第20話 魔族の特殊能力と、技術
もう十階層まで歩いているのに、未だにモンスターによるペコペコゾーンは続いていた。
これまでの道程は、ほぼ一本道なのでとても楽に進めたのだが、
「あ、待ってください、クロノさん」
十階層にある、カーブの多い通路を歩いていたタイミングで、不意にソフィアが声を上げた。
「どうした?」
ソフィアは俺たちの歩いている道の突き当たりを指さした。
そこには樹木で出来た扉があるのだが、
「あの扉から、鼓動みたいなものが聞こえます」
「鼓動?」
「ええ、この場合は脈動かもしれませんが。何かが流れる音がしているんです」
俺の耳には何も聞こえないんだが、聴覚の鋭い彼女が言うのだから間違いは無いのだろう。
そしてソフィアの言葉を聞いたリザも、扉を警戒の視線で見ていた。
「魔力の反応はないから魔法的な仕掛けはない。ただ、開けられた形跡もないね……」
「確かに、開いてないですね。マップでは、あの先には十一階層に繋がる階段があることになっているんですが」
そして、この先の階段が十階層と十一階層をつなぐ唯一の道だ。
この階層までサラマードの姿は無かったし、てっきりこの先に進んでいると思ったのだが。形跡が途絶えてしまった。
「すれ違った……ってことはないですよね?」
「うん、ここまではほぼ一本道だし。隠し通路とかも見つかってないからね。まあ、もしかしたらあの鼓動が聞こえる扉が生態型の遺産で、自動的に扉を閉じたって線もあるんだけどさ」
「生態型?」
「そう。あの扉が生きてるかもってこと。魔王の遺産の中には生きているものも普通にあるし、生物を生み出す魔王は、珍しいものではないからね」
なるほど。生態的な自動ドアの可能性があるのか。
だとしたら調べた方が良いんだろうなあ、と思っていると、
「でしたらクロノさん、とりあえず私が確認してみます」
ソフィアが一歩前に出た。
「私なら鼓動の聞こえる場所も分かりますし。そこを念入りに調べられると思います」
「ああ、んじゃ頼むわ」
と、彼女は扉に近づいた。
その時だ。
「――!」
扉がガバっと開き、その奥から大量の水が押し寄せて来た。
それはもう、俺たちの体を流そうとする勢いで。
「わ、これは不味い……! 飛べる人は飛んで!」
言いながらリザは懐から取り出した杖の上に乗り、空中に居座った。流石は魔王だ。飛行魔法も楽々使いこなしている。
俺も早く避難しなければならないが、
「え、えっと……!?」
目の前で戸惑っているソフィアも無視できない。だから、
「ソフィア、こっちに来い!」
「――ひゃあっ!?」
即座に俺は、ソフィアと俺をつなぐ鎖を引き寄せた。
その力は彼女の全身に巻きついていた鎖に伝わり、彼女の体を一気に引き寄せる。
更に、そこで動きを止めずに、
「すまんが命令させて貰う。俺の体にしっかり掴まれ」
「……は、はい!」
俺の命令によってソフィアの体は強制的に素早く動き、俺の体に腕が回る。
そしてがっちりと密着した瞬間、
「よし……!」
俺は床を蹴って飛び、天井に背中から張り付いた。
樹木で出来たデコボコの天井を両手指と両足で挟んで掴み、そこに体重をしっかりかける。
ソフィアの体重も腕に掛るが、そこまで重くないので、問題は無い。
そうして天井に張り付いた俺の眼下では、水が勢いよく流れていく。
「ふー、あぶねー。こんな水量どこに保存してたんだ。……ソフィアも大丈夫か?」
俺は自分の首元にしがみついているソフィアに声をかけると、彼女はほんのりと顔を赤くしながら頷いてきた。
「だ、大丈夫です。ありがとうございます。と、というか、クロノさんってこんな魔法を使えたんですね。こんな浮遊が出来るなんて……」
「うん? いや、俺は魔法なんてほとんど使えないぞ。これも天井に強引にくっついているだけだし」
「え……?」
事実を言うと、ソフィアは目を白黒させた。
そんな彼女に何か追加で言うべきだろうか、と首をひねっていると、杖に乗って空中を浮遊しているリザが声をかけて来た。
