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10.「もしかして、こんな変装ごときで俺がセシリアに気づかないとでも思った?」

 ティッキーに聞いていたとおりに、会場に入るには招待状を見せるだけで良かった。 名前も顔もなにひとつ確かめられないまま、セシリアは馬車から降りて、案内されるまま会場に入る。

 会場はカドリ伯爵が所有する屋敷のホールだった。

 重厚な装飾が施された壁面には繊細な金細工があしらわれており、天井からは大きなシャンデリアが吊るされている。しかし、その華やかさとは裏腹に、会場内は薄暗かった。集まった人々の素性を隠すためかシャンデリアは灯っておらず、代わりに蝋燭の淡い橙色が会場の輪郭だけを浮きだたせている。

 集まった人々は『仮面舞踏会』の名に恥じることなく、皆素顔を仮面で隠していた。噂に聞いていたとおりに中には仮装のような格好をしている人もおり、なんだか別世界に入り込んでしまったかのような異様な雰囲気がそこには漂っていた。


(華やかっていうより、妖しいって感じね)


 セシリアは扇で顔を隠しつつ、周りを見回しながらそう思う。

 フロアの中心では、楽団の演奏に合わせて数組の男女がダンスを踊っていた。


「一応、一曲踊っておくか?」


 ティッキーに手を差し出され、セシリアは「そうね……」と頷いた。

 しかし、差し出された手を取る寸前、視界の端に求めていた人影を見つけて、セシリアは勢いよくそちらの方に振り返った。


(ギル!)


 そこには、ギルバートがいた。セシリアと同じように目元には仮面を付けているが、間違いない。

 ギルバートは口元に笑みを浮かべつつ、男性と会話をしていた。相手の年齢は自分たちの父親と同じぐらいで、こちらはフルフェイスの仮面を付けている。

 セシリアはこちらに手を差し出しているティッキーの方を見た。


「ごめん、ティッキー! 私、行かなきゃ」

「あ、おい!」

「ここからは別行動で! あれだったら帰っててもいいからね!」


 それだけ言って、セシリアはティッキーから離れた。そのまま早歩きで、彼女はギルバートがいる場所を目指す。

 しかし、男性とどこかに移動してしまったのか、瞬きの間にギルバートの姿を見失ってしまう。セシリアは慌てて会場内を見回すが、室内は薄暗く、また人も多いために、どこに行ってしまったのかはわからなかった。


「あぁ、もう!」


 悔しさに、思わず地面を蹴りながらそう言ったときだった。


「こんにちは、お嬢さん」

「へ?」


 背後からそんな声が聞こえて、セシリアは慌てて振り返った。

 そこには明らかに見覚えのある人物がいる。

 額と顔の右側だけ隠したその人は、ギルバートによく似た柔和な笑みをこちらに向けてくる。


「君みたいな若い子は珍しいな。ここは初めてかな?」

(ギ、ギルのお父さんだ!)


 コールソン家現当主、ハリー・コールソンである。

 セシリアはとっさに扇で口元を隠した。髪色を変えて、仮面で顔を隠しているとは言え、こんなに至近距離で見られたら自分がセシリアだとばれてしまうかもしれないからだ。しかし、そんなセシリアの気持ちを知ってか知らずかセシリアの顔をのぞき込んでくる。


「どなたの紹介で来られた子かな? 出来れば一度挨拶をしておきたいのだが」

「それは……」


『貴方の息子さんの紹介で……』とは絶対に言えない。だからといって、ここにいる貴族を知っているわけではないので、他の名前を出すことも出来ない。

 セシリアは冷や汗が額に浮かぶのを感じながら、視線を泳がせた。


「えっと……」

「ん?」

「そのー」

「どうか――」

「それは、ルール違反じゃないですか。父さん」


 ハリーの言葉を遮って聞こえてきたのは、求めていた人の声だった。

 セシリアはとっさに顔を上げて、声のした方を見る。

 するとそこには――


(ギル!)

