3.その瞬間、喉がひゅっと嫌な音を立てた。
昨日はすみませんでした。
一方その頃、空き教室にはオスカーとギルバートがいた。
リーンとセシリアを先に返した二人は、被っていたカツラを取り、二人同時にため息をつく。
「まったく、着させるだけ着させておいて、あいつらは……」
「本当ですね」
そう愚痴を吐き出しながら、彼らは自身が着ているドレスに手をかけた。
二人が着用しているのはデコルテなどが出るような正装ではなく、七分袖の半正装。一般的にはディナードレスと呼ばれるものだ。絵を描くためだけに用意したものだからか本物の半正装より簡易的な造りになっており、一人で着たり脱いだりするのも出来なくはない。しかしながら、女性ものの服を着るということがそもそも不慣れなので、ボタンを閉めたり裾を整えたりという作業は、二人が協力して行っていた。
「紐を緩めますから、後ろを向いてください」
「悪いな」
そう言ってオスカーが背中を向けると、ギルバートは器用にスカートを固定していた紐を解いていく。レースの間に隠れているボタンを自らの手で外せば、幾分か呼吸が楽になった。
「それにしても、お前手慣れてるな」
「まぁ、俺は器用ですからね」
「自分で言うのか」
「事実ですから」
ギルバートは淡々とそう言いながら最後のボタンを外し終わる。
オスカーはドレスを持ち上げるようにして脱ぎ、今度は背を向けたギルバートのドレスの紐を外し始める。
「それに、セシリアのドレスを緩めてたこともありますからね」
「……は?」
あまりの衝撃に、オスカーの手が止まる。
ギルバートは大きく目を見開く彼を振り返り、呆れたように片眉を上げた。
「なんて声を出しているんですか。……幼い頃の話ですよ」
「幼い頃でもダメだろ!」
「別に変なことをしたわけじゃないですよ」
ギルバートはため息をつきながら、自身で正面のボタンを外し始める。
「ご飯を食べすぎて気持ち悪いと言うので、背中の紐を緩めてたりしてたんです。セシリアは社交界にほとんど出ていませんでしたからね。家でも、正装した状態で食事をする練習とかを頻繁にしていたんですよ」
「あぁ、そういうことか。……でも、それは羨ましいな」
「……ドレスの紐を緩めるのが?」
真っ黒なオーラを放ちながら再び振り返ってきたギルバートに、オスカーは真っ赤になって反論する。
「ち、違う! なんというか、その。お前には思い出があるんだなと思って、だな……」
「思い出?」
「俺が知らないセシリアを知っているというのは、普通に羨ましいだろう?」
幼い頃から一緒にいるギルバートに比べて、初対面から今まで、十二年間の空白があるオスカー。
今更それをどうこう言うつもりはないが、羨ましいと思ってしまうのも彼の本音だった。
「貴方は、そういうところが本当に素直ですよね」
「そうか?」
「はい。少なくとも俺には、そういう真似はできませんよ」
紐とボタンを全て外し終わると、ギルバートもドレスを脱ぐ。
二人はドレスをざっくりと畳むと、リーンが『脱ぎ終わったドレスはここに置いておいてくださいませ!』と言っていた机の上に置いた。そして、ドレスを着るために裸になっていた上半身にシャツを羽織る。脱いでいたのは上半身だけなので、シャツのボタンを閉めて上着を着れば元通りだ。
「というか、前々から聞きたいことがあったんだが、今いいか?」
「はい。なんでしょう?」
「俺がセシリアに送っていた手紙、お前が処分していただろう?」
その言葉に、ギルバートのボタンを留めていた手が止まった。しかしそれも一瞬のことで、彼はすぐに手を動かし始める。
「あぁ、気がついていたんですね」
「気がついていたんですね。って、お前なぁ……」
「検閲ですよ。変な虫がつくと何かと大変でしょう?」
「虫って――」
虫と呼ばれてしまう王子様である。
オスカーは口をへの字に曲げたまま、少しだけ低い声を出した。
「お前、もしかして俺のことが嫌いなのか?」
「今頃気がついたんですか? というか、好かれてるとでも?」
「なっ――」
あまりの辛辣さにオスカーが狼狽えたような声を出すと、ギルバートは目を合わせないまま、どこがバツが悪そうにこう続けた。
「でもまぁ、最近は前ほどじゃないですよ」
「そうなのか?」
「……あんまり嬉しそうな声を出さないでください。貴方はそういうところがずるいんですよ」
「ずるい? 俺がずるいのかどうかはよくわからんが、多少は評価が持ち直しているようで良かった」
本当に安心しきった声を出すオスカーに、ギルバートは僅かに肩をすくませた。
淡々と作業をする彼にオスカーは少しだけ不服そうな声を出す。
「だとしても、手紙を破っていたことは怒ってるんだからな」
