26.バレンタインデーイベント
二月十四日――、それは、愛を祝う日。
二月十四日――、それは、恋人たちの日。
二月十四日――、それは、……戦いの日。
「セシル様ああぁぁあぁぁぁ!」
「ちょっともう勘弁して!!」
二月十四日、バレンタインデー当日。
セシリアは久しぶりに逃げていた。これでもかと逃げていた。力の限り逃げていた。
セシリアの後ろには、大勢の女生徒。前から現れて二人がかりでセシリアを捕まえようとしているのも、女生徒。何やら箒などを持って武装している集団も女生徒である。
そう、セシリアは久しぶりに女生徒から追いかけ回されていた。
原因はもちろん、恋愛系最大のイベント、バレンタインデーである。
『ヴルーヘル学院の神子姫3』は乙女ゲームということもあり、当然のごとく、バレンタインデーイベントが存在した。もちろん、ゲームに似たこの世界でも、同じようなバレンタインデーイベントがあるのだが、それは現代日本のイベントとは一線を画す物だった。
この国のバレンタインデーは男性から女性に、愛の印として一輪の薔薇を送るというものだった。ヴルーヘル学院でも男子生徒に薔薇造花で出来たピンが配られており、男子生徒はそれを意中の女生徒に送ることができるのだ。
送り送られた男女は学院の中で公的なカップルということになり、お互いに相手がいない場合、そのまま婚約という話になるということも少なくない。
ゲームでは、それを騎士がヒロインであるリーンに渡すというイベントが存在するのだが、ここにはヒロインに薔薇を渡す騎士も、頬を染めながら受け取る殊勝なヒロインも存在しない。
いるのは、狩人と化した女生徒と、
「セシル様! お待ちになってくださいませ!」
それから逃げるセシリアだけである。
「絶対、嫌だ!!」
この一大イベントに、ファンクラブ内の『セシル様にご迷惑をおかけしないため、お互いに抜け駆けをしない』という同盟は一度凍結。誰が一番早く推しを狩れるかという競争になっていた。
「セシル、がんばれー!」
その声に顔をあげれば、二階の窓からダンテが身を乗り出しながら手を振っている。その顔はどこからどう見ても、この事態を楽しんでいるようで、助けてくれる気はさらさら無いように見えた。
それでも唯一の望みをかけて「応援してないで助けて!」と叫んでみたが、答えは予想通り「えー、やだー!」というものだった。
本当に期待を裏切らない男である。
ダンテから視線を外し下の階を見ると、同じような感じでアインとツヴァイがセシリアの方を見ていた。その後ろからローランがひょこっと顔を出し、こちらの方を見ながら何やら話している。仲がいいことはいいのだが、やはり彼方もセシリアを助ける気はないようだった。
「みんなの裏切り者!」
セシリアは平和そうな彼らを見ながら、うらめしげにそう吐き捨てるのだった。
そして、三十分後――
「で、ここにきたというわけですか?」
「……はい」
セシリアの姿は研究棟のグレースの部屋にあった。
膝を抱えた状態で部屋の隅に縮こまるセシリアを見ながら、グレースは半眼になった。それはもうどこからどう見ても呆れている顔である。
「うちを緊急シェルターみたいに使わないで欲しいんですが……」
「だって、ここなら普通の女生徒は入ってこないしさ。すごくいい隠れ家だと思って……。今日半休でさ、今から授業なくて! 夕方まででいいから匿ってくれない?」
「匿うのは別に構いませんが、今日は清掃が入るので長くはいれませんよ?」
「えー! なんでそんなタイミングが悪いの!?」
「この日なら研究員たちの反感が少ないからですよ。研究者の半分以上は既婚者ですからね。今日ぐらいは早く家に帰って、配偶者や家族と過ごそうって人が少なくないんです」
基本的に自分の研究室に人を入れたがらない研究者たちの気持ちの隙を突いたということだろう。グレースはセシリアの方を見ることなく「それでも帰らない研究員はいますがね……」と続けた。
「というか、バレンタインイベントですか。そんな物騒なイベントになっているのならば、もういっそのこと誰かに薔薇を渡してしまえばいいのでは?」
「私もそれを考えたんだけどね。このイベントで薔薇を送って受け取ってもらったりなんかしたら、学院の公式カップルみたいになっちゃうでしょ? そうなったら、色々面倒というか、なんというか」
「まぁ、婚約ってところまで話が飛んだら、女性であることがバレるどころか、そのせいで無用な批判は浴びかねませんよね」
「まぁ、相手の女性が何も言わないならいいんだけど。でもリーンにはヒューイがいるでしょ? グレースには……」
「はい?」
「まぁ、送ってくる人がいるかもしれないじゃん?」
モードレッドが……とは言わなかった。二人の関係がそこまで進んでいる様子はないが、もしかするともしかするかもしれないからである。なんの拍子で裏の人格が出てくかわからない男から間男認定された暁には、命がいくらあってもやしない。
ちなみに隠すことも考えたのだが、ハンティングがトレジャーハンティングになってしまうだけのような気がしたし、薔薇の茎に結ばれているリボンにはそれぞれの男子生徒の名前が書いてあるのだ。万が一見つかれば取り返しがつかない事態に陥ってしまう。
自分が隠した薔薇が誰かに見つかるのを怯えて待つよりは一緒に逃げる方がよほど精神的には楽である。
