31.ありがとう
『僕、念のためにローランの背中に印をつけておいたんだ』
ツヴァイはどこか申し訳なさそうにそう言った。
印というのはあれだ。彼の能力である転送をする時のための印である。
ローランは普段から一人で何やら行動することが多く、『迷子になった時に助けに行けるように』という彼の判断で、ローランに無断で印をつけていたというのだ。
ローランの元に迎えるのは、最大で六人だ。ツヴァイの力で三人。ツヴァイに宝具を借りたリーンの力で三人。
なのでローランの元に向かったのは、セシリアとギルバートとオスカー、そして、ツヴァイも彼らについていった。残りのメンバーは、いざと言う時のために学院に残っている。
そして、転送された先でセシリアが最初に見たのは、ローランに剣を突きつけるジャニスだった。
「ローラン、大丈夫?」
突然のことに呆けるローランをその背に庇い、セシリアはジャニスと対峙する。
抵抗でもしたのか、ローランの手のひらは切れていて、額からも血が流れていた。
セシリアが呼びかけると、ローランははっとしたような表情になり、彼女に縋り付いてくる。
「やめてください、セシル! 兄様は――」
この後に及んでもジャニスを庇おうとするローランにセシリアは困惑したような表情になった。
必死なローランに視線を落としていると、正面から唸るような声が聞こえてくる。
「あぁもう。本当に腹が立つね、君たちは。本当にどこまで邪魔すれば気がすむんだ」
ジャニスが乱暴に髪の毛をかき上げる。そして、奥歯を噛み締めた。
彼が手を叩き合図を送ると、遠くの方で雄叫びが聞こえてくる。
セシリアはハッとした顔で振り返った。
「何をしたの?」
「作戦を早めたんだよ。仕方がないだろう? 君たちに作戦を邪魔されるわけにはいかないからね」
ジャニスはそう言うと同時に、背後にいるティノに視線で指示を出す。
ティノはジャニスの命令に一つだけ頷くと、雄叫びが上がった方向に走り出した。オスカーがすぐさま彼を止めようとするが、マルグリットが彼の前に立ちはだかり、ティノはその隙に森の中に消えてしまう。
ティノの背中が消えたのを見届けて、ジャニスは先程の続きとばかりに口を開く。
「マルグリットから話を聞いて、ある程度予定が早まるのは仕方がないと思っていたけれど、まさかローランを利用してここまでたどり着くとはね」
「利用したわけじゃ――!」
「これを利用と言わなくて、なんと言うんだ」
まるで忌々しいものを見るかのようなジャニスの視線に、セシリアの背筋は凍る。飄々とした彼がここまで感情を表に出すのは初めてのことだった。
それほど作戦が邪魔されたことが腹立たしいだろうか。もしかすると、ローランを利用したという事実が彼の癪に障ったのかもしれない。
「ティノはどこにいったの?」
「彼は蟻の大群の指揮をしに行ったよ。蟻たちには私かティノの言うことを聞くように言いつけてあるんだ。――本来の人数には少したりないけれど、これで十分、学院は潰せる」
その言葉にセシリアは、ハッとした顔でツヴァイを振り返った。
「ツヴァイ! 今すぐ戻って残ってる人たちに生徒を避難させるようにお願いして!」
「わ、わかった!」
「あと、ローランを!」
「いやだ!」
まるで駄々をこねる子供のようにローランはセシリアの服を掴んで離さない。ツヴァイの能力がどういうものか彼は知らないはずだが、セシリアたちがいきなり現れた様子から、なんとなく察してはいるのだろう。
「無理やり連れて行こうとするなら、ここで舌を噛み切ります!」
「ローラン!」
「私は兄様を止めなくてはならないんです!」
そこでまた障りを発芽させた人間たちの咆哮が聞こえた。もしかするとティノがどこかの集団と合流したのかもしれない。ここから街まではそれなりの距離があるのに、ここまで声が聞こえているという事は相当な人数が障りを発芽させているのだろう。
事の重大さを察知して、オスカーがツヴァイに叫ぶ。
「時間がない。とりあえず、ツヴァイだけでも帰れ!」
「わかった!」
ツヴァイは頷き、自身の胸に手を当てる。すると、すぐさま光が弾けて彼の姿は消えてしまう。
その様子を見て、ジャニスは子供を褒めるかのようにゆっくりと手を叩いた。
「いざという時に備えて、連絡係も一緒にきたんだね。あと、一番機動力がありそうなやつもむこうだ。えらいえらい」
一番機動力がありそうな奴、というのはダンテのことだろう。
ゆっくりと近づいてきた彼に、オスカーとギルバートはセシリアの前に立つ。
彼らの後から、セシリアはジャニスに問いかける。
「貴方は一体何が目的なの? 本当にこの国だけを壊すことだけが貴方の目的なの?」
「私の目的は、全部を壊すことだ」
「全部?」
「障りなんてものを生み出したこの国を。私に残酷な運命を背負わせ、母を殺した自身の国を。醜い力を持って生まれた私自身を。全部、全部壊すことだ」
その言葉はセシリアたちの予想を肯定するものだった。
ジャニスはこの国の破滅とともに自分の破滅も願っている。彼が今から行おうとしているのは、国を盛大に巻き込んだ大規模な心中だ。
自分の身を引き換えにこの国を壊し、自分を止められなかったノルトラッハにすべての責任を負わせる。だから彼は自分を隠さない。ノルトラッハの第三王子として、この国を壊そうとしているのだ。
