20.図書館で
その翌日――
「ローランです。ノルトラッハから留学してきました! 皆さんと一緒にこの学院で学べることを心より嬉しく思っています!」
セシリアたちと同じヴルーヘル学院の制服に身を包みながら、ローランはそう元気に自己紹介をした。
場所はいつもお世話になっている食堂の中。ローランの前には、いつものメンバーがいた。モードレッドをのぞく騎士七人とヒューイ。そして、リーンである。もちろんセシリアも一緒だ。
案内を頼む際、ジェイドにはもうローランを紹介していたのだが、ギルバートの提案で、何かあった場合に協力を仰ぎやすいよう、みんなにも紹介することになったのだ。
もちろん身分の方は誰にも明かしていない。
みんなは突然の留学生に少し驚いていたが、基本的に人のいい人間が揃っているからか、すぐに受け入れてくれて『ノルトラッハから来たのだからいろんなところを案内しよう』という話になった。
みんな少し、はしゃいでいるというか、浮き足立っているようだった。
「学院の方は、もうボクが案内したよ!」
「それなら、案内するなら街の方だね。ローラン、行きたいとこあんの?」
ジェイドが片手を上げながら少し自慢げにそういうと、ダンテがローランの首に手を回し、彼を覗き込む。
ローランはそんなパーソナルスペースゼロみたいなやりとりにも全く怯むことなく「行きたいところ……」と顎に手を置いて考えを巡らせた。
そして逡巡の後、ハッと顔を跳ね上げた。
「ここらへんで一番大きな図書館に行きたいです!」
そして一時間後、全員の姿は学院からさほど離れていない図書館の中にあった。
「わあぁあぁぁ! 素晴らしい! 素晴らしいです!」
そこはまるで、広くて長い、だけど明るい、トンネルのような場所だった。
トンネルだと表現してしまいたくなるのは、どこまでも高い天井が蒲鉾型にアーチを描いていたからかもしれないし、広い廊下のようなメインフロアの先が、先の見えないトンネルのようにどこまでも続いていたから乾かもしれない。
とにかくそこは、とてつもなく広くて長い場所だった。
トンネルのようなメインフロアから左右に伸びる本棚の列。吹き抜けになっているそことは対照的に、本棚のところは二階建てになっており、天井にまでぎっしりと本が詰まっている。年代物の背表紙と真新しい背表紙がまぜこぜになっている様はまるで生物の新陳代謝がそこで行われているかのようだった。
「ここにはどのくらいの本があるんですか?」
「約二十万冊の本があるとされていますね」
「二十万冊!」
ここに日頃から通っているのか、さらりと答えたギルバートにローランはさらに目を輝かせた。
その様子に、ジェイドはローランを覗き込む。
「そんなに喜ぶってことは、ノルトラッハはあまり本が豊富じゃなかったの?」
「そういうわけではありませんが、ノルトラッハは紙一枚の値段がこの国よりも高いんですよ。ですから、本の値段がこちらよりも高く、種類も限られてきてしまうんです」
「そっかー」
「山も木も多い土地なので自国で紙を作ることができればまだ値段は抑えられると思うんですが、いかんせんノウハウがまだ乏しいんですよね」
そんなやりとりをしている後ろで、ダンテが少しがっかりしたような声を上げる。
「ほんかー……」
「なんだ、面白くなさそうだな」
オスカーにそう指摘され、ダンテは唇を窄めた。
「だって俺、本に興味ないもん。読んでたら眠たくなるし、夢物語にも興味ないし」
「ある意味お前らしいな」
「それに、どうせ連れてくなら、ちょっと羽目を外したようなところ連れてってみたかったなぁって! ほら、ローランってどこからどう見てもいいところのお坊ちゃんじゃん? そういうところ、免疫ないと思うから反応楽しみにしてたのになぁー」
「お前の周りにいる人間は、お前のおもちゃじゃないんだぞ?」
「マジで? 知らなかったー!」
「お前な……」
おどけたようなダンテにオスカーは疲れたような声を出す。
そんなやりとりの一部を背中で聞いていたのだろう、ローランは身体を回転させて、二人に向き合った。
そして、純真無垢な汚れなど知らないような瞳を彼に向ける。
「ダンテ……でしたよね? 私をどこに連れて行ってくれるつもりだったのですか? 羽目を外したところって具体的にはどこになるんですか?」
「えー、聞きたい?」
「聞きたいです!」
本当に純粋に面白いところに連れて行ってくれると思っている彼は、胸元に手を置きながら何度も頷いて見せる。
