27.「ちょっと待ったー!」
「ツヴァイ様、遅いですわね……」
神殿近くの森。ジェイドの宝具から顔を出しながら、そう言ったのはリーンだった。彼女が見上げる先にあるのは、星空を背景にした神殿。夜の暗闇にぼんやりと浮き出る神殿の白と、仄かに漏れ出てくる灯りを眺めながら、リーンは首を傾げた。
「もしかして、失敗したんでしょうか?」
「さぁな。もともと穴のある作戦だったんだから、失敗してもおかしくねぇんじゃねぇか?」
「ヒューイ様ってば、そういうこと言いますのね」
不満を表すようにリーンは唇をへの字に曲げる。
手筈ではもうそろそろ彼女のハンカチに短剣が送られてくるはずなのだが、地面に敷かれているそれには、今のところ全くといって反応がなかった。
「モードレッド先生もあれから帰ってきていませんし、大丈夫でしょうか……」
「どっかで迷ってるんだろ」
「もう! またそういう……」
「つっても、本当のことだろ」
数分前、『少し外の様子を確かめてきますね』と、モードレッドは外に消えていってしまった。もちろん、リーンもヒューイも止めたのだが『さすがにこの範囲では迷いませんよ』と、彼は微笑んだだけだった。
「というか。アイツがいなかったら、どうやって神殿まで行くんだよ? 神殿に詳しいの、アイツなんだろ?」
「一応、地図は描いてもらっていますけど……」
『障り』の研究者であるモードレッドは、『障り』と縁の深い神殿にも詳しい。神殿の最奥にある祭壇の場所は、グレースの情報があるのでなんとなくわかってはいるのだが、道案内がいた方が迷わないだろうと、モードレッドにも念のためについてきてもらっていたのだ。
「まぁ、意気込んでるのはいいことなんだろうけどな……」
ヒューイがそう呆れたようにため息をついた時だった。
「――あぁ、そんなところに隠れてたんだ」
静かな、それでいて笑んだような声が森の奥から聞こえてきた。
その声に、二人は同時に振り返る。
「誰だ」
声がした先には、暗闇しかない。木々の影が幾重にも重なり、先が見えないのだ。足音がだんだんと大きくなり、足からゆっくりと声の主が姿を現す。
月夜に照らされたその姿は――
「ジャニス王子……!」
リーンは声をなくす。
ヒューイは咄嗟に彼女を自身の後ろに庇った。
「――貴方、なんで!?」
「僕があんな見え見えの罠に引っかかるわけないじゃないか」
ジャニス王子はニコリと笑いながら、そう口にする。
彼は灰色の外套を靡かせながら、二人に向かって歩を進めてくる。
「君たちと僕の関係を考慮した上で、あんなふうにいきなり呼び出されたら、さすがに僕だって疑っちゃうよ。……でもまぁ、あの手の招待状は断りにくいから、ちょっと困っちゃったけどね」
「近づくなっ」
警戒の色をあらわにしたヒューイが、腰からナイフを取り出すと、ジャニスは足を止め「おぉ、こわいこわい」とまるで降参するかのように両手を顔の前に上げた。
そして、さらに続けて口を開く。
「まぁ、待ってよ。僕は君たちを傷つけようと思っているわけじゃないんだ。そもそも君と僕が一騎討ちなんてして、僕に勝ち目があると思う?」
「……」
「信じられないかもしれないけど、僕は平和主義者なんだ。だから、ほら、話し合いで解決できないかなって思って」
優しげな顔で肩をすくめるジャニスに、ヒューイは「話し合い?」と怪訝な顔をする。すると、ジャニスは両手を上げたまま「ちょっと待っててね」と後ろに下がるような形で暗闇の中に消えた。
そして数分後、ジャニスは何かを引きずって現れた。
「モードレッド先生!」
「さっき見つけてね、捕らえてみたんだ。僕はひ弱な人間だけど、彼よりは多少は心得があるからね」
襟首を掴まれたまま現れたモードレッドは、気を失っているように見えた。
ジャニスは転がしたモードレッドの隣にしゃがみ込むと、懐からとあるものを取り出して、彼の頬をペチペチと叩く。
「彼を殺さないでいてあげるから、今日のところはひいてくれない?」
「――それ!」
「あぁ、気がついた? 『選定の剣』だよ。僕にとっては、ただのナマクラだからね。こんなことにしか使えないんだよね」