その話を聞き、マルグリットは視線を落としていた。
ジャニスの作戦は知っていたが、彼の心情を聞くのは初めてだったのかもしれない。
「だから私は、大罪人として君達の前に膝をつこう。……もちろん抵抗はするけれどね」
そう言って彼は自身の胸に手を当てる。
瞬間、彼の体から黒いもやが立ち上り、身体中に蔦のようなあざが這う。
ジャニスは自分自身の障りを開花させたのだ。
「ジャニス様!」
一番最初に反応したのは、マルグリットだった。ジャニスが自分自身に障りをつけるのは、おそらく作戦にはなかったことなのだろう。そしてその反応を見るに、ジャニスが自分に障りをつけるという事は、それなりのリスクを伴うことなのだろうと予想できた。
「――っ!」
「義姉さん、下がって!」
ことの重大さに、オスカーとギルバートが気色ばむ。二人が警戒の色を強めるのと同時に、セシリアもぎゅっとローランの手を握った。
障りを開花させてもジャニスは他の人間たちのように取り乱すようなことはしなかった。正気を保てなくなっているというよりは、感情がなくなっているかのようにセシリアには見える。
ジャニスは手に持っている剣を一振りすると、腕を伸ばし、まっすぐにセシリアへ切っ先を向けた。
そうして、ジャニスが走り出そうとした時――
「兄様っ!」
「ローラン!!」
ローランがセシリアの手を無理矢理振り払って、ジャニスの前に躍り出た。そして、タックルを食らわせるように、そのまま彼の身体にぎゅっと抱きつく。
「兄様! 兄様、やめてください! もうこれ以上罪を重ねないでください!」
ジャニスは動かなかった。障りに侵されているにもかかわらず、彼はローランを見つめたまま、しかし剣から手を離すこともなく、その場に佇んでいる。
「……ロー……ラン」
掠れた声で、ジャニスは弟の名前を呼ぶ。暗い瞳は追い縋る彼の背中をじっと捉えていた。
立ち止まったジャニスに、ローランは身体を離し、さらに声を張った。
「正気に戻ってください、兄様! お願いですから!」
彼の必死の懇願は涙に濡れていた。大粒の涙を頬に転がしながら、彼は必死に言葉を重ねる。
「辛い兄様の気持ちに寄り添えなくてすみません! ずっと一人で耐えさせてしまってすみません! 私は兄様の後をついていくばかりでしたが、今度からはちゃんと兄様の隣を歩きますから! 歩くように努力しましから!」
その言葉にジャニスは、剣を握る手に力を込めた。そして大きく腕を引く。
「ローラン!」
セシリアは最悪の事態を予想して走り出した。しかし、もう構えきっているジャニスに間に合うわけがない。
彼の腕は、そのままローランの胸めがけて真っ直ぐと伸びた。
「――ぅ」
肉を貫く音と、小さなうめき声。ぼたたたた、と重たい液体が地面に落ちる音がその場にいる全員の耳に届く。
ジャニスの足元に広がる血の赤。彼の靴を汚したその血は、ローランのものではなかった。
「マル、グリット……」
胸を真っ赤に染めあげた彼女の手が、ジャニスの頬に浮かび上がったアザに触れる。それと同時に障りが祓われ、ジャニスの目に光が戻ってくる。
正気に戻ったジャニスは信じられないというような顔で、マルグリットの顔を見つめていた。そして、震える手を剣から離す。
剣はマルグリットの胸からも抜け落ちて、地面を転がった。同時に栓を抜かれたかのようにマルグリットの胸から血が噴き出て、地面をさらに赤く染め上げる。
足元もおぼつかない彼女を、ジャニスは抱きとめた。
「どうして。どうして、君がローランを守るんだ?」
「何を、言ってらっしゃるんですか? 私が守ったのは、あなたの心ですよ。ローランを、殺して、いたら、あなたの心は、今にも、まして、こわ、れて、いたでしょう?」
息をするのも辛いのだろうマルグリットの声はだんだんか細く、途切れ途切れになっていく。
そんな彼女を支えながらも、ジャニスも胸を押さえた。荒い呼吸を繰り返す彼はどこからどう見ても平気そうに見えない。それはきっと大量の障りを操る代償なのだろう。もしくは、自分に障りをつけた代償か。
ジャニスは膝をつく。彼の顔は青いを通り越して土気色だった。目の下には、先ほどまでにはなかったくまが現れており、その表情からは死期が感じられた。きっと、彼の命はもう長くはないのだろう。
「ジャニス、だい、じょうぶ、です。わたしが、いますから」
「マル、グリット……」
マルグリットは最後の力を振り絞ってジャニスを伴い移動する。
辿り着いたのは、陸の端だった。彼女たちが立っている場所の下からは相変わらず波が打ち付ける音が聞こえてくる。
お互いにお互いを支え合った二人は、こちらに視線を向けた。
マルグリットの視線がセシリアに向いて、唇が弧を描いた。そして――
『ありがとう』
「マルグリット!」
「兄様!」
セシリアとローランが駆け寄る前に、二人はその身を崖の下に投げた。セシリアが崖の下を覗き見たときにはもう二人の姿は闇の中に消えていて、波が壁に当たって砕ける音だけがずっと耳に残っていた。
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