5.「それなら、抱きしめていい?」
ギル、お誕生日おめでとうございました!(9月16日だった)
「なんか、ごめんね。シャワー借りちゃって」
セシリアがそう言ったのは、ギルバートに助けてもらったその一時間後だった。
彼女は濡れた髪の毛を拭きながら、申し訳なさそうに眉を寄せる。
ソファーに座るギルバートは、本に落とした視線をあげることなく「別にいいよ」とページをめくった。
「あれは確かにどうしようもなかったしね」
「あはは……」
「それに、放っておいたらもっと大変なことになっていただろうし……」
「大変なこと?」とセシリアが首をひねれば、そこで彼はようやく本から顔をあげる。
「セシリア、あのままだったら大浴場とかに突撃したんじゃない?」
「いやー、それはさすがに……」
「セシリアのことだから、一旦は『我慢しよう』って結論になるんだけど、いつのまにか『人がいなかったらどうにかなるんじゃないか』みたいな思考にたどり着いて、『よし、みんなが寝静まった後にさっさと入っちゃおう!』って結論になりそうじゃない?」
「……なりそう……」
「でしょ?」
未来予知でもできるんじゃないかというぐらいの鋭さに、セシリアは驚きに目を見開いた。もしかしたら彼は、セシリア自身よりもセシリアのことをわかっている男かもしれない。
「だからまぁ、ここでリスク回避しとくほうがいいでしょ。もう一つのリスクの方は、どうとでもなるんだし」
「もう一つのリスク?」
「まぁ、セシリアは考えなくていいよ」
いつものようにそっけなくそう言って、ギルバートはため息をつく。その瞬間、「人の気も知らないで……」と彼の唇から転がり落ちたが、意味がわからなかったセシリアは、わずかに首をひねっただけだった。
「とにかく助かったよ。ありがと、ギル!」
ほっとしたような顔でセシリアは笑う。
その顔を見て、ギルバートは一瞬だけ目を見開き、再び本に視線を落とした。本を見下ろす彼の耳が、少し赤くなっているのは気のせいだろうか。前髪で隠れた目尻も、同様にほんのりと色づいているように見える。
そんな彼の様子を特に気に留めることなく、セシリアは彼の隣に腰掛けた。
しかし、その距離はいつもとは違い、少し離れている。いつもは身体がくっつくほどにピッタリと腰掛けてくるのに、今二人の間には微妙な距離があった。
ギルバートはその距離に一瞬だけ視線を落とし、そしてセシリアを見る。
「ほんとごめんね。今更だけど、夏休みの時も助けてもらってたみたいだし」
「……まぁ」
「何かお礼できたらいいなって思うんだけど、なにも浮かばなくってさー」
「お礼、ね」
おそらく、間は数秒も無かっただろう。
彼は本をソファー前のローテーブルに置くと、いつもの声音で聞いたことない言葉を吐いた。
「それなら、抱きしめていい?」
「………………はい?」
意味がわからないというふうにセシリアはそう言って、僅かにギルバートから距離を取った。
「いいでしょ? 今まで何度やめろって言ってもそっちから散々抱きしめてきたんだから、今回もどうって事ないんじゃない?」
「いや、それは……」
どうってことはない……なんてことはない。
その証拠に、先ほど洗い流したばかりの額に冷や汗が滲んでいるし、体温だって上がっている。見えていないのでわからないが、顔だって赤くなっているに違いない。
「それに最近、セシリア、あんまり前みたいに触ってこなくなったから寂しくて……」
「え!? さみ――」
「冗談だよ」
ギルバートは吹き出すようにして笑う。
「でも、肩透かしくらってたのは事実からさ。今日もあからさまに俺と殿下のこと避けてるし」
「あはは……」
もう苦笑いしかできない。
確かにここ最近、ギルバートとオスカーを避けていたのは事実だ。無意識に恥ずかしくて距離をとっていた訳ではなく、セシリアは意図的に二人から距離をとっていた。