彼が持っているのはまごうことなき『選定の剣』だった。リーンは実物を見たことはないが、グレースが描いてくれたイラストと意匠はそっくりそのまま同じである。
「あぁでも、彼は『障り』の研究をしてたんだっけ? それならこれはご褒美になるのかな? こんなもので殺されたら、本望になっちゃう?」
楽しそうな顔で、彼は『選定の剣』の切っ先を眠るモードレッドの首に優しく下ろした。モードレッドの白い首に、赤い球が浮かび上がる。
ジャニスは余裕の笑みで、二人を見上げた。
「どうかな? ここで引いてくれたら、彼を殺すことは諦めてあげるよ?」
「――っ!」
リーンは眉をよせ、苦悶の表情を浮かべる。
いないはずのジャニス王子がここにいて、送られてくるはずの『選定の剣』が彼の手元にある。さらにはその剣で、仲間の命が危険にさらされているのだ。
これはもうどう考えても作戦は失敗している。
「わかりました。それではここで引いたら先生は解放してくださるんですね」
「うん。解放してあげるよ。――半年ぐらい後にね?」
「は?」
ヒューイはこれ以上ない低い声を出す。
「だってそうだろう? このまま彼を返したら、同じ方法で君たちは僕を呼び出して『選定の剣』を奪おうとするかもしれない。……それは面倒くさいんだよね」
「だから、人質ってわけか……」
「うん。でも安心して、僕の目的が達成したら返してあげるから。正直ね、僕としては『障り』はなくなっても別にいいものなんだ。ただ、今なくされると困る。もうちょっと時期を後ろにずらして欲しいんだ」
「もし君たちが望むのならこの剣も一緒に送るよ?」と彼はゆったりと笑う。
「彼のことは丁重にもてなすから安心していいよ。三食食べさしてあげるし、彼が暴れたりすれば別だけど、五体満足で返してあげるつもり」
「……」
「どうかな?」
まるで、デートの行き先を訪ねるような彼の軽い言葉に、リーンは奥歯を噛み締めた。この場合、選択肢としては『はい』しかない。しかし、頷けば彼がどうなるかわかったものじゃない。
「僕、気が長い方じゃないんだ。後十秒だけ待ってあげるから、その間に決めてね?」
「まっ――」
「じゅう、きゅう、はーち……」
始まってしまったカウントダウンに、リーンは頬に冷や汗を滑らせた。
どう考えても負けだ。ここにいるメンバーだけでこの状況は打開できない。
(何か――)
「なーな、ろーく、ごー……」
しかし、無情にもカウントダウンは進む。
「よーん、さーん……」
リーンは声を張った。
「にー……」
「わかり――」
「おぉっと、手が滑った!」
わざとらしくそう言って、ジャニスは剣を振り上げた。
最初から彼は、モードレッドを助ける気がなかったのだ。
リーンは思わず目を瞑る。
ジャニスの剣がモードレッドの喉元を抉ろうとしたその時だ――。
「ちょっと待ったー!」
リーンの背後から光が溢れ、その場にいない人間の声が森に木霊した。
その声にジャニスも止まってしまう。一瞬の隙をついて現れたのは、そこにいないはずの人間だった。
「え! セシルさま!?」
動き易いようにか、ちゃんと男装姿で現れたセシリアは、目を丸くするジャニスに駆け寄ると、手に持っていた『選定の剣』を蹴り飛ばした。その直後、卵の殻のような透明なドームがモードレッドを覆う。ギルバートの宝具である。
意表をつかれたジャニスは、これでもかと狼狽える。そんな彼に、次は一本の剣が飛んできた。オスカーの宝具だ。
オスカーの剣はジャニスの身体を避けて、外套だけを背後の木に縫い付けた。
その隙にセシリアは先ほど自身が蹴り飛ばした『選定の剣』を手に取る。
「――っ!」
「なんとか、間に合ったね!」
「これって間に合ってるの?」
「とりあえず形勢は逆転したみたいだな」
リーンの背後から現れたのはセシリアだけじゃなかった。ギルバートに、オスカーもいる。地面においていたハンカチから現れたところから見るに、きっと彼らはツヴァイの能力でここまで飛んできたのだろう。確か、彼の能力の上限は三人までである。
セシリアは、尻餅をつくジャニスを見下ろしながら、声を張った。
「さぁ、この前の借りを返してもらうよ!」




