24.「この、屑が……!」
この世には、理解しないといけないとわかっていても、理解できないことがある。
「えっと、もう一度聞いていいか?」
「だから! 予定では、オスカーは私のことを恨んでいて、殺しちゃうような話もあったりして、リーンと私の仲も険悪で……」
セシリアの要領を得ない話にオスカーは眉間の皺をもむ。
前世の話とやらを彼女に説明させるのはこれで三回目なのだが、彼女の話がまとまっていないせいで、どうにも理解できない。
いや、本当は理解していないわけではない。彼女の言っている意味はわかるし、言葉の羅列では内容は入ってくるのだ。ただ、どうしようもなく飲み込みにくい。というか、飲み込みたくない。
(なんで俺が、セシリアを殺すなんて運命があるんだ……)
彼女の言っている『ゲーム』というのは意味がわからなかったが、未来を知っている、と解釈すればいいのだろうということはすぐに理解した。しかしその未来で起こる出来事で、自分が必ずと言っていいほどセシリアの敵になってしまうのが気に食わない。というか、どうしたらそんな未来になってしまうのか全くわからない。
まぁ、一番わからないのは――
「ってことで、だから私は男装して学院に通うことにしたんだけど!」
彼女の話の帰結だが。
オスカーはいっこうに解れない眉間の皺をもむ。
(でも確かに、これは『理解できない』な)
セシリアの男装に気がついた時、ギルバートは彼女が男装している理由を『オスカーには理解できない』と言っていた。その時はバカにされているのかと思ったが、これは確かに理解できない。
「それで、ジャニス王子から『選定の剣』を取り戻すのに協力して欲しいんだけど……」
セシリアは説明を締めくるようにそういった。
オスカーは少し考えた後、言葉を選ぶ。
「それは別に構わないぞ。呼び出すのも生誕祭の式典があるからそれでいいだろう? ちょうどノルトラッハにも招待をかけようとしていた時期だからな。適当に理由をつけて名指しをすれば応じてくれるだろう」
「でも、頼んでおいてなんだけど、国王様とかオスカーに迷惑かからない?」
「本当に頼んでおいてなんだな」
心配そうな顔をするセシリアに、オスカーは呆れたように腕を組んだ。
「まぁ、その辺はなんとかなるだろう。『選定の剣』は、そもそもトルシュのものなのだし、ジャニス王子からしても後ろ暗いことだろうから何かあっても公にはできない。ましてや抗議なんてできないだろう」
「そっか」
「ただ問題は、呼び出した後どうするか、だ。わかっていると思うが。交渉しても応じてくれる相手じゃないぞ?」
その言葉に、セシリアは自信満々に胸を叩く。
「そこは、私に考えがあるの!」
「お前の考えはあてにできん」
「ひどい!」
「ひどくない」
これまでの経験と、彼女に対する(逆の)信頼の賜物である。
「とりあえず、ギルバートと作戦を練ってみよう。俺に何ができるかはわからないが、そういうことならできるだけ協力させてもらう」
「ありがとう、オスカー!」
セシリアの容姿で、セシルの反応をする。
そんな彼女をみていると、自然と笑みが溢れた。
(こいつ本当にセシルなんだな)
改めてそう思う。
想像していたセシリア像とは随分とかけ離れているが、こっちも悪くない。むしろこっちの方がずっといい。
そんなオスカーの視線に気づくことなく、セシリアはまるで意気込むように立ち上がった。胸元に掲げているのは拳だ。
「よっし! こうなったら、気合い入れなくっちゃ!」
「気合入れるのはいいが、その前に身体の傷は治してもらえよ?」
「うん! お腹の方とか、結構派手にぶつけちゃったみたいで、痛いんだよね」
そういって彼女はペラりとシャツを捲り上げた。その瞬間、オスカーは声にならない悲鳴をあげた。
「お前、今――!」
「あ、ごめん! でもオスカーも裸だし、おあいこだよね!」
ちょっと何を言ってるのか意味がわからない。もしかして彼女は、自分が腹部を晒すことと、オスカーが腹部を晒すことを同等に考えているのだろうか。だとしたら由々しき問題である。
お腹だからいいという話ではない。お腹でもダメなのだ。
(ギルバート、大変だったんだな)
失敗を隠すように笑うセシリアをみながら、思わずそう同情してしまう。
こんな危なっかしいのが義姉で、想い人だったら、オスカーならちょっと気が狂っていたかもしれない。
セシリアはシャツを戻した後、そういえば、と顔を上げた。
「オスカー、シャツはどこいったの? 乾かしてるの、上着だけだよね?」
「あ? あぁ、お前の頭の下に敷いていたな。そういえば」
「え!?」
セシリアは勢いよく振り返った。彼女の後ろには折り畳まれたシャツが置いてある。
こんな岩の床に寝かせるのは申し訳なかったので、頭だけでも……と思い彼女の下に敷いたのだ。自分の上着を彼女の下に敷くことも考えたのだが、濡れていたし、逆に体温を奪ってもいけないと思ったのでそれは控えておいた。
「ごめん! すぐに乾かしておけばよかったね!」
慌てた様子でセシリアはシャツを手に取る。火に晒していなかったそれは、まだしっかりと濡れ濡っていた。一応は絞って彼女の頭の下に敷いたはずだが、彼女の髪の毛の水分を吸ったためか、敷いた時よりも濡れている気がする。
