第5話 大赤斑
出撃前の景気づけと称して、スターリングがブラッディを連れて来た酒場、そこは……。
11.
アリスは、出撃前の最終調整を受けるというので、2人と別れて整備場へと向かった。
その間に男二人は、スターリングがブリーフィングを設定した、という店に向かった。
まあ、実際のところは、出撃前の景気付けに、スターリングの行き付けの店で一杯引っかけよう、というのが主目的であり、ブリーフィングは「おまけ」だと分かると、ブラッディはやれやれという風に肩をすくめた。
「これから戦場に行こうというのに、酒なんか飲んで大丈夫か?」
「これから戦場に行くから飲むんじゃないか、分かってないね君は」
彼らは今、木星の衛星ガニメデの、あのガリレオ・シティの一角に居た。
ブラッディの蘇生手術そのものは中継ステーションで行われたが、術後直ちに、彼らは再びスターリングの航宙船で木星に向かっていたのだった。
落ち着いた先はシティの南(ガニメデにも磁極はある)の外れにある、民間の宇宙港であった。
ガリレオ・シティは、ソル星系の中立地帯としては地球のシドニー、金星のヴィーナスに次いで三番目に大きな都市だったので、Resurrectors達の拠点もあった。
それに、ここは次の作戦の行われる場所の目と鼻の先だったので、ブラッディのリハビリには打ってつけであった。
ご存知の通り、木星にはあの特徴的な巨大な赤い斑、「大赤斑」というものがある。
今、木星はちょうど、ガリレオの上空に昇っていて、倒れ掛かるように輝いており、その木星の表面で、巨大な赤い眼は、ブラッディたちを品定めするように鈍く渦巻いていた。この大赤斑、実体は公転と逆方向の回転を持って生まれた、惑星規模の大きさを持つ台風である。だが、流体力学の生み出す奇跡によって、その寿命は、放置しておくならあと数千年は持つらしい。
だがその眺めは、とても自然に出来たとは言えない重厚な面持ちを感じさせ、サタン≒魔界の王・堕天使などと呼ばれる土星にも増して、この木星に神秘的な力を連想させないではおかなかった。木星の自転速度は極めて早く、その眺めは見ている間に刻々と変化していき、見る者の魂を揺さ振る、壮大なパノラマを展開していた。
だが、スターリングはこの壮大な景色にあまり関心はないらしく、特に気も払わずに、町角のとあるバーに入っていった。バーの入り口には3Dディスプレイで、今の木星のちょうど大赤斑の部分がクローズアップで映し出されている。良く見るとそれは3D看板で、その大赤斑の回りを「BAR GREAT RED SPOT」つまり、「バー大赤斑」という文字がくるくると回っていた。大赤斑――その長寿の台風にあやかって、長く繁盛する店を、と、先代のマスターが始めた店。それが「バー大赤斑」だった。
店の中は適度に暗く、穏やかな調子のジャズが流れ、十数人のレジスタンス兵士とResurrectorsが、奥のボックス席で酒を交わしていた。
ブラッディとスターリングはカウンターに座り、スターリングが何も言わずに自分とブラッディを親指で差すようなゼスチャーでマスターに合図すると、マスターは黙って頷いて酒の準備を始めた。
「スターリング。そろそろ教えてくれ。今回のターゲットは何だ?」
スターリングはしれっとした顔でしばらく横を向いていたが、ブラッディがじっと凝視し続けているので、ばつが悪そうに振り返った。
どうも、こいつをブラッディと呼ぶのは抵抗があるな。スターリングは隣で彼を凝視している男を見てそう思った。見た目はそっくりだし、中身だってブラッディそのものなのだが。「佇まい」というか、そこに居る場の雰囲気が違う。人の魂は頭脳ではなく、肉体と頭脳の双方に跨って存在する。という説があるのも頷ける。
あれこれ考えてスターリングの意識が他所に行っているのを感じて、ブラッディが不服を漏らした。
「まじめな話をしているんだ」
不機嫌そうなブラッディを見て、ああ、やっぱりこの仏頂面はブラッディだ。
と、一人納得して、それからスターリングはゆっくり話し出した。
「いや、すまん。今のおまえになかなか慣れなくてな」
「俺は俺だ」
「ふむ。まあ、そうだな」
スターリングはバーテンダーに視線を向ける。バーテンダーは黙って頷くと、カウンターからプロジェクターをポップアップさせた。そして、何食わぬ顔でシェイカーに氷とライムジュースとジンを入れると、慣れた手つきでシェイクし始めた。
