【5巻発売記念】ダンテとのデート②
9月1日に5巻が発売になりましたー!
みなさまどうぞよろしくお願いいたします。
後半戦、長くなったので二つに分けましたー!
「なんていうか、本当に普通の市場だね」
セシリアがそう言ったのは、市場を回り始めてからしばらく経ってからだった。
闇市と聞いていたので、得体の知れない違法なものがたくさん売ってると思っていたのだが。店に並んでいるのは肉や魚、小麦といったアーガラムの普通の市場でも買えるものばかりだ。明るい雰囲気も相まって本当にどこにでもある普通の市場に見える。道を歩いている人たちもいたって普通で、全員が全員そうではないと聞いてはいたけれど、この中の何割かは恐ろしい人だというのもとても信じられなかった。
「闇市つっても、市場は市場だし? 生活に必要なものはたいていここでも揃うようになってるよ? まぁ、もちろん。ちょっと危ないものも売ってるけどね」
そう言って彼が指す先には、瓶に入った紫色の液体を売っている店があった。
「あれは? 飲み物でも売ってるの?」
「違う違う。あんなもの飲んだら死んじゃうよ。あれはね、えっと。シガーみたいなものかな?」
「シガー?」
セシリアは首をひねる。シガーというのは葉巻タバコのことだ。彼女の父であるエドワードがたまに吸っているが、あんな紫色の液体なんて見たことがない。
ダンテは紫色の液体を売っている店の奥の方を指差す。そこには入り口が閉まっているテントがあった。紫色の液体を買った人がそのままそこに吸い込まれていく。
「あの奥のテントに液体を気化させる装置があって、その中にあの液体を入れてパイプで吸うって感じかな。ちなみに、あんまりお勧めはしない。ハマると抜け出すのが大変だからね」
「わー……」
タバコというよりはいけないお薬という感じだ。ダメ絶対、のやつである。
「あと、気をつけなきゃいけないのは、あそこかな」
ダンテが指した方向には、これまた中の見えないテントがあった。しかも先ほどまでのより数倍大きい。入り口には屈強な用心棒が二人いて、入る人と出る人のボディチェックをしている。入っていくのは大きな鞄を持った身なりのいい男性たちだ。
「あれは?」
「簡易な賭博場だよ。金だけじゃなくて宝石とか家畜とかなんでも掛けられるから、ここで金に困ったらまずあそこを紹介される。ただ、あそこのディーラー、みんな手先が器用だからさー」
つまり、胴元がイカサマをしているということだろうか。それは、なんだかすごく絞られそうなところである。
「しかも、掛け金は青天井だから、派手に負けた奴は人権まで切り売りされるよ。人権、高く売れるからねぇ」
「こ、こわい……!」
「そう。だから近づいちゃダメだからね」
身震いをするセシリアの頭を優しく撫でながら、ダンテはまるで妹に向けるような声を出す。セシリアは賭博場の前に立つ、二人の用心棒を見ながら首を傾げた。
「もしかして、ダンテはああいう人たちに注意をしにきたの? あまり悪さするなって。それとも、入ろうとする人たちに警告したり……」
「あぁ、違う違う。ああいう人たちはさ、自らすすんで騙されに来たり、養分になりに来てるわけじゃない? 正直、あんなのまで面倒見てやる義理はこっちにはないわけよ」
「ダンテって、そういうところ結構ドライだよね」
「弱肉強食って、結構いい言葉だと思ってるよ?」
にっこりといい笑みでそう言われ、敵に回したくないなと本気で思う。
「それじゃ、具体的には何しにきたの? ただの見回りだけ?」
「いんや。実は最近――」
ダンテがそう言いかけた時だった。
「落としましたよ」
二人の背中にそう声がかかり、ダンテとセシリアは振り向いた。そこには人の良さそうな青年がこちらに向かって革の財布を差し出している。
困惑するセシリアを尻目に、彼は厳しい顔つきで声を顰めた。
「不用心ですよ。こんなところで腰紐もつけずに財布を持ち歩くなんて」
「えっと……」
「差し出がましいようですが、観光の方ですか? それなら、この辺りは歩かない方がいいですよ。正直言って、財布なんかを落とすような方が歩いていい場所じゃない」
「あの、それ。俺のじゃないです」
そう答えたのはセシリアだった。彼の手にある財布はセシリアのものではない。ダンテも彼女に倣うように「俺のでもないね」と首を軽く振った。
二人の反応に青年の頬は赤く染まる。そして、「あ、そうなんですか!?」と慌てて財布を懐にしまった。
「なんか勘違いで失礼なことを言ってしまったようですね。……すみません」
「あぁ、いえ。気にしていませんので」
「もしよかったら、お詫びに一杯奢らせてくれませんか? 俺の店、すぐそこなんです」
「え?」
「先ほどは勘違いしてしまいましたが、お二人とも観光客なのは観光客なのでしょう? でしたら、私の店の方で地図もお配りしているので、よかったらそれもお持ちください。観光客の方が近寄ったらダメな店とかも書いてありますし」