「そんな風に身元を改めるものじゃありませんよ。なんのために仮面これがあると思ってるんですか?」


 ギルバートはセシリアとハリーの間に割って入るようにしたあと、自身の仮面を指先で叩いた。


「深窓の令嬢だって、たまには羽目を外したくなるときがありますよね?」


 そう問われて、セシリアはこくこくと頷いた。


「しかし、な」

「ここはあくまで社交の場なのですから、誰がいても自由なはず。不用意に身元を改めるのは、彼女を紹介した人間の顔も立ちませんよ」


 ギルバートの言い分に、ハリーは「まぁ、確かにな」とセシリアから身を引いた。

 そんな父親にギルバートはなおも言いつのった。


「周りを警戒されているのはわかりますが、ここに入れるのは紹介された方のみでしょう? ならば、よからぬ輩が入り込んでいることもないでしょうし、もう少し気を抜いてもいいのではないですか?」

「それも、そうだな。……お嬢さん、悪かったね」


 セシリアが硬い笑みを浮かべつつ「い、いえ」と返事をすると、ギルバートは視線でとある男性を指した。


「それよりも、先ほどハモンド卿が呼んでいましたよ。なにかお話があったのでは?」

「あぁ、あのことかな。……では、私はそちらの方へ行ってくる。そちらのお嬢さんのことは頼んだぞ」

「はい。もちろんです」


 ギルバートがそう答えると、ハリーは背を向けて立ち去っていく。その背中が見えなくなって、ギルバートは改めてこちらに向き直った。


「父が不躾ですみません。困惑させてしまいましたね」

「い、いえ」

「何か失礼なことはしませんでしたか?」

「だ、大丈夫です。助けていただき、ありがとうございました」

(ギル、気がついてない……のかな?)


 セシリアにはおおよそ見せたことがない、よそ行きの表情と声色になんだか少しドギマギした。それと同時に、『知らない女性に対する彼の真摯な接し方』を見て、なんだか胸の辺りがモヤモヤしてくる。

 セシリアはそれらを振り払うように首を振り、そうして扇を持つ手にぐっと力を込めた。


(それならそれで、ここからなんとかして二人っきりで話すチャンスを作らないと!)


 こんなところでおおっぴらに自分がセシリアだと明かすわけにもいかないし、会話もできない。しかし、通常の夜会ならばベランダに出るなり、サロンを借りるなりすればいいが、ここでどうすれば二人っきりで話す機会が得られるのかわからなかった。

 そんなことを話している間に音楽が切り替わる。

 それと同時にギルバートがこちらに手を差し出してきた。


「もしよろしかったら、一曲、どうですか?」

「え? あ、はい」


 差し出された手を取ると、そのままダンスフロアの中央まで連れて行かれた。

 そうしてそのまま腰に手を添えられ、ダンスが始まる。


(こういうところでギルと踊るの、初めてかも……)


 幼い頃から、セシリアのダンスの相手はギルバートだった。けれども、それはあくまで『練習相手』としてだ。今まで一度として本番でギルバートとダンスを踊ったことなどない。


(そもそもほとんど社交をしてこなかったから、本番も何もないのだけれど)


 それでもまったく舞踏会を経験したことがないというわけではない。どれだけ仮病を使っても、どうしても出なければならない夜会などはあって、そういうときのダンスの相手は、いつもエドワードが務めていた。


「お上手ですね」

「そ、そうですか?」

「えぇ。とっても」


 穏やかに微笑まれ、セシリアはなんだかいたたまれなくなってくる。

 今すぐにでもギルバートに自分の正体を明かしたい気持ちと、自分の知らない女性に優しく接する彼に意地悪をしたい気持ちがせめぎあって、なんだがうまく笑えない。


「それにしても、ダンスって良いものですね」

「そう、ですか?」

「えぇ。こうしていると、いくらでも内緒話ができますからね」


 ギルバートはセシリアの耳元に顔を近づけ、そう囁いた。

 耳に当たった彼の吐息に、セシリアの身体は一瞬にして強ばってしまう。

 そんな彼女の様子を見て、なぜか目の前のギルバートは満足そうに笑みを強くした。


「ねぇ、一つ聞いてもいいかな?」


 いきなり砕けた言葉に心臓が跳ねた。


「は、はい! なんでしょうか?」

「こんなところで何してるのかな? セシリア」

「え?」

「もしかして、こんな変装ごときで俺がセシリアに気づかないとでも思った?」


 そう言いつつ笑みを浮かべるギルバートの顔は、セシリアのよく知るものだった。

 感情を押し殺した、最高に怒っている顔。


「ひぇ……」


 セシリアの喉からは自然とそんな声が漏れた。


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