9.「俺、初めてギルバートに同情したくなったわ」
それから三日後の夜。
夜会へ向かう馬車の中には、赤いベルベッドのドレスに身を包んだセシリアと――
「――で、何で俺まで一緒に行かないといけないんだよ?」
正装をしたティッキーがいた。
きちんと身を着飾ってはいるものの、彼の表情はこの状況を歓迎してはいない。むしろ、迷惑そうに眉間に皺を寄せていた。
嫌悪を隠そうとしない彼に、正面に座るセシリアはさも当然とばかりに口を開く。
「だって、パートナーがいない女性なんて、変に目立っちゃうでしょう? コールソン家のおじさまに私が来てるって事ばれたくないし、行く場所が行く場所だから他の人に頼むわけにもいかないし……」
「それなら、前みたいに男の格好すりゃいいだろ? 男なら一人で行ってもそこまで目立たないし、まさか公爵令嬢が男装してるだなんてだれも思わねぇよ」
「それは私も考えたんだけどね」
「だけどね?」
「私、男性側のステップ踏めなくて」
セシリアの言葉にティッキーは「あー……」と言葉を漏らす。
「一応舞踏会だから、ダンスを踊るかもしれないでしょう? そのときに踊れないなんてなったら、そっちのほうが目立っちゃうじゃない。それなら、ドレスの方が動きにくいけど、怪しまれないと思うのよね。それに――」
セシリアは持っていた仮面で目元を隠した。
「それに、仮面で顔を隠すんだから、女性の姿でも大丈夫かなって」
そう、今晩の夜会は、仮面舞踏会だった。
セシリアはこれまで参加したことはなかったが、仮面舞踏会が身分や素性を隠して自由に振る舞う事が出来る夜会だということは知っている。セシリアが持っている仮面は自身の目元だけを隠すようなものだが、顔全体を隠す仮面を付ける者や、上から下までピエロのような格好をする人間もいるらしい。
セシリアも身元が知られぬよう、仮面だけでなく黒クルミの殻で作った染料で髪を茶色に染めてきていた。
最初にティッキーに会ったとき「誰だかわからなかったわ」と驚かれていたので、結構上手に変身できたのではないかと、自分では思っている。
「といか、本当に両親に何も言わずに出てきて良かったのか?」
「大丈夫。置き手紙は残してきたから!」
「そういう話か?」
「だって、言ったら絶対止められるもの」
少し熱が出たぐらいで大騒ぎするような両親だ。きちんとした名のある貴族が主催する夜会とは言え、そんな得体の知れないものに娘を出席させるはずがない。
ちなみにドレスの着替えや髪の染色などは懇意にしている仕立屋の女主人にやってもらった。あそことは古くからの付き合いで、学院に持って行っている男性ものの服の仕立てなども彼女に任せている。
「それに、決めたのは私だから、お父様やお母様に迷惑掛けたくないでしょ?」
ティッキーはそんな彼女を半眼で見つめ、やがて肺の空気を全て出すような息をついた。
「お前さ、実はあんまり人に頼るの得意じゃないだろ?」
「へ?」
「最初に会ったときだって、失礼な態度取った俺に一人で噛みついてきたし。屋敷の抜け穴教えたときも、俺に『ついてきて』の一言も言わなかっただろ?」
「え。でも、今回は――」
「今回俺に付き添いを頼んだのは、他に選択肢がなかったからってのと、屋敷の他の人間に頼りたくなかったからだろ? 男装で乗り切れる自信があったら、俺なんかに頼らず、一人で向かった。……違うか?」
ティッキーの指摘にセシリアはしばらく考えたあと、「それは、そう……かもね」と首肯した。
そんな彼女に、ティッキーはどこか得意げに「だろ?」と片眉を上げる。
「もうちょっと頼ってもいいんじゃねぇの? お前の周り、いいやつばかりだろ? 周りの人間からしても、頼ってもらえないってのは、やっぱりもどかしいんじゃないか?」
「ティッキー……」
「それに、お前みたいな鈍くさい女、誰かの助けがないと失敗ばかりだろうからな!」
まるで馬鹿にするように笑い出したティッキーに、セシリアは額に青筋を浮かべた。
しかし、それで怒り出したりすることなく、彼女はそのままの状態でしばらく考え事を始める。
そんな彼女の様子に気がついたのか、ティッキーは「どうかしたか?」と首をかしげた。
「んー。別に、たいしたことじゃないんだけどね。私、ずっとギルには頼ってばかりだなぁって思って」
申し訳ないことをしたなぁと、どこか落ち込んだようにセシリアは口にする。
もしかするとギルバートが生家に帰りたいのだって、こんな義姉のお守りが嫌になったからかもしれない。
「じゃぁ、お前にとってギルバートが特別なんだな」
「へ。特別?」
「素直に甘えられる相手ってこと。……違うのかよ」
違うのか? と聞かれて、違う、とは答えられなかった。
だってその通りなのだ。ギルバートには素直に甘えられる。安心して、全てを打ち明けられる。
ティッキーの言葉に、自分の中にあった感情がしっくりとはまった気がした。
「そうだね。ギルはずっと私にとっての特別だね」
そう言うと同時に頬が熱くなった。
そんなセシリアを見て、ティッキーは少しだけ驚いたような表情になったあと、どこか忌々しげに眉根を寄せた。
そんなの表情の変化に気がついて、セシリアは小首をかしげた。
「どうかしたの?」
「いや。色々と気がつく前に気がついてよかったなと思ってな」
「へ?」
「なんでもない! 気にするな!」
どこか拗ねたようにそう言って、彼は唇を尖らせる。その表情がどこか拗ねたこどものようで、セシリアは肩を揺らした。そんな彼女の様子に、ティッキーの唇はますます面白くなさそうに尖っていく。
「ところで、俺は心底どーでも良いけどさ。お前、オスカー殿下と婚約中だろ? それはどうするわけ?」
「へ? オスカーとの婚約がいま何か関係ある?」
「…………マジか、お前」
まるで信じられないものを見るような目で見られ、セシリアは目を瞬かせた。
「俺、初めてギルバートに同情したくなったわ」
「え?」
結局その後、何度聞いてもティッキーはその言葉の意味を教えてくれなかった。
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