感情
君は、現時点でこの世界に生存している人間が自分一人であることをすぐに理解した様だった。荒廃した街の残骸と、その隙間を覆う形で広がろうとする植物たち。動くものといえば時折崩れ落ちる建造物と風で揺れる草木、小川の流れ、そして決して数が多いという訳でもない我々ロボットのみだ。
「ここに居るのはあなたたちだけなの?」
僕が話せないことは分かっている筈だが、君は僕に話し掛けてくる。
「ここは父の工場で、私は家族とこの居住エリアに住んでいたの。ねぇ、私の他にも誰かを見付けなかった?」
生きている人間が入った冷凍睡眠装置が発見されたことは即時にロボットたちに伝達され、徹底的な周辺の捜索が行われた。だが、結果として見付かった装置は全てが棺桶と化していたのだ。僕に発語する機能が搭載されていないのは、この場合は寧ろ幸いなのだろう。僕はただセンサーランプを点滅させた。君がそれをどう解釈するのかは分からない。
人型のアンドロイドとは違い、人間にとってのロボットは単なる作業用の機械だ。AIも、人間の命令に従う程度の意思の疎通を前提とした簡易的なものしか搭載されていない。必要が無いからだ。
けれど、僕は自分の回路に違和感を抱き始めていた。『僕』という意識───大量生産品のロボットのAIにはプログラムされていない筈の、『個』としての自意識が発生しているのだ。とうとう劣化によるバグが起こったのだろうか。
君がまた僕のセンサーカメラを覗き込む。
「…きっと、私だけだったんだ」
この声のトーンが表すのは悲しみだ。君は、廃墟となったかつての自宅を振り返った。捜索を終えたロボットが数体、工場内に散らばっていた部品を回収して運んでいく。我々のパーツ交換に適したものがあったのだろう。僕も一度メンテナンスを行うべきかも知れない。
「あなたには仲間が居るのね」
通り過ぎていくロボットたちを見つめながら君が呟いた。少し細められた目と、ややトーンの下がった口調をパターン検索する。該当したのは羨望と嫉妬、孤独。この世界でたった一人の人間である自分と、何体も存在するロボットとを比較することによって生まれた感情である、と分析結果が表示された。元々人間は集団で生活する生物だということを考えると無理もないだろう。
実際、状況だけを見れば確かに僕は一人ではない。現在この世界で複数のロボットが稼働しているのは事実だ。しかし、我々には『仲間』という概念がそもそも無い。作業を効率良く行う為には数が必要なだけであり、お互いがお互いにとって道具の一つに過ぎないのだ。
それでも、君は僕には仲間が居るのだと認識して僕を羨ましがり、更に孤独感を深めているらしい。孤独というのはどんなものなのだろう。検索しても意味が表示されるだけで、ロボットの僕には理解ができない。
君は近くの草地へと目を向けた。その辺りには小さな青い花が群生している。そこに近付こうと君が歩を進める度に、足元の草が萎れていく。枯草の道を作りながら目的地に到達した君が、花に向かって手を伸ばした。さっき僕が差し出した花と同じ様に、君が触れた途端に青い花たちは枯れて項垂れてしまう。君は一瞬手を止めようとしたものの、そのまま花を摘み取った。
「私、あなたが羨ましい」
枯れた花を胸の前で握り締めながら君が言った。伏せていた目がこちらに向けられて、そこに映る僕の姿が涙で歪んでいる。
「だって私は一人ぼっちなのに、あなたには沢山の仲間が居る。あなたは花を触れるのに、私が触ると枯れてしまう」
手に込められた力が強くなったらしく、枯れて脆くなった花はぼろぼろと崩れてしまった。君の目からは涙が零れ落ちる。
「私もロボットになりたい。そうすれば一人ぼっちじゃなくなるし、花束だって作れるでしょう?」
我々ロボットには『心』が無い。一人ぼっちという概念が無いし、寂しい、悲しい、嬉しい、楽しいなどという感情すらそもそも存在しない。感情は人間を構成する上で極めて重要な要素であり、頂点を極めた彼等の科学技術を以てしてもAIにそれを再現することは不可能だったのだ。
「ねぇ、私に花を抱かせてよ」
だから、感情を持たない僕には理解ができない。君は孤独さ故に我々の様な機械になりたいと言う。孤独というものは、そこまで人間にとって耐え難い感情なのだろうか。花に触れることができないのは、それほどまでに苦痛なことなのだろうか。
「…ごめんね、無理を言って困らせて」
君は握り締めていた手をそっと下ろした。枯れた花の残骸がぱらぱらと手から離れていく。センサーカメラに映る君は、さっきと同じ表情で僕を見ている。悲しみと絶望と孤独を示しているのに、何故か笑っている。何度検索しても、その表情が該当する感情パターンがヒットしない。回路の違和感が増していく。
だから、僕は君の『心』を知りたいと思った。