「別に怒られても構いませんよ。ちゃんと読んで私的な内容以外は両親に伝えていましたし、問題はないでしょう?」
問題はない。たしかに問題は問題はないが、だからこそそのせいで、オスカーは自分の手紙がセシリアの手に渡らずに処分されているということに気がつくのが遅れてしまった。
「お前は、俺が怒るとは考えなかったのか……」
「怒ったとしてなんなんですか。貴方がそのことで俺を罰するとでも? 私的な手紙を通さなかっただけで?」
「そ、それは……」
「俺は昔から、貴方のそういうお人好しで、多少潔癖なところを信頼していますよ。貴方は自身の権力を自分のために使うような人じゃないでしょう?」
いけしゃぁしゃぁとそう言ってのけるギルバートに、オスカーは口角を下げる。
「お前みたいなのを腹黒と言うんだろうな……」
「こんなのは腹黒ではなく、ただの状況判断です。それと、潔癖も大概にしといたほうがいいと思いますよ? 潔癖なままで国を動かされては、こちらも困りますから」
「お前なぁ……」
誰のせいでセシリアとの思い出がないとおもっているんだ! と言いたくなったが、仮にもしオスカーの手紙がセシリアに届いていたとして、どちらにせよ彼女はオスカーの『会いたい』という申し出を断っていただろう。だって彼女は、オスカーと会うのを怖がっていたのだ。どこの誰かもわからない、ゲームの中の自分のせいで……
(でもそうか……)
そこでオスカーは何かに思い至り、こちらに背を向けるギルバートを振り返った。
「お前は、セシリアが自分で断りの手紙を書かなくてもいいようにしていたんだな」
「は……?」
もしギルバートが素直に手紙を渡していたら、心優しい彼女はオスカーの申し入れを断ることに申し訳なさを感じてしまっていただろう。セシリアはギルバートのように、どうせ罰せられることはないだろうと手紙を無視することはできなかっただろうし、断りの手紙を書くのにも大変な精神力を消費してしまっていたに違いない。
「もし仮に、俺が申し出を断られたからと怒るような性格でも、これならセシリアに罰は行かないだろうからな。……お前は優しいな」
「貴方のそういうところが、本当に嫌いです」
否定も肯定もしないその言葉に、オスカーは吐き出すように笑った。
「で、着替えは終わったんですが、これは持って行ったほうがいいんですかね」
ギルバートがそう面倒臭そうに吐いたのは、二人とも着替えを終えた直後だった。彼の視線の先には山のように膨らんだ二着のドレスと、絵を描くのに使おうと思っていたのだろう、箱の中に入った数多くの小物たちがあった。
「さすがに女性一人に運ばせる量ではないな」
「まぁ、運ばせてもいいかなって一瞬よぎりましたけどね」
持ってくるのは彼女一人でこなしたのだから、きっと運べない量ではないのだろうが、だとしてもこのままここに置いていくのは良心が咎める。
「リーンはどうするつもりなんでしょうかね……」
「素直に帰ったところから考えて、明日の空いた時間に片付けるつもりなんじゃないか?」
「それなら、その時に手伝えばいいですね。とりあえず邪魔にならないように、端にまとめておきましょうか」
「そうだな」
そう言ってオスカーが机の上に乗っていたドレスを持ち上げた瞬間、ギルバートの足が滑った。どうやらドレスの端を踏んでいたようで、持ち上げた時に足を取られてしまったらしい。
「わ!」
「おい!」
引っ張られたドレスがオスカーの手から離れてふわりと舞う。
それを拾おうと手を伸ばしたオスカーもバランスを崩し、よろけたギルバートを壁に押し付けた。
そして――
「二人ともごめん、入るよ! 忘れ物、取りに来ちゃっ……」
その言葉と共に開いた教室の扉。
「え?」
「あ」
「……」
壁に手を置いたオスカーに、頬を引き攣らせるギルバート。
そんな二人の視線の先には、目の前の光景を見て固まるセシリアがいた。
「あ! な、なんかごめん!」
この状況をどう理解したのか、セシリアは頬をにわかに染める。そして、彼女は入り口付近に置いていた自分の鞄を引っ掴むと、そのまま踵を返した。
「お、お邪魔しました!」
「ちょ、ちょっと待て! 違うんだこれは! 言い訳をさせてくれ!!」
まるで浮気が見つかった男性の狼狽え方で、オスカーはそうセシリアの背中に声をかける。しかし、セシリアはその声に止まることはなく、そのまま逃げていってしまった。
教室から消えたセシリアに、オスカーは呆けたような声を出す。
「なんで、お前がそんな勘違いをするんだ……」
「……オスカー」
「ん?」
正面から聞こえてきた声に視線を戻せば、鬼と目があった。
「どけ」
その瞬間、喉がひゅっと嫌な音を立てた。
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