「そろそろミッションを説明してもいい頃合いだな。今度の任務だが、ある男を助ける為に、カリストへのAcceptorsの軍事輸送船を襲う事になった」
スターリングがプロジェクターを睨んで点灯させると、そこにはホログラフ映像で木星が表示される。その映像は次第に衛星軌道へずれていくと、その中の一つ、ガニメデがズームアップされる。
映像が出るのを見て、ブラッディは周囲の客の様子を伺った。だが、辺りにいる客はまるで見向きもしない。
「安心しろ、全員、今度のミッションのメンバーだ」
スターリングが言い放つと、茶目っ気のあるResurrectorsの一人が、親指を突き上げてサインを返し、にやっと笑う。その他のResurrectorsや、兵士たちも視線をこちらに向けた。
「大作戦だな。だれだ?これだけの人数で助けに行くという、その男というのは」
スターリングはうなずくと、再びプロジェクターの方を見た。すると、プロジェクターの映像がどんどんガニメデのある一角に降りていくと、そこにある巨大な施設を映し出していった。
「いいか、これはこのガニメデにあるAcceptorsの新型艦船研究施設だ。残念ながら、防衛網はぴか一で、地上、上空、あるいは衛星軌道上からの攻撃にも耐えうる。RESCONも数人のスパイは送り込んだが、無傷でその人物を連れ出すのは無理だと判断した。その人物ってのは、このおっさんだ」
スターリングが無遠慮に「おっさん」と呼んだ人物は、さすがにブラッディにも見覚えがあった。
「宇宙理工学のサカイ教授か。なるほど、大物だな」
ちょうどマスターが、シェイカーからグラスに注いで、ギムレット(マティーニに、オリーブの実では無く、パールオニオンを添えたもの)を作ってスターリングに寄越すと、隣のグラスにトマトジュースとウォッカ、それと冷蔵庫から取り出した琥珀色の液体を混ぜてブラッディに渡した。二人は受け取り、ゆっくりとすすった。
「何だこれ、スープか?」
ブラッディが目を白黒させていると、スターリングは笑った。
「ブラディ・ブルだ。珍しいトマトスープのカクテルさ」
スターリングに言われて、ブラッディは改めてカクテルだかコールドスープだかわからない物を首をかしげながら啜った。スターリングはギムレットを飲み干すと、話しを続けた。
「教授はいま、Acceptorsが遺跡から得たオーバーテクノロジーを使って、新型航宙船を開発している。完成すれば、まさにRESCONの脅威となるだろう」
そういいながら、スターリングは画面を切り替えた。
画面に現れたのは、氷の剣を思わせる機体で、柄に相当する部分は大きく弧を描いて中心に丸いコアがあり、そこから両側に向かって軸が伸び、その先にはスターリングの船に着いているようなナセルの、ずっとスリムなタイプが装着されていた。ナセルの後部は、大きなワープシェル増幅タンクと、大気圏滑空用の予備翼が付いていている。
宇宙を切り裂く剣だ。
「これが、その新型機『ソードスター』だ。全長22メートル、全高7メートル、全幅15メートル。戦闘艇としてはちょっと大型だが、デフォルトの装備で、最大船速はC8。攻撃指数はグレード7だ。チューニング次第では、どこまで性能を伸ばせるか、見当もつかん」
C8とは、速度の単位で、光速の8x8x8倍、つまり512倍を意味する。スターリングの船は結構調整されていて、それでも最大船速C6(光速の6x6x6)なのだから、この船の足がいかに早いか分かるだろう。さらに、攻撃指数とは、その機体の戦闘能力を段階で分けたもので、グレード7というと小型の戦艦並みであった。
「ううむ、凄い機体だな。サカイを助けて、その戦闘艇を破壊するのか?」
スターリングは手に持った空のグラスを弄びつつ、にやにや笑い出した。
「いいや。こいつも頂くのさ」
スターリングはグラスを置いて振り返ると、平手でブラッディの肩をバンッとたたいて、こう付け加えた。
「おまえ、自分が何でこの作戦に呼ばれているか、分かってないだろう?」
ブラッディが眉間に皺を寄せて、困惑の表情を作ると、スターリングはこう付け加えた。
「この船は、おまえが操縦するんだ。ちょっとじゃじゃ馬だが、なあに、人類世界最高の船を手に入れられるんだ。構わないだろう?」
12.
