32.「大好きだよ、セシリア」
「そもそもヴルーヘル学院に『女子生徒は女子生徒の制服を着なければならない』とか『名前や身分を偽ってはいけない』とか、そういう規則はないわけ」
先ほどまでリーンが座っていた席で、ギルバートはそう口を開いた。
正面には眉をハの字にしているセシリア。周りには、リーンも、両親も、ハンスでさえも、もういない。皆それぞれにデートや観光に散ってしまった後だからだ。
「そのぐらいは、私でも知ってるけどさ。でも、それがどうしたの? お父様とお母様が、男装のこと知ってたことと何か関係があるの?」
不安げな顔のセシリアを、ギルバートは「まぁ、聞いて」と落ち着かせる。
「だから、今やっていることは規則的に何の問題もないって話だったんだけど。ここで問題になってくるのが、学院を管理しているクレメンツ伯爵の存在なわけ……」
「クレメンツ伯爵が?」
「規則で問題なくても、公爵令嬢が男装して――しかも身分を偽って学院に入ってきたら、大問題でしょ? というかあの規則だって、今までそんな前例がなかったから作ってなかっただけって話なんだろうし……」
ギルバートのその言葉に、セシリアは身を乗り出す。
「で、でも。今、問題にはなってないよ?」
「そう。だから、黙らせたの」
「黙らせた?」
「権力と、お金の力で」
さらりととんでもない言葉が聞こえた気がして、セシリアは黙る。
驚愕の表情を浮かべる彼女を目の端に止めながら、ギルバートはさらに続けた。
「クレメンツ伯爵家の嫡男がギャンブル狂だって話は俺でも知っているし、お金に困っているだろうってことは容易に想像がついたからね。資金援助って形でお金を用意して、その代わりに黙ってもらうことにした。だけど、俺が動かせるお金ってなると、たかがしれてるから……」
「それで、事情を話して、お父様とお母様に頼んだってこと?」
「まぁ、セシリアが入学するのに合わせて資金援助を申し出るって話は前々からあったからね、それに条件をつけてもらったって形だよ」
話によると、クレメンツ伯爵に出した条件は
『うちの娘が男装して通っていることは、誰かに聞かれるまで黙っておくように』
『男子生徒として何不自由なく過ごせるようにいろいろと取り計らって欲しい』
の二つだという。
なので、もし国王から『セシリア嬢が男装して、そちらに通ってる?』なんて聞かれれば『イエス』と答えていいし。シルビィ家が頼んできたことを伝えてもいいのだから、何かあったとしても責任を取る必要もない。
クレメンツ伯爵側にしてみれば、黙っているだけで多額の資金援助が受けられるのだ。そりゃ、口をつぐむことを選ぶだろう。
「ルシンダ様とエドワード様は、国王様とは竹馬の友だし。まぁ、ある程度無茶しても許されるだろうって考えもあるんじゃない?」
協力してくれた理由をそう話す彼に、セシリアは前のめりになる。
「ちょ、ちょっと待って! お父様とお母様にはなんて言ったの? 事情を話したって、まさか前世の話は――」
「してるわけないでしょ。普通そんなバカげた話、誰も信じないからね」
バッサリとそう切られる。
そんな『馬鹿げた話』を義弟にしてしまった過去を持つセシリアは胸を押さえた。
「二人には、『「見聞を広げるため、仮の身分で学院に入りたい」ってセシリアが言ってる』って伝えてる」
「え? ……それ、二人とも信じたの?」
「ルシンダ様なんか、涙を流しながら喜んでたよ。『やっと王妃になる自覚が出てきたのね』って。エドワード様も『国を動かす人間の一人になるんだから、見聞は広げておかないとな! そのためになら、金ぐらいいくらでも出すぞ!』って言ってたし……」
「……お父様、お母様」
娘に甘い、甘い、とは思っていたが、本当にこれは相当な甘さだ。本来ならばこの過ぎた溺愛でセシリアが我が儘し放題の悪女となってしまうのだが、今回に限ってはそれがいい方向へと動いてくれていた。
セシリアはほっとしたような顔で椅子の背もたれに身体を預けた。
「でも、それなら早く言ってくれればよかったのに! そうしたらもっと、のびのびと――」
「それだよ」
「え?」
「最初からシルビィ家が後ろ盾してるって知ってたら、セシリア、今以上の無茶してたでしょ? だから、あえて言わなかったんだよ。これ以上のびのびされたら、俺じゃフォローできなくなるからね」
真面目に怒るトーンでそう言われ、セシリアは「……はい」と申し訳なさげに身体を小さくさせた。本当に、ごもっともである。
ギルバートは呆れたように深く息をつくと、視線を手元のカップに落とした。
「ま、知っちゃったものは仕方がないけど。でも、これからもシルビィ家の後ろ盾はないものだと思って動いてね。何かあったときに責任を問われるのは、セシリアじゃないんだから」