「わー、クロノ、それどうやってるの? 今のクロノから魔力は感知できないんだけど、それ体術だよね?」
ちょうど良いところで声をかけてくれた。ソフィアに説明するついでに、リザに答えを返そう。
「これは、手と足の指を上手い事デコボコにひっかけてるだけですよ。そうすると壁に密着できるって、田舎の山登り好きな爺さんに習ったんです」
「あ、ホントだ。いつの間にか靴も脱いでいたんだね。というか、そのおじいちゃんは忍者とかなのかな?」
「いやいや、田舎にそんなのがいても仕事がないですよ。昔は町の方で仕事をしていたらしいですけどね」
今ではただの山登り好きのジジイだから気にするなと言うので詳しくは聞かなかったが、
……思い返してみれば、変わったジイさんだった。
山を三回登らないと朝が始まらない、などと言って、日が出る前に起きて山に行って戻ってくる。
それを太陽が高くなる前に三回して、ようやく自分の家で畑仕事をしているような人だった。
……俺の家は薬を取り扱っていたから、そのジイさんとの付き合いもそれなりにあったんだよなあ。
山で珍しい薬草があれば、ついでに取ってきてもらう位の関係だが、一緒に山を登ったりもした。
その時教わったのがこの体術のへばりつきだ。
ちょっとの凹凸さえあれば平面でも体を保持できるので、登るときだけじゃなくて、滑落しそうな時に使える便利な技術だと言われたが、
「山登り技術が役に立って良かったわ」
「いや、クロノさん。山登り関係ない超絶体術だと思います、これ」
「そうか? まあ、その山登りが好きな爺さんに教われば、誰でもできるからな。俺の近所の人も出来ていたし」
「ご、ご近所さんもですか。なんというか、凄いですね。クロノさんも、クロノさんの出身地も……」
ソフィアがそう言ってくれるのは嬉しいが、空を飛べる魔族も多い。
それに比べたらこの技術は一発芸みたいなものだ。
……現にリザも空を飛べるし、ソフィアだって戸惑わず、吸血鬼の翼を出していれば飛行できたんだからな。
俺は空を飛んだり浮遊も出来ない、何の特徴もない魔人だ。他の魔族は特殊な力を沢山持っているが、俺はそんなにイイモノを持っていない。
だからこういう技術を使って補うしかないんだよな、と苦笑している間に、眼下の水の流れが止まった。
そして、溜まった水は床や壁に吸収されるようにして消えていった。
それを確認してから俺は床に降りて、ソフィアとの密着を解除する。
「あ、ありがとうございました、クロノさん。つ、次は私だけでも回避できるように頑張りますね」
「おう、頼むわ。しかし、大規模なトラップだよな、これ」
それなのに、足元にはもう水たまり一つなかった。
完全に吸収されたらしい。
「面白い仕組みだなあ。これは床や壁の樹木を使って水を循環させて使っているのかなあ。――って、クロノ。後ろを見てよ!」
興味深そうな視線でキョロキョロと周りを見渡していたリザが俺の背後を指さした。
すると、先ほどまで壁があったそこに、巨大な穴がぽっかりとあいていた。
鉄砲水がトリガーになって開いたのだろうか。ただ、
「地図とかには書かれてないってことは、新発見された通路ですか」
「そうだねえ。またマッピング料金ゲットだよ、クロノとソフィアちゃん。やったね」
「は、はい」
確かに金が出るのは嬉しい事だが、気になるのはそこじゃない。
「……サラマードさんって空を飛べましたか? もしくはめちゃくちゃ体格が良くて重いとか、そういう体質だったりします?」
「ううん、あの子は、エルダー・ライカンスロープだから空は飛べないし、小柄で重くもないね」
「となると、流されて、向こうに行ったって可能性が大きいですかね」
「そう、だね。この鉄砲水に耐える魔法を持ってなかっただろうから。おそらくは、確定だね」
どうやら、先人の形跡はまだまだ残っていたようで、
「じゃあ、あの穴に行きますか」
「そうだねえ。そろそろ最下層だし、気合い入れていこー」
「お、おー!」
そろそろ先輩とご対面出来そうだ。
そう思いながら俺は大穴に向かって歩き出していく。