好意を向けてくれる二人に、未だなにも返事ができない自分が、期待させるようなことをしてはいけないと思ったのだ。
セシリアなりの、誠意、のつもりである。
そんなセシリアの気持ちなどとうにお見通しな彼は、姉ではなく、年下の妹を見るような視線をセシリアに向ける。
「言っとくけど、誰もそんなこと望んでないからね」
「えっと」
「言わないけど殿下も寂しがってたし、俺も物足りないし」
「物足りないって……」
「無理しなくて、いつも通りのセシリアでいいって言ったんだよ」
そう言って、彼は軽く両手を広げた。
「で、いいの?」
「えっと……どうぞ?」
今まで通り……と言われて断れるわけもなく、セシリアは小さくうなづいた。
その瞬間、セシリアの背中にギルバートの手が回る。
「――っ!」
そのままゆっくりと抱きしめられる。暴れれば逃れられるほどの力で体を引き寄せられ、セシリアは頬を赤らめたまま硬直した。
今までだったらセシリアの方からも背中に手を回すのだが、それはさすがにできない。
「ね、ねぇギル」
「なに?」
「確かに最近は意図的に避けてたけど! 今までのこともあるんだけど! ちょっと、もう、こういうのは恥ずかしいです……」
なぜか負けたような気分でそういうと、頭上のギルバートが吹き出す気配がした。
「緊張してる」
「いやーあのー、さすがに、ね?」
自分のことを好きだと分かった相手に抱きしめられて、平常を装えるほど、セシリアの神経は図太くない。
「ま、意識してもらえてるようでよかったよ」
少し嬉しそうな彼の声に、セシリアは申し訳なさげに顔を俯かせる。
「あのさギル。私ね、まだ気持ちの整理が……」
「大丈夫だよ。急かしてないから」
「セシリアの中で、俺が弟に見えるってのはわかってるつもりだし、それが数ヶ月でどうこうなるとは俺も思ってないよ。……それに、今までその気持ちに甘えていなかったと言えば、嘘になるしね」
ギルバートはそこでようやくセシリアを離す。
「どっちを選んでもいいとか、ふってもいいとか、余裕のある台詞をはくつもりはないよ。だけど、やっぱり弟にしか見られないって言われても、恨まないから安心して」
今までの関係を壊したくないからギルバートを選ぶ。
そんなことはしなくてもいいのだと、言われたような気分だった。
「リーンにさ、前言われたんだよね。『計算高いあなたが嫌いだ』って」
「えー……」
「でもさ、やっぱり俺はどうやっても、小賢しくて、狡くて、目的のためなら手段を選ばない人間なんだよね」
「賢いね」
「腹黒いっていうんだよ、こういうのは」
なんでもいいように表現するセシリアに、ギルバートは困ったように笑う。
「俺の目的は、やっぱりどうやってもセシリアの幸せだからさ。そのためには、他人とか、自分の気持ちとか、セシリアの気持ちとか、割とどうでもいいんだよね」
「わ、私の気持ちも!?」
「まぁ。割とどうでもいいかも。……だから、しっかり悩んでちゃんと結論を出して。その上で俺を選んでくれたら、後悔はさせないからさ」
「なんか、……余裕があるなぁ」
かっこよくてちょっとドキッとしてしまったことや、自分の考えていることなど全てお見通しなところが、ちょっと悔しい。そして、情けなかった。
「ま、好きな人の前だし、格好はつけるものでしょ?」
「ギルが振り切ってるー!」
「今更隠しても、ねぇ?」
余裕のある顔で首をかしげられセシリアは唇を尖らせた。しかし、その拗ねたような顔もすぐに表から消える。次に、出て来たのは申し訳なさそうな表情だった。
「ギル」
「ん?」
「何も返せない私でごめんね」
「大丈夫。もう十分貰ってるから」
その優しい響きに、お礼を言えばいいのか、謝ればいいのか、セシリアはよくわからずに「うん」とだけ頷くしかできなかった。
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