09 旅の準備
いよいよ王都出発の前日となった。
目指すは、俺と一緒に魔王討伐を成し遂げた仲間の一人、神官のエルザがいる町『セトロス』だ。
エルザは教会で働いており、孤児院で子供の面倒を見ている。
アリサをそこまで連れて行けば、きっとエルザは助けてくれるはずだ。
先日のゴブリン襲撃では、グリフ銅貨100枚分の価値にあたるグリフ銀貨1枚を報酬として受け取ることができた。
これだけの旅費があれば、『セトロス』まではなんとかなるだろう。
それにゴブリン襲撃で、『錆びた鋼鉄の片手剣』も鹵獲できた。
強力な装備、とは言わないが、『木のこん棒』よりはまともな武器になるだろう。
しかしひとつ気がかりなのは、ゴブリン野営地でアリサの父親の手掛かりが何一つ見つからなかったことだ。
ゴブリンに殺されたか、攫われたのでなければ、反乱軍の手の中か。いずれにしろ、今はアリサをエルザに預けるのが先決だ。
旅の準備に忙しい俺に代わって、自称魔狼の子孫クーフーリンが、アリサに魔法を教えていた。本当は、バカ犬になど任せずに俺が教えてやりたかったのだが。
「アリサは、かなり筋がええで。もうかなり魔法を操れてきている」
「そうか。まあ、そうだろうな」
「?。せやな。母親譲りなんやろな」
アリサの母親は、魔王討伐の仲間の一人、異世界の魔法使いユウナだ。アリサの魔法適正が高いのは、言わば当然だろう。ただ全属性適正には驚いた。
明日には、『セトロス』に向かって、王都を経たなければならない。今日は、市場で準備を整えよう。
朝から、我が家で魔法の練習に励んでいたアリサは、俺が買い物に行くと言ったら、私も連れて行ってと懇願してきた。好奇心が強い子なのだろう。
王都の市場は、街のほぼ中央。王の居城を守る城壁の周囲に位置する。王都の住民のみならず、王国の村々から人々が集まり、ごった返している。馬車も頻繁に通りを駆け抜け、いつもより混雑している。まもなく王都に到来する本格的な冬に向けて、皆が準備しているようだ。
そして、まもなくであるグリフ王国の主神生誕祭にむけて、中央通りはランプやベルなどの様々な飾りが施されていた。
「うわぁ。きれいですねぇ」
アリサが目をキラキラさせている。
「この時期は、王都の市場が一年で一番盛り上がるからな。俺は苦手だが」
「なんで苦手なんすか?」
「なんでもだよ。人が苦手なんだ」
「ふーん。そうなんですか」
アリサは、むーんとむくれている。俺のぶっきらぼうな態度に怒ってしまったのか。
それでも市場の混雑が苦手なのは当然だ。魔王討伐のあとは、貧民街で怠惰な生活を送っている。こんな、市場の輝きなんて、まぶしいだけだった。
市場を二人で歩く。やはり大分、冬が近づいている。アリサの息も白い。
「寒くないか?」
「大丈夫です」
再び、二人で歩く。明日からの行動食のために、食料品を扱う店に行く。
干し肉を購入した。あとは装備品か。
やはりアリサは寒そうだ。こんな状態では、風邪をひいてしまう。
『セトロス』に向かう途中で、風邪をひかれたら厄介だ。
そんなことを考えて、裁縫師の店に寄る。
ゴブリン討伐で浮いた金で、アリサにマントを買ってやろう。子供用だし安く上がる。
俺は、襟元に白い毛皮のファーが付いた紺色のマントを買った。
それをアリサに掛けてやる。
アリサは驚いて、目をぱちぱちしている。
「寒そうだったから」
「えっ、でもお金ないんじゃ⋯⋯」
「――少し、余ったんだ」
俺はそういって、歩き出した。アリサが追いかけてくる。
アリサは俺の前に出る。そして、嬉しそうにくるっと一周まわった。
「どうですか?」
満面の笑みを浮かべて、こっちを見ている。
「ああ、似合ってるよ」
アリサが戻ってきて、俺の横に並ぶ。二人で歩く。
前の俺からは想像もできない。少し照れくさい。
俺は、照れくささを隠すように、彼女に問いかける。
「魔法のほうはどうだ?」
「あっ、ちょっと待っててくださいね」
アリサは両手を、水を掬うような形にする。スーと息を吸って集中している。
彼女の両手の上に、少しづつ氷が形成されていく。しかも秩序立って。
その氷は、やがて一輪の氷の花になった。
「どうですか?ダリルさんにプレゼントです」
「俺に?」
「はいっ!お世話になっているお礼です」
俺は彼女からその氷の花を受け取る。繊細で、すぐに溶けてしまいそうだ。
彼女はふわっと俺に笑いかけた。
「いつもありがとうございます」
なんだろう。なにも言葉にならない。俺もぎこちなく彼女に笑いかける。
こんな気持ちはいつぶりだろう。彼女が、大切な仲間の娘というだけでなく、とても愛おしく感じる。恋愛感情とは違う。本当に彼女のその笑顔を守りたいと思った。
「すごいな。よく出来ている」
ようやく、出た言葉は、そんなものだった。
アリサは、えへへっといった感じで笑っている。
俺は少しでも、氷の花が体温で溶けてしまわないように、指先で大切に支える。
「いつでも作ってあげますよ」
そう、彼女は言ってくれた。
俺の努力もむなしく、氷の花はすぐに溶けてしまった。でも、13年間凍ったままだった俺の心も少し溶けたような気がした。そんなこと考えるなんて俺も焼きが回ったのかもしれない。
俺たちは明日、王都を旅立つ。