6.「こんな風に世界が、俺たち二人だけになっちゃえばいいのにね」
「ごめん、来ちゃった」
「ごめんって――」
ギルバートが何か言いかけると同時に、先ほどセシリアが来た方向から足音が聞こえてきた。それに気がついたのはギルバートも同じようで、彼は半開きになっていた窓を開け放つと「セシリア」とこちらに手を伸ばしてくる。
セシリアが迷わずその手を取ると、ギルバートはそのまま手を引いて、彼女を部屋に引っ張り込んだ。思った以上の強い力に、バランスを崩したセシリアが床に座り込むと、ギルバートはすぐさま窓とカーテンを閉め、セシリアの側に膝をついた。
そのまま二人は息を殺して窓の外の様子をうかがう。すると、しばらくして男性の話し声と共に二人分の足音が窓の前を通り過ぎていった。
どうやら見回りの兵だったらしい。
彼らの気配が遠ざかって、セシリアとギルバートは同時に安堵の息をついた。
そうして――
「というか、セシリア。なんでこんな――」
「良かった。やっと会えた!」
口を開いたのが同時だったからか、言葉を遮るつもりはなかったのにセシリアはそう言って彼に抱きついてしまう。ふわりと香ったいつもの彼の香りに、セシリアの身体は、ほっと、弛緩する。
一方のギルバートは、セシリアの突飛な行動に一瞬身体を硬直させたあと、ゆっくりと背中に手を回してきた。
「ごめん。……心配、かけたよね」
「そうだよ。すごく、心配したんだから」
拗ねるようにそう口にすると、同時にじわりと目元が濡れるのがわかった。しかし、ここで泣いても仕方がないとセシリアはぐっと涙を堪える。
その代わりに、口からこれでもかと感情が溢れた。
「ギルの嘘つき。いなくならないって言ったのに」
「うん、ごめん」
「いなくなるにしたって、こんな突然いなくならなくたっていいでしょ」
「ごめんね」
「お父様もお母様もびっくりしてたんだからね」
「そうだよね、ごめん」
「……」
「……」
「ギル、謝れば良いと思ってない?」
さっきから『ごめん』を繰り返すギルバートにセシリアは唇をへの字に曲げる。
その表情を見て、ギルバートはどこか嬉しそうに肩を揺らした。
「思ってないよ」
「でも、笑ってる!」
「それは仕方がないでしょ。嬉しいんだから」
「私が泣きそうなのに、ギルは嬉しいんだー!」
思ってもみない裏切りに、セシリアは今度こそ泣きそうになる。
どうしてそんな意地悪を言われるのかわからなくて、どうして彼が笑っているのかもわからなくて、子供みたいに駄々をこねたくて仕方がなくなってくる。
そんなセシリアの様子に、ギルはやっぱり「ごめんごめん」と笑って、背中を撫でた。
「とりあえず、落ち着こうね」
それはまるで子供に言い聞かせているかのような響きを持っていた。
それからしばらく、ギルバートは背中を撫でてくれていた。
目尻に溜まった涙を拭うように、顔をごしごしとギルバートの肩口に擦りつけると、彼はくすぐったそうに身をよじる。
正直、自分がこんなにも彼がいないことに心細さを感じているとは思わなかった。もちろん話を聞いて動揺はしていたけれど、寂しさを感じてはいたけれど、ここまで恋しくなっているとは思わなかったのだ。
(別に今までだって四六時中一緒だったってわけじゃないのに……)
それでも『長く離れることになる』という予感を抱いたのは今回が初めてだった。
「大丈夫、落ち着いた?」
セシリアの様子を見計らってギルバートがそう聞いてくれたのはそれから数分後のことだった。
セシリアが素直に「うん」と頷きつつ身体を離すと、彼はセシリアの頬に張り付いた髪を払う。そうして、いつもどおりの優しい笑みを向けてくれた。
「それで、どうやってここに来たの?」
「それは、ティッキーが屋敷に入る抜け道を教えてくれて……」
「ティッキーが?」
ギルバートは驚きに目を見開いたあと、すぐさま「……なるほどね」と何かに思い至ったかのような声を出した。
「セシリアを使って、この家から俺のことを排除しようとしてるってわけか。今回のことでセシリアがここに来るかもしれないって事も、ティッキーから何か接触があるかもしれないって事も大体予想してたけど、まさかこんな形になるとはね」
全部見ていたかのようにそう呟いて、ギルバートはセシリア額を撫でる。
その優しい手つきがどこか懐かしく思えて、セシリアは甘えるように手のひらに顔をすり寄せた。
その仕草に、ギルバートはセシリアに聞こえるか聞こえないかギリギリの声で「また、そういう可愛いことして……」と息をつく。
「セシリア。ティッキーには変な事されなかった?」
「うん、大丈夫。思ったよりも優しかったよ?」
「優しくされてもね。アイツに優しくなんかしなくてもいいんだからね?」
ギルバートの声色にどこか空恐ろしいものを感じて、セシリアは顔を上げる。
「すごく不本意なんだけど、アイツとは血がつながってるからね。好みまで似ている可能性があるから、出来れば近寄らないでほしいな」
「好み?」
「セシリアはなにもわからなくても良いよ。ただ、アイツにはできるだけ近づかないでね? わかった?」
言い聞かせるようにそう言われ、セシリアは「……わかった」と首を縦に振った。
