11.イン ザ クローゼット
翌日。ノルトラッハに来て三日目の朝だ。
セシリアは昨日と同じように使用人の格好になり、やっぱり昨日と同じように自室からロープを垂らした。メガネを落とさないようにポケットに入れ、彼女はロープを掴んだまま窓の外に躍り出る。指を火傷しないように布を巻くのも忘れてはいない。
慣れた手つきでいとも簡単にロープを降り切ったセシリアは「よし!」と胸元でガッツポーズをした。
実は、今日の目的地はもうは決まっているのだ。
(地図も書いてもらったし、ばっちりね!)
そう思いながら開いたのは小さなメモ帳の切れ端だった。そこにはこの王宮の大まかな地図が描かれている。これは昨日仲良くなった使用人の一人、アンヌが教えてくれたものだった。
『私もまだ覚えきれてないんだけど、よかったら写す?』
まだここに入ってきて間もないアンヌはそう言ってポケットから手書きの地図を見せてくれたのだ。それを慌てて写したのがこれである。
そして、地図には一つの星マークが足されていた。アンヌの地図にはなかったマークである。それはセシリアが彼女たちの話を聞きながら書いたもので、そここそが本日の目的地だった。
セシリアはその星マークに向かって歩き出す。
歩を進めながら思い出すのは、使用人の彼女たちとお菓子を頬張りながらした会話だった。
『ジャニス王子って本当にすてきだったんだから! 私たちにも気さくに話しかけてくれるいい人でね』
『今はちょっと外交で城を留守にしているみたいだけれど、またお会いしたいわぁ』
『私なんて小さい頃から知っているけれど、本当に彼ほど繊細な人はいないよ』
素敵で、気さくで、いい人で、繊細。
セシリアの知っているジャニスとはまるで別人だ。たしかに彼は一見素敵な人間だし、気さくだが、決していい人ではないし、繊細でもない……気がする。けれど、彼女たちからはジャニスの悪い噂はほとんど聞くことができなかったのだ。セシリアでも聞いたことがある『嫁いできた姫の腕を切り落とした』という話だって彼女たちは――
『そんな噂も確かにあるはあるけど、私たちは姫の方をよく知らないからね。嫁いできた姫がとんぼ帰りしたのは本当だけど、知っている事実はそれぐらいだよ』
『それに、あのジャニス王子がそんなことするわけないもんね?』
『そうよねぇ』
と一蹴したのだ。
ジャニスは本当に、使用人たちからは好かれていたらしい。
それから話は王族のことに飛んで、セシリアは使用人たちからノルトラッハの王族の話を色々と聞くことができた。
その中で特に印象に残っているのは、イザベルの話だった。
『ジャニス王子にはね二人のとても優秀なお兄さんがいたんだけど、亡くなってしまってね……』
しかも、その時期にちょうど彼の母親も相次いで亡くなってしまったらしく、彼はあまりのショックに一時期部屋にこもって出てこなくなってしまったらしいのだ。
『上の二人の王子が亡くなって、ジャニス王子が王位継承権第一位になってしまったから、色々噂する人たちもいてね。あの時ほど王室が荒れたことはないわ。国王様もジャニス王子を疑っているのか、次期国王だと正式に指名はしていなかったみたいだし……』
『でもやっぱり、ジャニス王子が何かしただなんて私には考えられないわ!』
『当たり前よ!』
『そういえば、ちょうどその時からですよね? ジャニス王子の放浪癖が始まったのって……』
『きっと、考える時間が欲しかったんでしょうね』
セシリアは使用人たちの話を思い出しながら息を吐き出した。
彼女たちの話のどこまでが本当でどこまでが嘘なのか、それはわからない。しかし、そういう話を聞くとちょっと彼に同情してしまう自分がいるのもまた事実だった。
しかしそれで、彼が自分達にしてきたことが許されるわけではないし、彼に相対することがこれからあったとしても、手心を加えるつもりは毛頭ない。
(何が本当で、何が嘘かは後で考えればいいわよね。まず私は情報を集めるだけよ!)
星印の場所に辿り着いたセシリアは、目の前の扉を見上げた。
そこはなんとジャニスの部屋だった。鍵はもちろん、使用人室から持ち出している。
(バレないように入って、バレないように出てくれば問題ないわよね!)
