23.「本当に、嫌じゃないんだな?」
前回の話が好評だったようでよかったです。
「え、えぇっと……」
「いつも通りに話せ。今更かしこまれても、変な感じになるだろ。お互い……」
「は……うん」
『はい』を『うん』に言い直し、セシリアはオスカーから視線を外し、目の前の焚き火を見つめた。状況は飲み込めたが、いまだに頭は混乱している。
男装のことを打ち明けるにしても、もうちょっと手順を踏んでから打ち明けるつもりだったのに。なんというかもう、考えていたことが全てが水の泡だ。
そんなセシリアの心情を知ってか知らずか、オスカーは確認するように口を開く。
「呼び方は、『セシリア』でいいのか? 『セシル』のままがいいなら、そう呼ぶが……」
「えっと。セシリア、でいいよ」
「わかった」
「……」
「……」
沈黙。
(き、気まずい!!)
自業自得だが、居た堪れなさがすごい。
これがいつもの日常で、ここが学院内であったのなら、セシリアは一目散に逃げ出していただろう。それぐらいの空気の重さだ。しかし、悲しいかな。今は非日常で、ここは洞窟の中なのである。しかも、外は暗く、雨も降り出してきた。
逃げ場は――ない。
(どうしよう……)
セシリアが青い顔で俯いていると、オスカーはそこに置いてあった枯木を火にくべた。薪の爆ぜる音が大きく鳴り、火の勢いが少しだけ強くなる。
セシリアはそんな彼の顔をじっと盗み見た。
彼の横顔は、本当にいつもと変わらない。希望的観測かもしれないが、怒っているようにも、不機嫌そうにも見えない。
「あのさ、オスカー」
「ん?」
「気のせいかもしれないんだけど、もしかしてあんまり驚いてない?」
「まぁ、そうだな」
「まさかだとは思うんだけど、私が女だってこと気がついてた?」
その言葉に、オスカーは少しだけ驚いたような顔でセシリアの方を向いた。数度目を瞬かせると、また火の方に視線を戻す。そして数秒の逡巡の後、彼は遠慮がちに「……まぁな」と頷いた。
その答えに、セシリアはオスカーにかぶりつく。
「いつから気がついてたの!?」
「な、夏ぐらいか?」
「夏!?」
セシリアはひっくり返った声を上げる。
夏なんて、数日前とか、数週間前とか、そういうレベルの話ではない。ともすれば、半年近く前の話になるのではないのだろうか。
そして、夏と言われれば、心当たりは一つしかない。
「ま、まさか、あのコテージで?」
「あぁ」
「なんで言ってくれなかったの?」
思わず責めるような口調になってしまう。
そんな彼女の態度にもオスカーは別段気分を害することなくこう答えた。
「ギルバートから『セシリアは俺に気づかれたと知ったら、国外逃亡する』と聞いていてな。言えなかった」
「国外逃亡って……」
「しなかったのか?」
「いや……」
もしあの時点でバレているとわかったら、その選択肢ももちろん視野にあっただろう。あの頃はまだ、オスカーにバレたら死んでしまうのではないかと本気で思っていたからだ。
(だからさっき、『国外逃亡するな』って……)
セシリアはようやく、先ほどの発言の意味を知る。
つまり、シルビィ家のコテージで色々あってからこっち、彼はずっとセシルの正体がセシリアだと知ったまま、セシルとして一緒に行動してくれていたということになるのだ。
(頭が痛くなってきた……)
今までの彼に対する自分の発言や行動を振り返ると、ちょっと死にたくなる。
さっきせっかく死地から助け出してもらったのに、気分的には底辺だ。
セシリアの様子をどうとったのか、オスカーは気遣うような視線を投げかけてきた。
「そんなことより、寒くはないか?」
「えっと、大丈夫だよ。火も暖かいし。毛布も、一人でつかっちゃってごめんね?」
「別に気にするな。そろそろ服も乾くだろうからな。……というか、その容姿でセシルの喋り方をされると、やっぱり違和感がすごいな」