「……あのさ」
「ん?」
セシリアの問いかけにギルの顔が上がる。その瞬間、セシリアの視線が逆に下がった。
「ちょっと話変わっちゃうんだけど、いいかな?」
「どうしたの、セシリア?」
「さっきから思ってたんだけど、……その呼び方、定着する感じ?」
セシリアはこわごわとそう聞く。『その呼び方』というのは、ギルバートの『セシリア』呼びのことだ。初めて名前を呼んだあの日から、彼はずっとセシリアのことを『姉さん』ではなく『セシリア』と呼んでいる。どういう心境の変化だろう……と疑問には思っていたのだが、今まで気恥ずかしくてなかなか聞けなかったのである。
「ダメだった?」
「ダメって言うか。名前で呼ばれると、お姉ちゃんって感じがしないなぁって」
「まぁ、実際に姉とは思ってないしね」
ギルバートは困ったように笑う。
その瞬間、セシリアの脳裏に先ほどのリーンの言葉が蘇ってきた。
『アレはどう見ても、女性としてアンタのこと好きでしょ?』
『ギルバートからしたら、アンタなんて一緒に住んでるだけの、ただの親戚のお姉さんよ!』
(ギルが私のことを『お姉ちゃん』と思えないのは、私が頼りないから……だよね)
先ほど流した親友の言葉にドギマギしてしまう。そんなことはまずあり得ないだろうとは思っているのだが、妙に首筋が火照ってきて、つられるように顔も熱くなった。口の中だってなぜか乾燥してきたように感じてしまう。
「どうしたの?」
「ど、『どうしたの』って!?」
「なんか、変な顔してる」
手が伸びてきて頬に触れられる。びっくりして身をすくませると、むに、と頬をつままれた。
「はは、もっと変な顔」
「――っ!」
このぐらいのふれあい、普段ならなんとも思わないのに、リーンの言葉で妙に意識している身体はぎゅっと硬くなる。
「本当にどうしたの? 体調悪い?」
「い、いや……あの……」
「熱でもある?」
ギルバートは立ち上がり、セシリアの額に手を当て、熱を測かる。
彼のひんやりとした手が額を触った後、一番火照ってしまっているだろう首筋に触れた。
(ひっ!)
いつも通りだ。本当にいつも通りの距離感なのに――
「平熱より、少し高いかな」
なんてことない態度と表情で彼はそう言う。
セシリアはその表情を見て、膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。
(だ、だめだ、だめだ、こんなの! ギルにも悪いし、私も変に意識しちゃうし!)
勝手に意識して調子を崩すなんて、相手に悪すぎる。
セシリアは、感情のまま勢いよく立ち上がった。
(こんなもの、はっきりさせとけばいいんだ!)
「あのさ、ギル!」
「ん?」
「リーンがさ、変なこと言ってて……」
「変なこと?」
はっきり否定されれば、これからも気持ちよく義姉弟でいられる。
セシリアはそんな考えで口を開いた。
「あのね。リーンってば、ギルが私のこと好きだって言うんだけど……」
「……」
セシリアのその言葉に、ギルバートは驚いたように一瞬固まる。
しかし、何かを悟ったのか、すぐにふっと困ったような笑みを零した。
「なんで? そんなの今更でしょ? いっつも言ってるよ、大好きだって」
「いや、違くて! リーンは恋愛する相手としてギルが私のこと、好きかも、とか……」
(あれ?)
熱を口から吐き出したからか、セシリアは猛烈な勢いで冷静になっていく。そして、自身が言った言葉を改めて確かめる。
(なんか私、すごく恥ずかしいこと言ってない……!?)
全身からぶわっと汗が噴き出した。吐き出す息までも熱くて、握りしめていた手でさえも震えてくる。
本当に、なにをバカなことを確かめているのだろうか。
ギルバートの表情を見るのが怖くて、セシリアはぎゅっと目を瞑った。
「ご、ごめん! そんなわけないのにね! いや、もうホント忘れて! 変なこと聞いちゃってごめ――」
「だから、それこそ今更でしょ」
「え?」
遮るように放たれた言葉に、セシリアは揺れる瞳をギルバートに向ける。
口元に淡い笑みを浮かべた彼は、じっと手元の珈琲を見つめていた。その視線の先にはきっと、珈琲の水面に映る彼自身がいる。
「俺は最初からそういう意味でしか、『好き』だなんて使ってないよ」
その視線が上がって、セシリアと絡んだ。
「大好きだよ、セシリア」
ギルバートの目がゆっくりと細まって頬がじわりと色づく。
その薄い桃色を見ながら、セシリアの頭は、ぼん、と爆発した。
これで気づいてないってことは、さすがにないです(笑)
ギルセシ好きさんに喜んでもらえたらいいなぁ。
書籍もコミカライズもどうぞよろしくお願いします。
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では!




