬の経路はまた考えるとして、とりあえずは近寄らないことが大切ですからね』
(やっぱりギルのお父さんだ。でも、『薬』って……)
先ほどの男たちも同じように『薬』という単語を使っていたことを思い出し、セシリアは、そっと扉を開けて中をのぞき見た。すると、ギルの父親を含めた男たちが何やら楽しそうに会話をしている。細い隙間から覗いているので部屋全体は見えないが、見える限り三~四人の男たちがその中にいた。
「それにしても、息子さんには可哀想なことをしてしまいましたね。まさか、売るように渡していたものを、自分で使っていたとは」
「元々怪しいとは思っていたんですがね。しかし、ニコルは元々身体の弱い男でしたから、仕方がありませんよ。跡継ぎの件に関しては三男が帰ってきたので安泰ですよ」
「それは不幸中の幸いですね」
(ニコルが、薬で……?)
セシリアがそう怪訝な顔をしたそのとき、不意にティッキーの言葉が脳裏に蘇ってきた。
『ニコル、変な薬に手を出してるんじゃないかって噂があるんだよ』
『なんて言えばいいのかな。頭に穴が空いたみたいになるときがあったんだよ。ぼーっとしてるっていうか、目の焦点が合わなくなるというか。色んなもんが全部頭から抜けて、俺たちとは違うもんが見えてる、みたいな』
(もしかして……!)
答えを得たセシリアが戦慄したその瞬間、背後で気配がした。
セシリアはとっさに振り返るが――
「――っ!」
頭に衝撃が走ったかと思うと、次の瞬間には床に頬を付けてしまっていた。
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