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28.学院の危機


 セシリアが自分の部屋に戻るためにベンチを立ったのは、それから数十分後のことだった。もらったサンドイッチを食べ終えて、星を見て、ため息をついて。

 そうしてようやく気分が落ち着いて、部屋に帰る気分になったのだ。涙はあれから出なかったけれど、気分はやはりどことなく落ち込んでいて、セシリアはとぼとぼと廊下を歩いていた。


(なんというか、遅くなちゃったな……)


 寮の廊下にはそれなりに人がいるが、もうどことなく今日は終わったと言う雰囲気を纏わせている。それを見ていると、今日が終わっていないのはセシリアただ一人のような気がして、また少し気分が落ち込んだ。

 そのままセシリアは部屋の前に立つ。鍵を開けて部屋に入り、後手で扉を閉めた。

 その直後、なぜか扉がトントンとノックされた。

 本当に部屋に入ってすぐだったので、びっくりした表情で振り向く。恐る恐る扉を開けて部屋の外を見れば、そこにはジェイドが立っていた。


「え! ジェイドどうしたの?」


 へらりと困ったように笑われて、何か用事があるのだと知る。

 ジェイドが一人でセシリアの部屋を訪れる事は珍しい。もしかしたら、ローランや他のみんなに何かあったのかもしれないと、彼女は扉を開けてジェイドを部屋に招き入れた。

 ジェイドは部屋に入ると、律儀に部屋の鍵を閉める。そして、セシリアに振り返った。


「ジェイド、何かあった? もしかして、ローランが何か?」

「ローラン?」

「え?」


 ローランの名を口にしたジェイドの目が、見開かれる。まるでその名前を初めて聞いたかのような驚きようだ。もしくは、ここにいるはずのない人物の名前を聞いた時のような反応にも見える。


「というか、その声――!」


 セシリアはジェイドから距離をとった。なぜなら、目の前で発せられる彼の声がジェイドのものではなかったからだ。

 その声の主を、セシリアは知っている。


「貴女、マルグリットね?」


 慎重に放った言葉に、ジェイドは驚かなかった。むしろ、当然と言った感じでセシリアの言葉を受け止める。

 ジェイドは……。いや、ジェイドの姿形をした彼女は、一度だけ両手で顔を覆うと、本当の姿をセシリアの前に晒した。


 彼女は、やはりマルグリットだった。


 長い髪も、背の高さも、びっくりするほどの美貌も、彼女のまま。

 彼女は伏せた長いまつ毛を起こして、セシリアを見つめた。


「えぇ、そうよ。お久しぶりね、セシル。……それともセシリアと呼んだほうがいいかしら?」


 凛とした冷たさを感じる声を、マルグリットは響かせる。

 好意的には見えないが、敵対的にも見えないマルグリットの態度に、セシリアはさらに彼女から距離を取った。窓を背にしているのは、いざというときそこから飛び降りるためだ。

 窓から地面までの高さはそれなりにあるが、下には低い生垣も植えられている。そこに落ちれば、怪我をするかもしれないが、命だけは助かるだろう。

 マルグリットに会いたいと思っていたけれど、もう一度ちゃんと話し合いたいとも思っていたけれど。こんな風に仲間に化けて近づかれて、それでも呑気に『話し合いましょう』と言えるほど、セシリアは能天気でもなかった。

 警戒するセシリアに、マルグリットは両手首を見せる。そこには腕輪がひとつしかはまっていなかった。姿を変えるために使った宝具以外は置いてきたということだろう。つまり、今の彼女はほとんど丸腰だ。


「貴女がそういう態度をとってしまうのもわかるけれど、いまの私に敵意はないわ。安心して」

「……」

「と言っても、安心はできないわよね」


 マルグリットの表情は、少しだけ残念そうに見えた。それはまるでセシリアに信用されてないことが、寂しいというような顔に見える。

 彼女の表情に動揺しならがも、セシリアは慎重に言葉を選ぶ。


「なんの用事できたの?」

「今日はお願いをしにきたの」

「お願い?」

「貴女だけでもいいから、この学院から逃げて」


 思いもよらぬ言葉に、セシリアは眉を寄せた。


「学院から逃げてって。……どういうこと?」

「ジャニス様が次に狙っているのは、この学院だからよ」


 大きく目を見開くセシリアに構うことなく、マルグリットはまるで時間が惜しいかのように捲し立てる。


「この学院には貴族の息子や娘などが集っているわ。いわば将来国を動かす卵たちね。貴女は考えたことはない? この学院の生徒が全員死んだら、この国はどうなってしまうんだろう……って」

「それは――」

「甚大な被害を被るはずよ? しかも、その事態を防げなかった国王に貴族たちが結託して反旗を翻す可能性もある。彼はそれを狙っているの」

「どうするつもりなの?」


 震える声でそう問えば、彼女は視線を下げた。


「それを言うほど、私は彼のことを裏切れないわ。……まぁ、これだけでも十分な裏切り行為でしょうけど」

「でも――!」

「他の人間なんてどうでもいいの。この国の人間にも、誰にも思い入れはない。だけど、……貴女には恩があるから。だから、逃げて」


 そんなことを言われて、はいわかりましたと頷くことなんてできない。逃げることなんてできない。ジャニスがそんな物騒なことを考えているのならば、止めなくてはならないからだ。