「ごめんね、私のせいで。……寒いよね?」
「いや、上着が乾けばそれを着るから大丈夫だ」
申し訳なさそうに俯くセシリアに、そうフォローを入れる。
すると彼女は自身の肩にかかっていた毛布をおもむろに差し出してきた。
「それじゃ、せめてこれ使って? 私はもう大丈夫だから」
「それはお前が使え。俺も大丈夫だ」
「でも!」
「お前は服が乾かせないんだから、当然だろう?」
オスカーは脱げばいいが、彼女はそうも行かない。濡れた服が体温を奪うのは幼子だって知っていることだ。
セシリアは「そうだけど……」しばらく迷った後、毛布を自身の肩にかけ、広げてみせた。その瞬間、濡れて肌に張り付いた彼女のシャツが目に入る。
「じゃぁ、一緒に使う?」
ごん、と後頭部が岩の壁に当たった。
(何言ってるんだ、こいつは……)
その感情は、混乱よりも、呆れよりも、怒りに近い。
肌の白が透けるほど濡れたシャツを着た想い人の隣に座り、同じ毛布でくるまって、平然を装えるほど自分はまだ枯れてはいない。というか、枯れる枯れないの話ならば、全盛期だ。思春期真っ只中である。
オスカーは思わず彼女から距離を取る。
「大丈夫だ! 気にするな!」
「でも……」
「でもじゃない! いいからこっちに寄ってくるな!」
まさか自分が彼女に対して「こっちに寄ってくるな」なんて言葉を使うとは思わなかった。
セシリアはどこまでも純粋に、心配げな顔で毛布を持ったままこちらににじり寄ってくる。
「でも寒いよ?」
「今は暑いぐらいだから、心配するな!」
「そんなに気を使わなくても……」
「お前が俺に気をつかってれ!」
気がつけば立ち上がり、セシリアから距離をとってしまっていた。背中に当たる岩の壁が冷たいが、それ以上に身体が熱い。
彼女も意地になってきたのか、立ち上がりこちらに歩み寄って来る。
このままでは、色んな意味で殺される。
彼女は可愛らしい顔で小首を傾げた。
「オスカー?」
「俺は……」
「?」
「俺は『大切にする』と言ったんだ!」
数十分前の話である。
頼むから、好きなった相手のことぐらい大切にさせてほしい。
どうして、飢えた獣の鼻先に生肉を置いて我慢できるのが当然だと、彼女は思っているのだろうか。というか、彼女の中ではここに獣はいないし、生肉はないのか。そうか。それなら察するのは無理な相談かもしれない。
でもここにはちゃんと獣もいるし、生肉もあるのだ。
獣の理性が鉄壁で、生肉の方は自覚がないだけで。
「オスカー、さっきから何言ってるの?」
「その言葉そっくりそのままお前に返すぞ。何言ってるんだ、お前!」
「えっと、『毛布に一緒に入ろう』?」
「だから、本当に何言ってるんだ!」
「ほら、遠慮しないで!」
なぜか知らないが、気がつけば壁際に追い詰められている。
「風邪ひいちゃうよ?」と小首を傾げているが、入るぐらいなら風邪をひいたほうがいくらかマシだ。
「ほら!」
「だから――」
毛布を差し出してきた彼女の腕を振り払う。
しかしその瞬間――
「えっ――」
勢い余ってセシリアの身体に腕が当たってしまった。
後ろに倒れるセシリア。
オスカーは咄嗟に彼女の腕を掴む。
「――っ!」
彼女の後頭部を抱えた瞬間、膝から落ちた。そのまま前のめりに身体が倒れ込む。
痛む手のひら。熱い膝頭。彼女の頭を支えた手の甲にはジャリッと砂の感触がした。
「えっと、ごめん……」
「は?」
セシリアの謝罪で目を開けると、オスカーはセシリアを押し倒してしまっていた。
「はっ――」
あまりの状態に息ができなくなる。わなわなと唇が震え、指先が震えた。
やってしまった、と思うと同時に、やばい、とも感じる。
「オスカー?」
間近で聞こえる彼女の声に、もう心臓が爆発してしまいそうだった。
オスカーは奥歯を噛み締める。
もういいんじゃないだろうか。もう十分自分は彼女に忠告したはずだし、我慢だってしてきた。気持ちは十分すぎるほど伝えているし、彼女だって嫌がってはいない。
もうここで何があっても責任はきっと彼女にある。
そんな悪魔の囁きに、少しだけ揺らぎそうになったその時だ。
ガサガサと、洞窟の外の木々が揺れた。
その音に腕の中にいたセシリアは身体をびくつかせる。
「オ、オスカー?」
「大丈夫だ」
一瞬にして冷静さを取り戻したオスカーは、その場で息を殺す。
そして――
「セシル、殿下、ここに――」
「……あ」
「は?」
「あ、ギル!」
跳ねるような声を出したのはセシリアだ。
その一方で、セシリアを押し倒した状態のオスカーは顔を青くさせ。
ようやく二人を探し出したギルバートは表情を消した。
二人の心情を全く理解していないセシリアだけが嬉しそうな顔で、オスカーの腕の下をくぐりギルバートに駆け寄る。
「ギル! 迎えにきてくれてありがとう! あのね、オスカーにね男装の件がバレて……」
「それは今はいいから……」
ギルバートは自身の上着を彼女の肩にかけると、二人だけでそそくさと洞窟を後にしようとする。
そんな彼らを四つん這いになったオスカーは慌てて止めた。
「ギルバート! こ、これは、違うんだ! あのな――」
「この、屑が……!」
ギルバートのその顔は、今まで彼が見てきたどの顔よりも恐ろしかった。
洞窟編終了です。
かっこいいオスカーは長続きしないのです。




