34.舞台
遅くなってしまい、申し訳ありません。
世の中には『朝から見たくない顔』というものがある。
「おはようございます!」
「…………おはようございます」
灰の週六日目。
寮を出たギルバートを待ち構えていたのは、制服姿のリーンだった。『朝から見たくない顔』にげんなりとしながら応じると、彼女はギルバートとは逆のほくほくとした笑みのまま近づいてくる。
「今日は、ギルバート様にプレゼントがございまして」
「プレゼント?」
「はい。とっておきのプレゼントを持って参りました」
人前だからか、妙な猫なで声と愛らしい仕草で彼女は彼に身を寄せる。後から寮を出てきた数人の生徒が、妙な組み合わせの二人をいぶかしげな目で見ながら通り過ぎた。
ギルバートは彼女がそれ以上近づかないように手で制す。
「いりません。結構です」
「まぁまぁ、そう言ずに……」
リーンは自身を止めていたギルバートの手を取ると、その手に何か紙のようなものを握らせた。ギルバートは、無理矢理握らせられたそれを広げる。
「これは……チケット? 舞台?」
「特別にお譲りしますわ。といっても、無料で配布しているものですが」
満面の笑みで、彼女はそう言う。『無料で配布している』と聞いて、一瞬いつもの嫌がらせの延長でゴミでも渡してきたのかと、そう思ったのだが、そのチケットに書いてある『監督総指揮:ニール』を見て考えを改めた。
彼女はまた何か企んでいるらしい。
「別に来なくてもいいですけれど、あとで絶対に後悔しますわよ」
「は?」
「それでは、お先に失礼しますわね。私は殿下にもこれを届けないといけませんから」
そう言って、一瞬にしてギルバートから距離を取ったリーンは、スカートを翻しながら踵を返した。そして最後は、どこか挑戦的な絵笑みを浮かべ「それでは」と一度頭を下げる。
去って行く彼女の後ろ姿を見ながら、ギルバートは眉間に皺を寄せた。
(殿下と俺に渡すチケットで、『行かないとあとで絶対に後悔する』か)
その瞬間、セシリアの顔が脳内にちらついた。これは間違いない、彼女が関わっている。
「なんかこそこそしてると思ったら、なにやってるんだよ」
またもリーンに騙されたのであろう、人を疑うことを知らない純真無垢な想い人の姿を思い浮かべ、ギルバートは肺の空気をすべて吐き出すようなため息をついた。
夕方、ギルバートはチケットを片手にとある場所を訪れていた。
その『とある場所』というのは、シゴーニュ救済院である。チケットによると、どうやらそこで舞台が開かれるらしかった。
普段は子供達が駆け回っているだろうだだっ広い空き地に、木組みで出来た立派な舞台が立っている。席は決まっているわけではなく、木の簡易な長椅子が並んでいるだけだった。舞台の脇では、キャストの名前と脚本が印刷してある冊子と飲み物。そして、なぜかリーンが書いた例の本が売ってあった。見たことのない表紙なので、新作なのだろう。
どうやら入場料は取らないが、増やした母数分、別で金を取る作戦らしい。
チケットを入り口で見せて入ると、見知った赤毛がもう席に着いていた。その周りには不自然に人が座っていない。皆、彼が王族だと知っているので、遠慮しているのだろう。
ギルバートは、その背中に話しかけた。
「殿下。不用心じゃないですか、護衛もつけずにこんなところに来るなんて……」
「あぁ、ギルバートか」
顔を上げたオスカーの隣に、ギルバートは座る。
「護衛をぞろぞろと引き連れるのが嫌なのはわかりますが、仮にも王子様でしょう? 何かあったらどうするんですか?」
「まぁ、何かあったら何かあったときだろう。その時は弟たちのどれかが王位を継ぐだけだ」
「また、そんなことを……」
「俺の弟達はどれも優秀だからな。どれが王位を継いでも、国は問題ない」
事もなげにそう言う彼に、ギルバートはため息をついた。誰も王位の心配などはしていないが、そんなことは口が裂けても言うつもりはない。
黙ってしまったギルバートに、オスカーは懐から一枚の紙を取り出し、見せた。
「それよりお前も、リーンからこれをもらったのか?」
自分が持っているものと寸分違わないそのチケットに、ギルバートは頷く。
「えぇ。来るつもりはなかったんですが、セシリアが出るようなので様子見に」
「セシリアが出るのか!?」
「……気づかなかったんですか?」
驚いた彼の顔に、ギルバートは呆れたような顔になった。こんなことがある度に、『この人が次の国王で大丈夫か』と疑ってしまう。
頭が悪いわけではないのだが、彼はどうも人を疑うということをあまりしないのだ。
「それならどうしてきたんですか? そんなにお暇じゃないでしょ」
「いやまぁ、『救済院で催し物をします』と言われたからな。救済院の実情を見ておきたいというのもあったし……」
「『実情を見ておきたい』って、救済院の運営は教会ですよ? 国がどうこうできる問題じゃないでしょう?」
「だからだ」
その言葉にギルバートはオスカーを見る。
「国民の福祉を国がやらなくて誰がやる。親を亡くした子供達も、この国の立派な国民だ。それならすぐにとは行かなくとも、いずれは国が面倒を見れるようにしておいた方がいいだろう?」
オスカーは視線を舞台に向けたまま「もちろん、そのために教会と協力することもあるだろうがな」と付け足した。