「ローラン、こいつの話は聞かなくて――」
「そうだなぁ、それじゃどこがいい? 具体的には三つ考えてたんだけど……」
「三つもですか?」
「気持ちよくお財布をすっからかんにできるところと、気持ちよく女の子とおしゃべりできるところと、単純に気持ちよくなれるところ。あぁ、若干法律ギリギリのところもあるんだけど、その辺は気にしないで! ちゃんと網の目をかいくぐらせてあげるから!」
「クズですね」
「クズだな」
「クズだね……」
ギルバート、オスカー、ジェイドの順で同じ評価をもらうが、ダンテは全く動じることなく「やだなぁ、そんなに褒めないでよ」と悪い笑みを浮かべた。
人を疑うことを知らないのか、それともダンテの言葉をそのままに受け止めているのか、ローランは悩ましげな声を出した。
「どこがいいでしょうか。どこも気になるんですが……。ではまずは、財布を――」
「はいはい。ダンテの言うことは真に受けんな!」
「ローラン、あっちの方に民俗学の本あったよ?」
アインとツヴァイがそう言ってダンテから引き離し、ローランは「わ! ありがとうございます!」と嬉しそうな笑みを浮かべる。
そんな彼らを見つめながら、セシリアは苦笑いをこぼした。
隣を歩くのはリーンである。
「なんかみんな楽しそうだね」
「そうね。なんだかんだいってみんなお人好しだから、どこからどう見ても訳ありのローランをほっとけなかったんでしょ?」
「そんなにローラン、訳ありに見える?」
「アンタがノルトラッハから帰ってきた翌日からいるのよ? どこからどう考えても訳ありじゃない。アンタが連れて帰ったって時点で相当な訳あり案件だなってみんな感じるわよ」
「あはは……、そっか」
申し訳ないような頼もしいような気持ちが胸の中を占拠する。
視線の先ではアインとツヴァイに手を引かれたローランが目当ての本を見つけて飛び上がっていた。そして本を取ろうと梯子をのぼり、そんな彼をヒューイが慌てて支える。そして、ギルバートが彼のことを叱っていた。きっとあれは「あまり危ないことをしないでください!」とでも言っているのだろう。
「アインとツヴァイには言った方がいいのかな」
「何を?」
「ローランの出生……というか、身分?」
はっきりと確定したわけではないが、アインとツヴァイの母親が死ぬことになった原因は、おそらくジャニスだ。そんな彼の弟であるローラン。その事実を隠したまま二人に友人付き合いをさせてもいいものなのかとセシリアは悩んでいたのだ。
思い悩むようなセシリアの表情に、リーンはカラッとした声を響かせる。
「やめときなさいよ。そんなこと言ったって、誰も得しないでしょう?」
「それはさ、そうなんだけど」
「正直でいることだけが優しさじゃないわよ。ジャニスの件はローランがわるいわけじゃないし、アインとツヴァイだって、仲良くなれるかもしれない人間を色眼鏡で見たいわけないじゃない」
「そう、だよね」
それでも、とも思うのだ。
自分の大切な人を殺した親族と仲良くしたいと思う人間がいるのだろうか、と。
過酷な経験すぎて、自分の身に起こったら……なんて考えられる次元ではないのだけれど、それでも想像の中の自分はそれをきちんと受け止められる気がしないのだ。リーンが言うこともわかるが、それならば最初から距離を取らせておいた方が幸せなんじゃないのだろうかと考えてしまう。
「アンタは黙って、見守ってればいいのよ。それで、もしバレたらアンタが悪役になればいいだけじゃない」
「悪役?」
「どうして教えてくれなかったんだって罵りをちゃんと受け止めて、ローランに軽蔑の目で見られたらいいわ。頬を一発ずつでも殴らせればいいじゃない!」
「気軽にいうなぁ」
「でも、それが私の考えうる最大の優しさよ。『仲良くできるかもしれない』って可能性を潰す行為の方が私にとってはずっと優しくないし、悪だわ」
どちらが正しいとか、そういうものはこれにはないのだろう。ただ、自分自身の答えをはっきりと決めている彼女がセシリアには眩しく思えた。
「リーンって、大人だなー」
「アンタはいつまで経っても子供よね?」
「ひどい!」
「ひどくないわよ。褒めてるんだから」
リーンはセシリアの方を見ると、ふっと表情を和らげる。
「大人なんていつでもなれるのよ。子供もままでいることの方がずっと大変なんだから、あんたはずっと子供でいなさい」
その言葉にセシリアは目を瞬かせた後、「やっぱりリーンは大人だなぁ」と苦笑を滲ませた。




