38.痣
瞼をこじ開けてまず目に入ってきたのは、古びた木の梁。辺りは暗く、そばにある小さな窓には、小雨が打ち付けていた。重苦しく湿った空気にぶるりと身震いをすると、ようやくそこで意識がはっきりとしてくる。
(そうか私――)
セシリアは仰向けのまま身をよじった。手首はロープで縛られており、殴られた腹部には鈍痛が走る。
彼女がいるのは、小さな山小屋のようだった。グレースと別れた後すぐに腹を殴られ、意識を飛ばしてしまったので、ここがどこなのか、何時間経っているのかさえも見当がつかない。
(こんなこと、前にもあったな……)
痛む腹部と縛られた手首に、ハイマートの連中に浚われたことを思い出す。結構前のことのように感じられるが、あれからまだ半年ほどしか経っていないのだ。
わかってはいたが、セシリアの人生、過酷すぎる。
彼女は壁伝いに身体を起こした。足が縛られていないことが、まだせめてもの救いだろう。
「起きた?」
座った体勢になった瞬間、そう声がかかった。声のした方を見ると、小柄な人影が正面にゆっくりと浮かび上がってくる。
雨がやんで月が顔を覗かせた。窓から入った月の光が、彼の鼻から下を怪しく照らす。
セシリアはその人影に声をかけた。
「どうしてこんなことをしたのか、説明してもらってもいい? ――ツヴァイ」
呼びかけると、彼はわずかに息をのむ。
「僕がツヴァイだってよくわかったね。……自分で言うのもアレだけど、十分アインになりきれてたと思うのに」
「こんなことになるまで、俺だって全然気がつかなかったよ。でも、あの衣装を破いたのはツヴァイだと思ったから。こんなことをするならツヴァイかなって……」
その言葉を聞いて、ツヴァイは動揺しているように見えた。その様子を見て、セシリアは自分の予想が当たっていたことを知る。決して当てずっぽうというわけではなかったが、妄想に近い予想だということは自分でもわかっていたからだ。
ツヴァイは静かな声で「……どうしてそう思ったの?」と問う。セシリアは言葉を選ぶように少し黙ったあと、口を開いた。
「衣装が手で裂かれてたからかな。あそこは、舞台用の小道具も置いてあったし、手直し用にリーンが裁縫道具も置いていたから、探せばハサミだって、刃物だってきっと見つかる。なのに、それをあえて使っていなかったから、使いたくても使えない人間が犯人なのかもしれないなって……」
「……セシルって意外とちゃんと見てるんだね」
ふっとツヴァイが笑む。顔の上半分は陰っていて表情はよく見えないが、唇は緩やかに弧を描いていた。
一方、当たって欲しくない予想が当たっていたことに、セシリアは下唇を噛む。
「俺にいろいろ嫌がらせしていたのも、ツヴァイ?」
「……そうだよ。全部が全部ってわけじゃないけどね」
「なんでそんなことしたの?」
「近づいて欲しくなかったから」
「誰に?」
「……僕らに」
ツヴァイは両手で顔を覆う。
その仕草は、後悔しているようにも、顔の痛みを堪えているようにも見えた。
「セシル、覚えてる? 最初に、双子が忌み嫌われてるって話をしたときのこと……」
「え? うん」
あれは、前日にプリン作りを失敗してしまい、へこんでいた日のことだ。
落ち込んでいたセシリアのところに、偶然ココとツヴァイがやってきたのである。
「実はあれ、僕じゃなくてアインなんだ」
「え?」
「アインがセシルのこと探りたいって言うから、入れ替わってたんだよ。僕もまさか『悪魔の子』って呼ばれてたことを話すとは思ってなかったけどね」
口ぶりからして、その時の記憶はすべて『共有』しているのだろう。その後セシルに会っても入れ替わっていたと気づかれないように……
驚くセシリアを置いて彼は続ける。
「アイン、すごく楽しそうにしていたでしょ? あの後、僕も聞いてみたんだ。『どうだった?』って。そしたらアイン、楽しそうな顔で『まぁ、悪いやつじゃないのはわかったよ。面白いやつだった』って!」
感情が高ぶっているのか、ツヴァイの声は大きく、荒々しくなっていく。
いつも朗らかで陽気な彼はもうそこにはいなかった。
「アインが僕以外の人間に興味を持つなんて初めてで! 僕、どうしたらいいのかわからなくなっちゃって!」
「それで、鉢植えを落としたの?」
振り返ってみれば確かに、嫌がらせが始まったのは、ツヴァイ――に扮したアインと話したその夜からだ。
「アレは、事故だよ。セシルのことを見ていたら、腕がぶつかっちゃって。……だけど、こういうのを繰り返してたら、いつか僕らにもちょっかい出さなくなるかもしれないって思って……」
それで、繰り返していたということか。
口には出さないが、そんなことで『近づかないで』なんてメッセージが届くはずがない。それどころか、セシリアは今の今まで嫌がらせと彼らが繋がっていることにさえも気がつかなかったのだ。
セシリアのそんな気持ちに気づくことなく、ツヴァイはさらに言葉を重ねる。
「なのに君は、気にすることなく僕らに近づいてくるし、アインもだんだんおかしくなっちゃって、君の話ばっかり――」
「ツヴァイ?」
「僕らは二人で一人だったのに! 君が入ってきて、僕らの邪魔をするから!!」
感情のたがが外れたかのように、彼は頭を抱えながら、これまで以上の大きな声を出す。
その様子は、まるで誰かに身体を操られているかのような、そんな奇っ怪さを持っていた。
「ツヴァイ、落ち着いて! なんか今日おかしいよ! どうしたの!?」
「おかしくない!!」
ツヴァイはセシリアに近づき、彼女を押し倒す。そして腹の上にまたがり、両手で首を掴む。
「僕がおかしく見えるなら、君がおかしくしたんだ!!」
首を掴んだ両手にぎゅっと力がこもる。
すぐに出来なくなった呼吸に、セシリアは足をばたつかせた。
「やめ――っ!」
「僕にはアインしかいないのに! アインしかいなかったのに!! 君が僕からアインを取ろうとするから!!」
「――っ」
その時、苦しくて瞑った瞼の上に、生暖かい水か落ちてきた。
セシリアが薄く目を開くと、彼のエメラルド色の瞳に大粒の涙が浮かんでいる。
そして、彼の右目を覆うように――
(痣!?)
『障り』に侵されたものだけが持つ、特有の痣が浮き出ていた。
ツヴァイは良い子です。
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