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エッセイ臭

自分に傷があると安心する話

作者: 志賀飛介

自分に傷があるとなぜだか安心するんです。


私はあまり運動をしないので怪我をすることも滅多にないんですが、

それでもたまに擦り傷とか打撲ぐらいはやったりするんですよ。

で、そうして出来たカサブタとか青あざを見てると気持ちが落ち着くんですよね。


どうして傷を見ると落ち着くのかずっと考えてきて、

たどり着いた結論を書いていきたいと思います。


私の家はどちらかというと幸せな家庭で、貧乏ではないし両親とも仲が良いんです。

それは良いことなんですが、そうすると

『自分は相対的に見て幸せなんだから常に幸せじゃ無きゃいけない』って思ってしまうんです。


自分が辛いときに自分より辛い人とか自分より頑張ってる人がいるって思うと

辛いとか思うのは傲慢なんじゃないかって思えてくる。

そういう考え自体傲慢なのかも知れないですが。


だから自分の体に何かしらの傷があって初めて、普通に生きることが認められたというか、

『自分は幸せな人間なんだから、傷の一つや二つないと皆と同じ目線でものを語ることは許されない』って思ってるのかも知れないです。


もう一つは、『かわいそうな人間になりたい』ってやつですかね。

小さな傷一つでもそれがあるだけで何だか負傷者になったような気がするんですよ。


それもやはり、かわいそうな人間になって初めて、人並みに生きることが認められるということ。

あるいは、単純に『人よりもかわいそうな人間』である方が居心地が良いのかも知れないです。

『自分、今頑張ってる』って思えるので。


少し話が変わりますが、『かわいそうな自分が好きな人』って

怪我したときとか、仕事を押しつけられたりしたときとかに人一倍頑張るイメージがあるので、

意外とブラック企業とか向いてるかも知れませんね(笑)


以上が自分なりに、『傷があると安心する』ことについて考えたどり着いた結論なんですが、

改めて考えてみると、結構傲慢な気がしますね。


特に自分が幸せな人間だと思ってるあたり。

たとえ幸せな人間でも一定量の努力は必要とされますし、

何となく逃げの理論といった印象も受けます。


まあ結論とはいっても途中経過のようなもので、

死ぬまでに答えを出したいとは思っていますが、

どうですかね。。。

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