元々セシリアから近づこうと思って近づいた相手ではないのだ。今回のことで多少警戒心は薄れたが、だからといって、これからも自分から会いに行こうとは思わない。
(また、今回みたいな事があれば別だけど……)
そこまで考えたとき、セシリアははっと顔を跳ね上げた。
本来の目的を思い出したのだ。
セシリアはギルバートに詰め寄った。
「ギ、ギル! 私ね! こんなことが話したかったわけじゃなくてね! えっと、なにから話そう!? えっと、えっとね!」
「セシリア、落ち着いて」
「ギル、あの手紙の内容は本当なの?」
最初に思いついた聞きたいことがそれだった。ギルバートは少し驚いたような表情で「手紙?」と首を傾ける。
「うちに届いたやつ。ニコルが倒れたから、コールソン家に戻ることにしたって……」
「俺は、そんなもの送ってないけど……」
「……え?」
「多分、家の人間が送ったんだろうね。無理矢理連れ帰った息子の逃げ道を完全に断とうとしたのかな……」
『無理矢理連れ帰った』という言葉に、セシリアは思わず息を呑んだ。
予想はしていたけれど、まさか本当にそうだったとは思わなかったのだ。
「ここに来たのは無理矢理だったの?」
「そうだね。馬車の御者を買収して、ここに連れてきたことを『無理矢理』って言うなら、無理矢理だね」
「やっぱり……!」
「でも――」
ギルバートがそう何かを言いかけたとき、部屋の扉がコンコンと叩かれる。
そして、どこか神経質な女性の声が部屋に響いた。
『ギルバート、いますか?』
(おばさまだ!)
セシリアは思わずギルバートの顔を見た。次いで立ち上がり、周りをみまわすが、セシリアが隠れられそうな場所はない。
(どうしよう……)
セシリアがそうまごまごしていると、ギルバートに手を取られた。
「セシリア、こっち」
「え?」
そのままセシリアは、ギルバートに窓際まで連れて行かれる。
そうして、ギルバートはカーテンを広げると、抱きしめるような形でセシリアを包み込んだ。
「ギ、ギル!?」
「しっ」
開きかけた唇に、人差し指を当てられる。
唇に当たった指先が妙に熱い気がして、セシリアはそのまま唇を閉じた。
そうしていると、ほどなくして扉が開く音がした。同時に、ヒールが床を蹴る音も。
部屋に入ってきたギルバートの母親は、部屋をじっくりと見回した後、一つ溜息をついた。
「いないわね。……まったくあの子はどこに行ったのかしら」
そう呟いて、彼女は部屋を出て行く。
扉が閉まる音が部屋の中に広がって、セシリアはほっと胸をなで下ろした。
扉越しに足音も遠ざかっていく。
「ねぇ、ギル、行ったよ」
「……うん」
「ギル?」
セシリアが不思議そうな声を出したのは、ギルバートがセシリアのことを離そうとしなかったからだ。背中に回る腕の力は未だに強く、カーテンの中から抜け出そうともしない。
動かない彼にドギマギしていると、ようやくギルバートが口を開いた。
「ねぇ、セシリア」
「なに?」
「こんな風に世界が、俺たち二人だけになっちゃえばいいのにね」
鼻先同士がふれあう距離。見つめてくる黒曜石に狼狽える自分が映っている。
震えた心臓の音を聞かれたくなくて、胸元のシャツをぎゅっと掴むと、彼の額とセシリアの額がコツンと重なった。
「あ、あの……」
「冗談だよ」
そう言って、ギルバートは二人だけだった世界を広げた。
そうして、セシリアからわずかに距離を取り、窓の外を見た。
「そろそろ帰った方が良いよ。この調子だと、いつか見つかっちゃうからね」
「え!? でも、ギルは?」
セシリアの言葉に応えることなく、ギルバートは笑みを強くした。
その表情にセシリアは何か嫌なものを感じて、ギルバートに一歩詰め寄った。
「ギル、私と一緒に家に戻ろう! もしかしたら、コールソン家のおばさまやおじさまから色々言われるかもしれないけど、全部私がどうにかするから。私が、ギルのこと守るからさ」
「ごめんね」
「ギル……?」
「確かに最初は無理矢理だったし、こんな形で帰ってくるつもりはなかったんだけどさ。でも、いつかはここに戻るつもりだったから……」
思ってもみなかった言葉に、セシリアは息を呑む。
「いつかは戻ってくるつもりだったって、ギルバートはうちから出て行くつもりだったの? 最初から!?」
「最初から、ではないけどね。考え始めたのは、つい最近」
「なんで……」
「……」
「やだよ! ギル! なんで――」
「俺はここでやらなくちゃならないことがあるんだ。だから、ごめんね?」
いつもどおりに優しく笑って、それでも頑なに、ギルバートはセシリアのことを拒絶した。
「セシリア、迎えに来てくれてありがとう。嬉しかったよ」
ギルバートはセシリアの手を掴む。
「抜け穴まで送るよ」
「……ギル?」
「気をつけて帰ってね?」
セシリアの縋るような視線も関係ないというように、彼の表情は揺るがない。
そんな彼に何が言えるわけでもなく、セシリアは俯いたまま彼の手に惹かれるように抜け穴までの道を帰るのだった。
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