とは思うが、自国ではなく隣国の王族の部屋に無断で侵入するという事態の重さに、セシリアの頬には冷や汗が伝った。普段ここはあまり掃除もしないらしいし、廊下の人通りも少ない。黙って入って黙って出てくれば、きっと何も問題はないはずだと思うのだが……
(うぅ……、緊張する)
そう思いながらまずは部屋の鍵がかかっているかどうか確かめるためにドアノブを回した。すると……
「あれ……?」
開いている。
開けるまでもなく、彼の部屋の扉は開いていた。
不思議に思いながらもセシリアは急いで部屋の中に入り、後ろ手で扉を閉める。そして部屋の中を見回した。
部屋の主人がいないからか、部屋の中はとてもがらんとしていた。使用人たちがいつ入ってもいいように、重要な書類などは置いていなかったし、お金に変えられるような貴金属類も見当たらない。執務を行うための大きな机と、手前にローテーブルとソファーだけが置いてある空間だ。
セシリアは執務室の引き出しを確かめたあと、クローゼットを開ける。引き出しの中には万年筆が一本。クローゼットにもコートが一着かかっているだけだった。
「何もない、か……」
ジャニスがそうしたのか、彼の周りがそうしたのかはわからないが、部屋の中に彼の私物と呼べるものはほとんど残っていなかった。これではジャニス王子の情報どころではない。
「残念だけど、何もないなら仕方がないよね」
期待していた収穫がなかったことに落ち込みながらも、彼女は切り替えるようにそう言った。そして、できるだけ早く部屋からお暇しようと思ったその時――
「何をやってるだ、セシリア」
先ほど閉めた扉の方から聞き慣れた声がして、セシリアは振り返った。
そして、大きく目を見開く。そこにいたのは見知った人物だった。
「へ? オスカー!? ど、どうしてここに!」
「昨晩、お前の様子がおかしかったからな、つけさせてもらった。でもまさか、変装までして家探しを始めるとは……」
オスカーは大きくため息をつきながら頭を抱える。
どうやらローランとの約束は昼からだったらしい。だから、午前中はセシリアと一緒に過ごそうと思っていたところ、何やら彼女が怪しい動きを見せるものだからついてきてしまった、ということのようだった。
彼はこちらに向かって歩いてくる。
「部屋の窓からロープが垂れているのをみた時の俺の気持ちがわかるか? 『またやったな、あいつ』だぞ? いいかげん、大人しくできないのか? まさか、止まったら死ぬのか!?」
「まぁ、そう考えていた時期もありました」
ほんの数ヶ月の前までの話だ。今はさすがに『止まったら死ぬ』とまでは考えていないが、『動いていないと死ぬかもしれない』ぐらいは思っている。
「というか、オスカー。よくこれが私ってわかったね!」
セシリアはそう言いながら手のひらで自分を指す。
自分で言うのもなんだが彼女の変装は完璧だったはずだ。服装は元より、ウィッグだって被っているしメガネだってかけている。「もしかしたらバレるかもしれないなぁ」とは思っていたが、本当にバレてしまうなんて驚きだ。
セシリアの言葉にオスカーは腕を組んだ状態でふんと鼻を鳴らす。
「そう何度も何度も騙されるか。……というか、用事は終わったのか? それならそろそろ出るぞ。さすがの俺でもこの状況は説明のしようがないからな」
部屋の鍵は空いていたのだから「道に迷っちゃいました!」の言い訳が通じるかとも一瞬考えたのだが、セシリアたちが泊まっている場所とここは結構な距離がある。この王宮がセシリアたちにとって不慣れな場所だということを考慮してもこれはちょっと離れすぎているし、第一、彼女は変装してしまっているのだ。
これでは言い訳のしようがない。
早く出ないと、と、二人が部屋の扉につま先を向けた時だった。
部屋の外から微かな足音が聞こえてくる。
「やばいやばいやばい! どうしようオスカー」
「どうしようと言われてもな……」
セシリアの顔もそうだが、オスカーの顔もこわばっている。
彼女は部屋の中全体を見回して、先ほど開け放ったクローゼットに目を留めた。
そして、何を思いついたのか、オスカの背を押し始める。
「オスカー、入って!」
「は?」
「いいから! 早く!」
セシリアはオスカーをクローゼットに詰め込み、同じクローゼットに自分も入る。そして扉を閉めた。暗くなった庫内で、セシリアはオスカーの身体と自分の身体をピッタリと合わせて息を押し殺した。
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