「それは、オスカーがいつも通りに喋れって言ったんでしょ!」
「それはそうだが……」
困ったような顔をして、オスカーは笑う。
セシリアもつられるように口元に笑みを作った。しかし一拍おいて、彼女の表情は沈む。
「あのさ、オスカー。ごめんね?」
「ん?」
「男装のこと、今まで黙っててさ。……嫌な気分になったよね?」
今は普通に話してくれているが、本当は怒られたって、嫌われたって仕方がないのだ。ここから助け出された後に『絶交だ!』なんて言われても、セシリアには文句が言えない。
セシリアはぎゅっと拳を握りしめる。
そんな彼女に、オスカーは意外そうな声を出した。
「お前、そういうことを考える頭があったんだな」
「ひ、ひどい!」
「冗談だ」
全く気にしてなさそうに、オスカーは肩を揺らす。
そして、まるで落ち込むセシリアを励ますような優しい声を出した。
「別に、嫌な気分にはならなかったぞ。どちらかといえば、情けなかったぐらいで……」
「情けなかった?」
「あぁ。頼ってもらえてないのがわかったからな。ギルバートはもちろんだが、ダンテやリーンも知っているのに、なんで俺だけは何も教えてもらえないのだろうかと、少しだけ卑屈になったりもした」
オスカーの意外な反応に、てっきり軽蔑されると思っていたセシリアは目を瞬かせる。
「オスカーは、私に頼ってもらいたかったの?」
「当たり前だろう。婚約者だぞ、俺は」
「え?」
「これからずっと一緒にいる相手に、頼ってもらいたいと思うのは、当然のことだろう? ……もしかして、忘れていたのか?」
「そ、そういうわけじゃないけど! 改めて言われると、なんか……こう……」
恥ずかしい。
セシリアは俯く。頬が火照り、体温が上がる。
自分はオスカーの婚約者なのだと、改めて実感した気分だ。
そんな彼女をみてどう思ったのか、オスカーは慎重そうな声を出した。
「お前は、俺と結婚したくないのか?」
「え?」
「俺と結婚するのは嫌なのか? だから男装なんてして学院に通ってるのか?」
「……」
「だから、俺にだけそのことが言えなかったのか?」
一見、彼は平気そうに問うてくる。しかし、声の端々にどこか悲しげな、不安げな感情が見え隠れしていて、セシリアはたまらず立ち上がった。
「ち、違うよ!」
「っ!」
「オスカーにだけ言えなかったのは、その、私なりに理由があるんだけど! 結婚するのが嫌とかそういうんじゃなくて!」
そもそも、彼と本当に結婚するだなんて考えたことがなかったのだ。だって彼はリーンのことを好きになる予定だったのだし、セシリアとどうこうなるルートなんてはなから存在しなかった。婚約者になっておいてなんだが、本当にこの婚約が成るとは少しも思っていなかったのだ。
セシリアの必死の否定に、オスカーは少し黙り込んだ後、口を開く。
「本当か?」
「うん!」
「本当に、嫌じゃないんだな?」
「嫌では、ないよ」
なぜか念入りに確認され、セシリアは首を傾げながら頷いた。
その頷きに、オスカーはニヤリと唇を引き上げる。ちょっと悪い顔だ。
「言ったな?」
「え?」
「決めた。もう俺からは婚約解消の話はしない!」
「えぇ!?」
思わぬ展開に、セシリア思わずひっくり返った声を上げてしまう。
しかし、彼は当然というように、未だ立っているセシリアを見上げた。
「嫌じゃないんだろう?」
「いや。そりゃ、嫌ではないけど……」
「嫌がらないなら手放さない。そんな余裕は、俺にはないからな」
オスカーはそう言って、セシリアの手をぎゅっと握る。
彼の手から伝わってくる自分のよりも少しだけ高い体温に、セシリアは狼狽える。
そして、オスカーはまるで最後だというようにこう口にする。
「大丈夫だ。大切にする」
その言葉に、セシリアは一瞬にして赤くなると「ちょっと休ませてください」とその場にしゃがみ込んでしまうのだった。
もう1話、洞窟の中のお話があります。