5 敵
人類はついに、夢の道具が実在することに気づく。
水とタンパク質で殖やせる、演算能力つきの労働力。
つまり、人間だ。
-§-
ぼー、とトンネルを走っているような音が延々と鳴り響いている。
息を吸って、埃がざりっと喉を搔いた。咳き込む。咳き込んでも空気が汚くて楽にならない。目がチカチカした。四肢も体も、狭苦しい操縦席に押し込まれている。
猟機の中だ。
装甲は歪んでいるが、機体は動く。銃架が潰れていた。くしゃくしゃに折れた機銃が転がっている。
「くそ」
痛ぇ。もう全身が痛いわ。とりわけ右手首が痛む。機銃を握っていたからだろう。
瓦礫が落ちる音。大型猟機が埃を滝のように落としながら、壁の残骸を崩して立ち上がっていた。
クソ野郎。壁を砲撃しやがった。爆風に巻かれた俺はスクラップ同然だ。手足が痺れてたまらない。
「潮時か」
まあ、長生きしたほうだろう。
家族もいなければ恋人もいない。住まいも借家。私有財産と呼べるものは着替えと携帯ゲーム機と、読み飽きたマンガくらいのものだ。
いまさら、生きる理由なんてなにもない。
……なにもないのに。
猟機の腹に巻いた爆弾をむしり取った。
雷管を突き刺して目の前の大砲に叩きつける。背を向けた直後、爆発と轟音に体を震わせる。猟機の中で転がった。
痛む首と腕に耐えながら、歪んだ銃眼を覗き込む。
爆破に巻かれた大型猟機の右足が床を踏み抜き、姿勢を崩していた。
ふざけんなクソ野郎、ぜんぜん高性能でも何でもないじゃねぇか。これでなにを壊すつもりだって?
操縦桿を握りしめて、蹴飛ばすように立ち上がる。
「死ねクソAI!」
猟機の足に格納されたブレードを伸ばし、跳躍からの踵落としで叩きつける。
澄んだ音を立てて折れ飛んだ。クソ硬ぇ装甲だ。
それでも装甲に蹴爪を引っかけ、大砲の前に落ちることだけは避けた。大型猟機に殴られて右腕が基部ごと脱落する。埃まみれの外気が大量に流入してざらついた。肺が痛い。大型猟機の背後に回る。
AIと巴戦を繰り広げながら、自分を笑う。
なんでまだ生きてんだ、俺。
難しい理屈なんてない。
「死ぬなんざ、いつでもできらァなぁ!」
殴っても引っかいても、分厚い装甲には傷一つつかない。
「どうせ死ぬ! ずっとそうだ! このクソ野郎を黙らせてからだって同じだろうが!」
殴り落とされて這いつくばる。カエルのように跳んで砲口から逃れる。
分かっている。
ジリ貧だ。俺の体力が尽きたとき、俺は死ぬ。そしてAIは疲れない。
言ってるそばから息は上がって気管はねじ切れそうだし、手足も疲れ果てて毒沼のなかをかき回しているみたいだった。両目は焦点を結べない。ひたすらに空気が埃っぽい。酸素が欲しい。
「あ」
瓦礫を踏んだ。
こてんと棒を倒したように転ぶ。
大砲の砲口が滑ってきて、止まった。
「あー」
死んだ。
バギン、と鈍い音。
大砲が歪む。
装弾不良った。
「かッ!」
遮二無二飛び起きる。
なんだよ高性能爆弾! 仕事したじゃねぇか!
壁を足掛かりに跳ねて、天井へ蹴爪を食いこませる。
大型猟機のうなじを見下ろした。
装甲の継ぎ目に、弾痕のゆがみ。
もう片足のブレードを伸ばす。飛び降りてまっすぐ突き通す。
穿つ。
大型猟機は手足を痙攣させた。まだ立っている。ブレードを折り、左腕を叩きつけて刀身以上にねじ込んだ。
ばつん、と大きな電気の悲鳴。
巨躯の足から力が抜けて、巨大な体がばったりと倒れる。
目の前に砲口が来て心胆が冷えたが、撃つ気配はない。
完全に沈黙している。
「ふは」
呼気が漏れたら止まらない。
笑いが腹から込み上げた。なんで笑ってるのかよく分からんが、頬がしびれて肺が笑って、とにかく笑声を上げ続けた。
「ざまあみろ、ビチグソ野郎!」
まったく、人生最悪に痛快な日だ!
-§-
AIの示した指針を頼りに知的階級が叡智を注ぐ。
AIの経済予測に導かれて経営者階級は奔走する。
労働者階級は生まれ持った肉体で、AIと人類社会に奉仕する。
人類総奴隷時代の到来だ。
-§-
さて。
隊長の残骸に声をかける。
「死んだか? 隊長」
「伍長」
ひび割れた声。たいしたもんだ、まだ機能停止していない。
「作戦を続行せよ。目標は、目視できている」
「どこだよ、爆破ポイントって」
「この道を20m直進、右手に見えるハッチのなかだ」
ほーん。ホントに目と鼻の先だ。
「私の爆弾を持っていけ。伍長の爆弾では威力不足だ」
「なるほど。最初から隊長さえたどり着けばいい作戦だったわけか」
装甲猟兵のAIが落伍するなんて初めて見た。
と思ったが、隊長が敵性AIを排除するところは何度か見ている。見たことがないのは、AIを失って無事な猟兵だ。
隊長の装甲を引き剥がす。ボロボロのズタズタだから、焼けたクッキーくらい簡単に割れた。一抱えもある円筒をつかんで引っ張り出す。
「あとは、まかせた」
言い残して、隊長は沈黙した。
役目を果たして息絶えるとは泣かせるね、感動的だ。全米が泣いた。アカデミー賞総なめだ。
ぱぱっと終わらせるとしよう。これも仕事だ。
果たしてハッチはすぐそこにあった。銀行の金庫に似た、ハンドル式のクソ重い鉄扉を開けて内部に入る。
それは黄金色の宝物庫だった。
「なんじゃこりゃ」
いっぱいに金糸のような回路が張り巡らされた電子基板だ。
そんな小さな板が、何千枚、何万枚と壁いっぱいに収められている。これだけの積層回路、これほどの精密基盤、尋常なものではない。
ふと気づく。
「まさかこれ、AIのマザーボードなのか?」
AIといえば現代の金塊だ。
それがこれほど大量にあれば、底値で売りさばいたとしても一財産を築けるだろう。
はっとして振り返る。
「まさか、隊長の任務って破壊じゃなくて、基盤の強奪だったんじゃないか」
ガメて跡地を爆破する。ありそうな話だ。
どこの業突く張りが命令したのか知らないが、指示された行動を効率化して遂行するAIに任せたのは合理的だろう。
目的遂行能力に加えて法学にも堪能、という複数特化のAIはさすがに少ない。つまり裏切る心配がない。
「じゃあ」
俺は気づいた。
どうせ盗まれるものなら。
「俺が盗んでも、問題ないんじゃないか……?」
壁中が金色に輝いて、俺を待っていた。