じっと見つめていたギルバートの視線が気になったのか、オスカーは彼に視線を向ける。
「どうかしたか?」
「いえ、自分の考えを訂正しただけですよ。お気になさらず」
「そうか」
深く追求することなく、彼は視線を舞台に戻した。
舞台の脇では人が何やらせわしなく動いている。そろそろ開演なのだろう。
「でも、少しは腹芸を覚えないと、将来大変ですよ?」
「そういうのはお前に任せる」
「『任せる』って……」
「こういうのは適材適所だろう?」
チラリと横目で見られ、ギルバートは眉間に皺を寄せた。
「人を腹黒みたいにいわないでくれますか?」
「……自覚がないのか?」
「自覚はありますけど、貴方に言われるのが腹立つって話です」
その言葉に、なぜかオスカーは「そうか」と微笑んだ。
舞台の準備が整ったのか、壇上にリーンが上がる。そして、にこやかな顔で最初の挨拶をした。無料ということもあり、もう席は満席である。
「ところで、だ。少し前から聞きたかったんだが……」
妙に固くなったオスカーの声に、ギルバートは「はい?」と首を傾げる。
「お前、セシリアのことどう思ってるんだ?」
「……直球で聞きますね」
「こんなもの、回りくどく聞いても仕方がないだろう」
幕の上がる舞台に視線を向けたまま、ギルバートは口を開く。
「殿下の思っているとおりですよ」
「そうか。……それは手強いな」
「お互い様でしょ、そんなもの」
そこまで言ったとき、銀糸の髪を靡かせながら、セシリアが舞台袖から出てくる。
神々しさを感じる真っ白いドレスに、いつもとは違うストレートな髪の毛。瞳の色こそ同じだが、化粧のせいか、いつもより鋭い美しさがあった。
隣から聞こえる「俺の婚約者は可愛い上に綺麗なのか……」というわけのわからない呟きを聞きながら、ギルバートは舞台を見つめる。
最初のシーンは、悪魔に支配されている国を見ながら、女神が憂うという場面である。
話自体は、一般的なプロスペレ王国の神話をなぞっているものだったが、所々に台詞やシーンが足され、よりドラマチックに見えるように仕上げられていた。
そして、悪魔と女神が戦うシーン。
動きやすくするためか、セシリアのスカートにはスリットが入っていた。そこから覗く素足に、一部の男性陣がわっと声を上げる。
「……」
思わず、舌打ちが漏れた。
別に下品に見せているわけではないのだが、これは後でリーンに文句を言いにいった方がいいだろう。出来るのならスリットの部分に布を当ててもらうことも考えた方がいい。
後ろで色めいていた彼らの一部を視線で射殺しながら、ギルバートはそう思った。
「意外にちゃんと作ってるんだな。リーンのことだから、急に男同士のラブロマンスが始まるんじゃないかと思ってヒヤヒヤしていたのに……」
「さすがに、それは教会の人に怒られると思ったんじゃないですか? 仮にも彼女、救済院出身ですし……」
オスカーの疑問にギルバートはそう答える。
いろいろ企んでいることはあるかもしれないが、彼女が救済院のことを思っているのは本当だろう。その証拠のように、飲み物や冊子を売っているのは救済院の子供達だ。きっとあれらの売り上げは救済院に入るに違いない。
そうしている間に物語はクライマックスを迎える。
最後は、この神話で最も有名なシーンだ。
悪魔の反撃に遭い、燃えさかる地獄の炎に取り残されてしまう女神。それを助け出すのは、彼女に協力した一人の男性である。
大体の舞台では、そこまでを劇で演じ、最後にナレーターが『彼は後に女神との間に子供を残し、この国の王となる男だった』と語り、物語は終わる。
ギルバートもオスカーも、ここのシーンは子供の頃から何度も見てきた。なので俳優が代わったぐらいでは目新しさはない。
オレンジ色の光で表される炎の演出に、助けを求める女神。そして、彼女を助け出す一人の俳優。
そして、最後にナレーションが流れ――なかった。
(ん?)
本来なら幕が下りているだろう場面で幕が下りない。
セシリア演じる女神と俳優は、真ん中で互いに見つめ合っていた。
『貴女が無事で良かった』
『どうしてこんな無茶なことを……』
『私は一人の男として、貴女を愛してしまったのです』
流れるような甘い台詞に、こめかみがひくついた。
突然始まったラブロマンスに、オスカーも怪訝な顔をしている。
『あの夜、貴女が人の形をとって降臨してきたときから、私は貴女の虜だった』
『私も多くの人間がいる中で、誰よりも貴方のことを頼りにしてきました』
『貴女は役目を終えたのかもしれない。しかし、私は貴女を泡沫の夢にはしたくない』
『私も望むらくは貴方と……』
後ろで流れていた音楽が変わる。
そして、二人の顔が不自然に近づいた。
(は?)
俳優はセシリアの腰を抱えると、そのまま覆い被さるようにして唇を――
「はぁあぁ!?」
「なっ――!!」
二人は同時に立ち上がった。周りの人たちがぎょっとした顔で二人を見上げる。
唇が重なる瞬間に舞台の幕は下り、拍手が辺りを包んだ。
その拍手を聞き終える前に、二人のつま先は、同時に舞台へと向くのだった。
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