 セシリアはすがるような気持ちでマルグリットに一歩歩み寄った。


「貴女が止めることはできないの?」

「私にも止められないわ。そもそも止めるつもりもないしね」

「でも、貴女たちの作戦だと、たくさんの人が死ぬんでしょう?」

「だからどうでもいいの。私が大切なのは、あの人だけだから」


 マルグリットは冷めたようにそう言ってのける。

 セシリアには、彼女が嘘をついているようにはどうしても見えなかった。

 つまり、ジャニスが作戦をやめようとしない限り、彼女も止まらないのだろう。

 

 セシリアはマルグリットをじっと見つめながら、声を低くさせた。


「ごめん、私は逃げることなんてできないよ。みんなを置いて一人だけで逃げるなんて、そんなことは無理」

「そう……」


 マルグリットはセシリアにゆっくりと近づいてくる。そして、長い指先でセシリアの頬に触れた。


「残念ね」


 マルグリットが呟いた瞬間、セシリアの身体は石のように硬直した。まるでメデューサに見つめられた旅人ように、指先一つ動かせやしない。眼球だって硬直しているし、喉だって動かせない。これでは助けのひとつも呼べやしない。


(しまった――!)


 セシリアは固まった視界のまま、彼女の手首を確認する。するとそこには、先ほどまでなかった腕輪がきちんと七つはめられていた。セシリアを信用させるために認識を変えられる宝具とやらで、今の今まで腕輪を隠していたのだろう。


「貴女が簡単に頷かないことなんて想定済みよ。だから、無理矢理にでもきてもらうわ」


 そう言って彼女は、セシリアに触れていない方の腕を横に伸ばす。すると彼女の指先にある空間がひび割れた。いつか見た、別空間へ移動する力である。


「さ、行きましょう」


 マルグリットが頬から腕に掌を移動させると、セシリアの身体は自然と歩き出す。きっとこれは、マルグリットが触れている間だけ、他人を彼女の思うように動かすことができる力なのだろう。

 望んでもいないのに身体が勝手に歩き出す。向かう先は、あの空間の裂け目だ。

 あの先がどこに通じているのかはわからないが、きっとこの学院からとても遠いところに通じているということだけわかる。そうじゃなくては、セシリアはきっとこの学院にとんぼ返りをしてしまう。

 移動する気も失せるぐらいの遠い場所か。抜け出すことが不可能な牢屋の中か。それはわからないが、あの空間に足を踏み入れたらきっとこの学院には二度と帰ってこられないのだろう。

 セシリアは上げられない悲鳴を必死で上げる。


(いや――!)


『セシル!』


 聞きなれた声がして、扉がとてつもない音と共に吹っ飛んだ。

 突然の出来事に、マルグリットはセシリアから手を離してしまう。

 身体の自由を得たセシリアは、マルグリットから距離をとり、扉を蹴破っただろう人物のそばに駆け寄った。


「ダンテ!」

「無事?」


 ダンテの声が、珍しく焦っている。

 マルグリットは彼の姿を目に止めた瞬間、空間の裂け目に自ら飛び込んだ。ダンテはそれを追おうとするが、すぐさま空間は閉じられてしまう。


「あーもー、惜しい! いまの、例の逃げた神子サンでしょ?」


 直接マルグリットと顔を合わせていなかったダンテが、悔しそうにセシリアに確認を取る。


「うん。……でも、どうしてわかったの?」

「いや、だって。変な力使ってたし、聞いていた通りに綺麗な人だったし」

「そっちじゃなくて! どうしてマルグリットが私の部屋にいるって……」


 マルグリットが来た時、彼女はジェイドの格好をしていたはずだ。なのにどうして、ダンテはマルグリットがセシリアの部屋にいると思ったのだろうか。彼女が知りたいのはそこだった。

 ダンテは「あぁ、そっちね」と頷き、ここに駆け込んでくることになった経緯を話しだした。


「最初は、セシルの部屋の前に立っているジェイドを見つけて、『あぁ、珍しいなぁ』なんて思ってたら、しばらくしてセシルの部屋とは全くの別方向からジェイドが出てきてさ。それで……」


 ジェイドが二人いる! もしかすると、さっきのは……!

 ……で、走ってきてくれたらしい。


「でもまぁ、無事でよかったよ。まったく、アイツらも懲りないねぇ。……で、何のためにアイツらはセシルのことを攫おうとしたわけ?」

「――そうだった!」

「そうだった?」


 セシリアはダンテの腕を両手で掴んで、こう声を荒げた。


「ダンテ、みんなを集めて! もしかしたら、この学院が危ないかもしれない!」


面白かった時のみで構いませんので、評価やブクマ等していただけると、今後の更新の励みになります。

小説4巻、コミカライズ4巻。

どちらも絶賛発売中ですので、どうぞよろしくお願いします!

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― 新着の感想 ―
[一言] ギル推しだったので残念無念。 それは別として、どこまでも煮え切らない、曖昧で残酷な思考と態度。やはり、主人公のセシリアは好きになれませんでした。
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