14.お前、今なんて言った?
まさか、朝から機嫌を地の底に叩き落とされるとは思わなかった。
「お前、今なんて言った?」
「だーかーら! 昨日セシルをジャニス王子から助けたんだけど……」
「は?」
「えっとね、セシルをジャニス王子から助けたの。頼まれて」
朝。いつものように教室に入り、席に座ったところで、オスカーはダンテからそう爆弾を落とされた。窓の外は澄み渡る青空なのにもかかわらず、オスカーの頭には暗雲が立ち込める。
早めに登校しているためか、教室に他の人間はいない。
オスカーは眉間の皺を揉みながら、躊躇いがちに声を出した。
「まさか、昨日街の中に現れたという『障り』の件じゃないだろうな?」
「そうだけど」
なんてことない表情でケロリとそう言われ、オスカーは心底げんなりした。
なんだろう。たった今、教室に着いたばかりなのに、もう帰りたい気分である。
昨日、市井で『障り』が出たというのは報告で聞いていた。たまたまそこに居合わせた民間人と騎士がその場を収めたとも。
しかし、まさかその中にセシリアが入っているとは夢にも思わなかった。
(普段は学院の外なんかに出ないだろうが……)
てっきり、ジェイドやダンテ、アインとツヴァイ、あたりだと思っていた。彼らは放課後になると、結構頻繁に学院の外に出ているからだ。
オスカーは机に肘をつき、組んだ手の甲に額を乗せる。そして、大きなため息をついた。
そんな彼の様子に、人の心に疎いのか聡いのかよくわからない親友は首を傾げる。
「どったの?」
「安堵と嫉妬と苛立ちと無力感でどうにかなりそうだ」
「わぁお! 随分と複雑じゃん」
そう言って笑う彼はどこまでも人ごとだ。いつもならその距離感がどこか心地がいいのに、今日はなんだか恨めしく感じてしまう。
「と言うか、安堵と嫉妬はわかるけど、なんで怒ってんの?」
「なんでアイツは、こう無茶なことばかりするんだと思ってな……」
「あぁ。まぁ、うん。それはね。セシルだから仕方ないよね!」
妙な説得力がある言葉である。
セシルだから仕方がない、と言われれば確かにそうなのだが。セシルだからこそ、無茶なことはしてほしくないというのがオスカーの本心である。
オスカーは手の甲から顔を上げ、机の隣に立っているダンテを見上げる。
「お前の様子から察するに、怪我とかはしてないんだよな?」
「うん。俺もセシルもかすり傷ひとつないよ!」
「お前のことは、心配していない」
「えぇ!? オスカーひどくない?」
「ひどくない」
「ひどーい!」と声を上げているが、心配したら心配したらで「オスカー、俺のこと信用してないの?」とむくれるのだから厄介だ。それに、本当にダンテのことはなにひとつ心配していない。彼ならば、ある程度の死地ならば余裕の顔をして飛び越えていくだろうと信用しているからだ。
ただ、彼女は違うのだ。
切り抜ける能力などないくせに、やる気と、根性と、出たとこ勝負の運だけで、何度も死地をくぐり抜けている。しかも、いつもギリギリの綱渡り。
これを心配するなという方が無理な話だ。
(だからと言って、大人しくしているセシリアなんて、もう想像ができないんだがな……)
会えなかった十二年間。その間ずっと、オスカーはセシリアのことを、儚くて、病弱な、深窓の公爵令嬢だと思っていた。なのに蓋を開けてみれば、このお転婆っぷりである。あれを『お転婆』で済ませていいかは少々謎だが、なんにせよ今回も、彼女は少々お転婆をしてしまったらしい。
ダンテは、机の縁に腰掛けながら天井を見上げる。
「セシルとジャニス王子、なんか訳ありだったみたいだよ?」
「訳あり?」
「俺もよく話が飲み込めなかったけど、『選定の剣』ってのを取り合ってたみたい」
「『選定の剣』、か……」
オスカーがそう考え込むような声を出すと、ダンテが「オスカー、知ってるの?」と食いついてくる。
「知っているというか、神話に出てくる短剣のことだろう? 存在はしているという話だが、実際に見たものはいないという。……確か、なんの力もないただの宝剣という話だったはずだが……」
「なんでそんなものをセシルとアイツが取り合ってんの?」
「そんなもの、俺が知るわけないだろう!」
自分で言って、ダメージを食らった。オスカーは思わず胸を押さえる。
そう、オスカーが知るわけがないのだ。いまだに男装している理由も、している事実さえも隠されている自分には、知るすべもないし、彼女もなにも教えてくれない。
「ギルバートにでも聞けば、何かわかるんじゃないのか?」
「うわ。投げやりー!」
「うるさい!」
「男の嫉妬は見苦しいって言うよ?」
「言いたい奴には言わせとけば良いだろう」
どうせ、そういうことを言うのは彼とギルバートぐらいなものだ。別に今更、彼らにどうこう言われても、そんなに腹は立たない。苛立ちはするが、本気で怒ったりはしない……多分。
「あと、もうひとつ報告。なんか、ジャニス王子、『障り』を操れるみたいだよ。遠くてよく聞こえなかったけど、アインとツヴァイの母親のことも話してたから、もしかしたら侯爵夫人の死に、ジャニス王子が関わってるのかも……」
「……そうか」
「驚かないんだ?」
「まぁ、降神祭での騒動もあったからな」
予感がなかったと言ったら嘘になる。舞台での騒動を教えてくれたジャニスは、何かを知っているようだったし、何かを企んでいるようにも見えた。
彼が『障り』を扱えるのだとしたら、全てが綺麗に繋がる。
「国王様に報告は?」
「一応するつもりだが、まぁ、どうにもならないだろうな」
「相手は隣国の王族だもんねー」
「しかも、そんなことを抗議したとして、『噂を真に受けるのか!』と一蹴されて終わりだろう。抗議するのならば、きちんとした証拠がいる」
「ま、そういう結論になっちゃうよね」
「それに、ジャニス王子をなんとかしたいのなら、抗議するより彼を直接捕らえた方が早い。幸いなことに、彼は無許可で国境を越えてきているからな」
ただ、なかなか尻尾を掴ませてくれない相手なので、捕まえるのも厄介なことには変わりがないのだが。
そこまで言った後、オスカーは「はぁ……」と再びため息をついた。
「どうしたの? ジャニス王子捕まえるの、そんなに憂鬱?」
「違う。なんで俺じゃないんだ、と考えていたんだ。男装のことを知らせなくても、俺だってアイツの護衛ぐらいはできるだろう? なんで、俺じゃなくてダンテに……」
「やーだー! オスカーってば、もしかして俺に妬いてんの?」
ピキ、と青筋が立つ音がする。
頬を引き攣らせながら「お前な……」と低い声を出すと、ダンテは「やだなぁ。冗談じゃん!」とカラカラ笑った。
「というかさ。昨日、オスカーいなかったじゃん。王宮行ってたんでしょ?」
「そうだが……」
「それならセシルだって、お願いしたくてもできないよ。それに、相手はオスカー殺そうとした相手だし、セシルとしても会わせたくなかったんじゃない?」
「……そういうもんか」
「そういうもんでしょ?」
つまり自分は、守ってやりたいはずのセシリアに守られたということだろうか。気遣われたということだろうか。
なんとなく情けない気分になったオスカーは、どことなく浮かない顔で、椅子の背もたれに深く身体を預けるのだった。
次話、オスセシです。
面白かった時だけで構いませんので評価してくだされば嬉しいです!
本も三巻まで出てるから、買ってね!




