31.婚約者になりました
「チヒロ。オレの婚約者になってくれ!」
月曜日の朝、駅前で合流したヒデタカに告白された。
「ヒデタカ。男に目覚めたの? アタシは女の子が好きなの。無理よ。相手出来ないわ。」
ナヨナヨと顔を伏せる。我ながら気持ち悪い。
「ちげーよ。そうじゃなくて、婚約者の振りを・・・ちぇっ・・・このヤロー・・・解って言っていたな。」
顔がニヤついてしまっていたらしい。オネエの醍醐味はやっぱり男をからかうことだよな。このところ、女装して男を騙すケースばかりだったからストレスが溜まっていたのだ。
「それでも嫌よ。女装して人を騙すのはシンドイもの、出来るだけやりたくないわ。ヒデタカならちょっと声を掛ければ手を上げる女の子も多いでしょ。何故アタシがやらなきゃいけないのよ。」
婚約者ということは誰かを騙すのだろう。勘弁してほしいところだ。
「女装はむしろ必要無い。チヒロの料理の腕が必要なんだ。」
「なんなの。新しい婚約者でも送り込まれてきたの? 女の子の扱いならお手のものでしょ。ヒデタカとラブラブな振りなんて、アタシからかう時にしかしたくないわよ。」
俺はヒデタカに顔を近付けていく。もちろんキスをする気は無い寸止めするつもりだ。
「うわぁぁ。止めろよ。いくらオレでもチキンレースのような笑いは取りたくねえよ。」
「ちぇっ・・・見破られたか。」
「違うんだってばよー。来月母親がマトモな食生活しているかマンションに確認しくるんだ。出来てなかったら実家に連れ戻されてしまうんだ。チヒロも困るだろ。あのマンションが無かったら。」
ヒデタカのマンションには女装に直接関係ないものを置かせて貰っている。女装から着替える際の男物の衣類が大方だ。
「別に・・・。邪魔なら退けるわよ。じゃあアタシ今日取りに行くね。」
荷物くらい『キャラメ・ルージュ』のパインママに無理言えば置かさせてくれるに違いない。
「チヒロなんで。そこまで嫌がるんだ?」
「ヒデタカの母親って良妻賢母で有名な女優の『黒川瑞枝』さんでしょ。オネエのアタシが太刀打ちできる相手じゃないわよ。プロ相手に騙し通せるわけが無いでしょ。」
男性は下心があるから割と簡単だが女性はそうもいかない。女優相手にどれだけ通用するだろうか。
「別に騙さなくてもいいよ。チヒロなら黙ってるだけで相手が勝手に誤解してくれるさ。」
「仕方ないわね。予算はどのくらいよ?」
ここまでお願いされたら仕方が無い。
「金を取るのか?」
「あのねえ。料理を作るにも材料費が必要なの。他にも衣装代とか掛かりそうだし。」
女装するには他人に言えないようなところにもお金が掛かるのだ。
「とりあえず必要経費は請求しろよ。明細もレシートも忘れんなよ。」
細かいな。金持ちならポンと出さんかい。
女装で使用する物も説明しなければいけないのだろうか。面倒くさいな。ヒデタカなら興味津々で聞いてくるらろうけど。
「とにかく情報収集ね。・・・お母様って、どんな方なの?」
良妻賢母は女優としてのイメージであって、どこまで本当なのか解ったものじゃないのだ。
「それが良くわからないんだ。女優業が忙しいって家にも居着かねえんだ。完全にテレビ画面の中の人だな。」
良妻賢母と無茶苦茶矛盾するな。ヒデタカも解らないのか・・・言いたく無いのか。それさえも解らない。
「頼りないわね。丁度今日はその手の情報を知ってそうな女性の家に伺う日なの。付いてきて。でも粗相をしちゃダメだからね。」
今日は志保さんの家に伺う日だ。志保さんは医大生の勉強の傍ら女優業もこなしている。その分、身体を酷使する所為かメンテナンスのお手伝いをさせて貰っている。いわゆるマッサージだ。
「どんな人間だよ。オレは。これでも身持ちは固いほうなんだぞ。」
ヒデタカは見た目の軽さに反して女性関係はキレイだ。この辺りも母親が関連しているのだろう。疑いだしたらキリがない。
「知っているわよ。でも志保さんはヒデタカの好みのタイプみたいだし気をつけないと。何かしでかしたら、ぶっ殺すからね。」
以前ヒデタカのマンションで志保さんの七変化と銘打たれたちょっとエッチな写真週刊誌を見たことがあるのだ。後で母親がマンションに来る前にヒデタカのオカズ雑誌は捨てなきゃね。
志保さんは世間的には恋多き女優として有名で女優として活動しているときは露出度の高い服を着ていることが多いから淫乱だと誤解されているのだ。
「チヒロって、この高層マンションに住んでいるのか?」
放課後、ヒデタカを連れて自宅のあるマンションに到着する。ここには商業施設もあり、以前のバイト先のハロウズというブランド名のヤオヘースーパーも入っている。
「違うわよ。低層階にも住居があって従業員用の賃貸物件を貸して貰っているの。」
「バイトにも貸してくれるのか?」
「うーん。古参だからじゃない。」
以前は牛丼屋の店舗の3階の従業員アパートを借りていたのだが、母親の結婚を機に移ったのだ。だから家賃や共益費は父親が俺の口座に入金している。
ファミリー世帯向けで独身者は入れないはずだが俺が未成年だった所為か入れてくれたのだ。
会社の補助は無くなるが元従業員も入れるシステムになっている。俺の場合は所属は残っているものの働いていないので来年からは補助が無くなる予定だ。それでも駅近物件なので学校に通い易いこともあって出て行くかどうか悩んでいるところなのだ。
「その志保さんって女性も従業員なのか?」
「元従業員なの。でも上にある低層階の分譲を購入したらしいよ。管理人さんにも挨拶していってね。ここセキュリティが凄く厳しいからね。同伴者が必要なの。」
「同伴者が居ないとどうなるんだ?」
「住居用エレベーターに乗ると12階の屋上に直行し警察に引き渡されるらしいよ。ねえ渚佑子さん。」
管理人室に居た渚佑子さんに声を掛ける。
「そうよ。興信所や週刊誌の記者など有象無象の輩を不法侵入で引き渡しているわ。延べ100人以上かな。」
延べって何回も侵入したのか。
「渚佑子さんも来る? マッサージの仕方を習いたいと言っていたよね。」
俺はプロのマッサージ師では無いが看護師の母親にマッサージしていたので、どの辺りをほぐせばいいか良く解っており多少勉強もしている。
「そうね。習っておこうかな。」