「そういえば、ギルバートさんとデートに行ったとお聞きしましたが……」
「え。もしかして、リーンから聞いたの?」
「はい。まぁ、そうですね」
セシリアが驚いたのには理由があった。グレースは二日ほど前まで研究の中間発表があるとかないとかで、とても忙しくしていたのだ。なので、デートの件なんて誘われた事実から行ったことまで彼女の耳には入っていないはずだった。
雑談として振ってくれたのだろう、彼女の視線は手元に落ちたまま背後のセシリアに話を振ってきてくれる。
「それと、ギルバート本人さんからもお聞きしました。まぁ、彼は『デート』という表現は使いませんでしたが。ジャニスと会った時のことについて意見を求められました」
セシリアはその言葉にハッとして身を乗り出す。
「グレースはどう答えたの?」
「どうと言われましても、もうゲームの中のシナリオからは大きく逸脱していますし、私から言えることはほとんどなかったです。ただ……」
「ただ?」
「セシリアさんは占い師に扮したジャニスに手を求められたのでしょう? そのことから考えておそらくジャニーズは次の準備のために、自分の合図で障りを発芽できる人を増やしていたのだと思います」
「次の準備? やっぱりジャニスは何かを企んでるのかな?」
「どうでしょう。でも、そう思って動いた方がいいとは思います。本当にもう何も企んでいないのならば、彼らがアーガラムに留まる理由はありませんから」
「そう、だよね……」
「もちろん、杞憂という可能性はありますがね」
グレースはそこで言葉を切った。そして、セシリアの方に振り返り、唇を引き上げる。
「で。デートは楽しかったんですか?」
「あぁ、うん! 楽しかったよ! 昔のこととか色々思い出しちゃった!」
「リーンさんから、旅行も行ったとお聞きましたが」
「うん。そっちも楽しかったよ。ノルトラッハって、オーロラ見えるんだって! 私もいつか見たいなぁって思っちゃったよ」
ほくほくとそう思い出話をするセシリアを見ながら、グレースは小首を傾げる。
「それで、そろそろ気持ちは固まりそうなんですか?」
「え?」
まさか、恋愛に全く興味がなさそうなグレースからそう聞かれるとは思っていなくて、セシリアは固まった。そして、じわじわと頬を赤らめさせたあと、頭をかく。
「いやぁ、グレースもそういうことを聞くんだね」
「まぁ、一応気になりますしね?」
「恋愛ごととか興味ないと思ったのになぁ」
「言っておきますが、私が気になるのは貴女がちゃんと幸せになるかどうかですからね? お相手は正直どちらでもいいと思っていますし。それどころか、どちらも選ばないなんて選択肢があってもいいと思っていますよ? 恋愛だけがすべてだなんて、時代錯誤なことを言うつもりはありませんしね」
彼女らしいセリフを彼女らしい無表情で淡々と述べた後、グレースはわずかに視線を下げた。
「私、これでも反省しているんですよ。前世で貴女たちが死んだのは、私のせいじゃないかって……」
「そんな――!」
「ま、そんな後悔しても遅いことなんて、大して後悔もしてはいないんですが」
「……」
「だからまぁ、できれば貴女には幸せになっていただきたいんですよ。前世の分まで」
グレースの言葉に、セシリアは少し固まった後、小さくしている身体をさらに縮こめた。
「私はさ、自分の気持ちがわからないってのもあるんだけど、やっぱりどっちにも傷ついてほしくないって気持ちがあるんだよね。二人とも大好きだから、幸せになってほしいというか。だからできればあんまり考えたくないって気持ちがあるんだよね。ちゃんと考えなくちゃいけないっていうのはわかってるんだけど……」
「自分のせいで誰かが不幸になるだなんて、ずいぶんと傲慢な考え方ですね」
「うっ!」
鋭いボディブローに、セシリアの身体がはねた。図星をつくにしても、もう少し考えてついてほしい。
グレースは表情をわずかに歪めて笑みを作る。
「大丈夫ですよ。貴女が思っているより、お二人とも強い方です。まぁ、そりゃ傷つかないわけはないと思いますが、どちらもきっと立ち直れる方ですよ」
「それもわかってるんだけどさー」
「それと、自分の感情について悩んでいるのならば一つアドバイスです。『その人の幸せを願うこと』と、『その人と幸せになろうとすること』は、似ているようで、全く違った感情ですよ? いちど立ち止まって考えてみたらどうですか?」
セシリアはグレースの言葉に閉口した。
だって、『その人の幸せを願うこと』と『その人と幸せになろうとすること』の違いなんて、そんなこと考えたこともなかったからだ。
グレースはまるでもう話が終わったとばかりに立ち上がる。
「ということで、そろそろ清掃が入ると思いますので、部屋から出てください」
「グレースは? 今日はもう帰るの?」
「私は、今日も先生とエミリーにおうちにお呼ばれしていまして。最近多いので悪いとは思っているのですが……」
「あ。そう……」
あんな風にアドバイスをしてくれたグレースだが、もしかすると彼女も自分の恋愛に関してはセシリアに負けず劣らずの鈍感なのかもしれない。
もしかすると、セシリアが過敏になっているだけで、そういう話ではないのかもしれないが。
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