セシリアはダンテの方を見た。彼は少しだけ困ったような顔で肩をすくませる。セシリアの自由にしていいと言うことだろうか。
「えっと。じゃぁ、地図だけ……」
「はい! それでも構いません。ぜひ!」
青年は満面の笑みを浮かべた後、セシリアたちを先導する形で歩き始める。歩いている間も、彼は絶えず二人に話しかけてくる。
「俺、ヤニックって言います。実は俺、この市場の現状を変えるために活動していて」
「現状を変える?」
ヤニックは「はい」と深く頷く。彼曰く、前々からこの辺は物騒だったらしいのだが、最近は観光客が増えたことにより、彼らをカモにする悪徳な商売が増え、さらに物騒度が増しているのだという。
「俺もここの人間なんで、多少は自業自得だとは思うんですが、あまり大きな問題になるとお目溢しをもらっている現状が変わってしまうんじゃないかって心配で……」
つまり、今のダンテとやろうとしていることは同じと言うことか。
彼の話を聞いてセシリアの緊張は少しだけ解ける。
「だから、地図を配って観光客に注意を促してるんですね」
「はい。あと、ちょっとした見回りも。あまりにもカモになっちゃいそうな人たちにはさっきみたいに注意してて……」
つまり、ヤニックから見て二人は相当おのぼりさんに見えたと言うことか。いいや、ダンテはどこからどう見ても浮いているということはないので、きっとセシリアだけが浮いていたに違いない。それこそ、カモになっちゃいそうなレベルで。
そこまで話したところで、ヤニックは足を止める。どうやら彼の店についたようだ。
彼の店は闇市のはずれにあり、あまり人も通らない場所だった。彼のテントは屋根が飛び出しており、そこに木でできたカウンターと丸太のような椅子がある。テントの方には簡単な調理場が設けられていた。さらに奥の方にはもう一つテントが置かれており、こちらの方は布が引かれていて奥は見えない。地面に立っている看板を見る限り、どうやらそこで飲み物と軽食を提供しているようだった。店の主人がいなかったからか客はおらず、五人ほどが座れる木のカウンターにはセシリアとダンテしかいない。
「ちょっと待ってくださいね。いま、地図を出しますから! お茶をお出しするので、それでも飲んで待っていてください! おーい、ジャック!」
「んー。客か?」
その声とともに一番奥のテントに引いてある布が左右に開いた。そして、ヤニックとは別の男が顔を出す。彼はヤニックとは正反対の大柄の男だった。頭はスキンヘッドで、眉の辺りには傷も入っている。本当に失礼な話だが、顔の方も何人か殺していそうな作りをしていた。
「ちがうちがう。いつものだよ。ジャックは二人にお茶出しておいて。俺は地図探しておくから」
「あぁ」
ジャックはぞんざいな返事をした後、奥のコンロで何やら作業をした後、二人の目の前に飲み物を出した。木のカップに入っているそれの匂いを嗅いでみると、乾燥させた茶葉の芳醇な香りが鼻腔を掠める。これは紅茶だ。いつも飲んでいるものよりは安ものだろうが、間違いない。この香りは紅茶である。
(なんか変なものを飲まされるかもしれないと思っていたけど、なんか大丈夫そう?)
それでもなんとなく飲む気になれずそのまま放置していると、視界の端でジャックの眉間に皺がよるのが見えた。
「飲まないのか?」
「へ?」
「飲まないのか?」
「えっと……」
はっきりと睨まれているわけではないものの、妙な威圧がすごい。まるでこの紅茶を飲まなければ返してもらえないというような圧力を感じる。セシリアが「あの」「えっと」などと言った曖昧な言葉を漏らしていると。ジャックはさらに語気を強めた。
「もしかして俺が何か混ぜ物をしてると思ってるのか?」
「いや……」
「ならなんで飲まないんだ?」
なんだか見えないものに押しつぶされている感覚だ。奥のテントからはヤニックの「ちょっと待ってくださいねー」が響いてくる。どうやらまだ地図を探しているようだ。この状態で「やっぱり帰りますー」はちょっと心情的に難しい。
セシリアは、意を決してカップを掴んだ。
「えっと。……イタダキマス」
セシリアがそう言ってカップを持ち上げた瞬間、ダンテが彼女の手をとった。そしてゆっくりと首を振る。
「セシル。こんなところで知らない人からもらった飲み物を飲んじゃダメだよ?」
「え?」
「あぁ?」
不機嫌そうな声を出したのはジャックだ。奥からは「なになに、どうした?」とヤニックが出てくる。
ダンテはセシリアの持っているカップを取り上げると自分の前に置いた。そして、ニヤリとこの中で一番悪党めいた表情を浮かべる。
「最近横行してんだよね。観光客に毒を飲ませて、解毒剤を渡す代わりに金品巻き上げようとする輩が。……それって、お前らだろ?」