サカイは、柄にも無く緊張していた。
今まで、幾つとなく工学技術の奇跡と呼ばれる作品を生み出してきた彼だったが、今度の子は、ひときわ彼の心を揺さぶっていた。難産だった事も、それが自分ですら一部しか解読出来なかった、未知の文明の遺産を拠り所としている事も、そして、対立している二大勢力に、大きな一石を投じる者になるであろう事も、確かに大いに気に掛かる事ではあったが、そういう事よりも、遥かにその存在自体が、サカイの心を強く掴んでいた。
その存在、『ソードスター』は、第一に美しく、そして力強かった。
揮発性の洗浄液のシャワーを抜けて、もうもうとたち込める蒸気の中に、まるで鏡のように眩しいばかりに磨き上げられた船体が、工場の超大型リフトに乗って、ゆっくりとこちらに向かってきている。
サカイはその船体の仕上がりを、3Dホログラム映像で何度も見ていたのだが、現実に目の前に見るそれは、シミュレーションでは得られなかった、生命の息吹を感じさせるものを持ち合わせていた。
「ううむ」
思わず低く唸りながら、出来たばかりの、まるで赤ん坊の皮膚のようなその表面に軽く触ってみた。
最終の表面コーティングが終わったばかりの船体は、まだかなり熱く、洗浄液によって幾分冷却されているとはいえ、素手で触ると火傷をしそうだった。
船殻の大半は鏡面加工に見える特殊コーティングだが、コックピットのあるコアの球体は、サカイがルビーの様に赤いカラーリングを施していた。
コックピットに使われている異星文明の残した謎の透明素材は、外側からだと明るいルビー色に輝いてみえたので、このカラーリングはぴったりとマッチしていた。この透明素材だが、実は内側から見ると、全くの透明素材にしか見えない。しかも、単体で、明るすぎる光や、可視光以外の有害な放射線を、無害で、穏やかな可視光線に変換するという、不思議な性能をも備えていた。
はっきり言ってしまうと、この透明素材などは、異星の文明が残したテクノロジーの中では、極々、些細な部類に属する。特に、時空の歪みを利用するらしいメイン動力や、中枢に搭載された有機ジェル・コンピュータなどは、ソル星系が生んだ希代の天才、サカイの理解をも遥かに越えていたのだ。
この試験機体、0番艦の性能評価が終わると、カリストでほぼ完成しつつあるAcceptorsの工場で、一番艦の建造が始まる事になっていた。だがサカイは、この製造工程に少し細工を施していた。Acceptorsに技術資料を渡す際に、0番艦の部品製造が終わった段階で、自動的に資料自体が改変され、一見、誰が見ても同じ機体にみえるのだが、幾つかのキーテクノロジーが、既成の技術のものにすり替わるようにしておいたのだ。
多分、あまり長くはだませないだろうが、一番艦の建造を多少遅らせるくらいの真似は出来るだろう。
「先生、いよいよですね」
気が付くと、助手を務めている若い技術者が、背後に立っていた。彼も、これから行われる大博打の事を知らされており、緊張のせいか、小刻みに震えていた。
「ああ、もう間もなく、輸送船への積み込みが始まる。我々には、はっきり言って何も出来ん。あとは彼らが、手筈通りに行動してくれる事を祈るばかりだ」
周りに誰か来はしまいかと危惧しながら、ぼそぼそと小声で喋っていると、案の定、レーザーライフルを抱えたAcceptorsの兵士が三人、キャットウォークを歩いてこちらへ向かってきていた。
「しいっ。余計な事は喋るんじゃないぞ」
サカイは念を押すと、再びソードスターに見入る振りをした。
「サカイ教授、そしてあなたも、御同行願います」
銃口を突き付けて、御同行も糞っ垂れもあったものでは無い。
軽く肩をすくめて、彼らの指し示す方向へ歩き始めた。予定通りなら、彼らもまた輸送船に乗せられ、一路カリストへと向かう事になっている。そこで、0番艦の性能評価が始まる事になっているからだ。キャットウォークを歩きながら、ちらりとソードスターの方を見ると、それはむき出しの支柱構造だけで出来た「スケルトン・カーゴ」と呼ばれる、一種のコンテナに積み込まれている最中だった。もうまもなく、あの船体は、貨物船用のベルトラインに載せられて、大型貨物船に積み込まれるだろう。
予定通りだな、そう思いながらサカイは、兵士に付き添われて歩いていき、やがて、工場内を移動するリフトの前まで来ると、中に乗るように指示された。リフトは、サカイたちを乗せるとゆっくりと移動を始めた。
リフトの窓は小さく、座席に座っていては何も見る事が出来なかった。若い技術者はそわそわと落ち着かなかったが、サカイは半ば目を閉じ、タヌキ寝入りを決め込んでいた。この工場は、かつては太陽系有数の造船(もちろん宇宙船の)施設であり、その広さは直径三キロに渡る。こんなドンガメの、おまけに遠回りするリフトでは、輸送船のいる区画までは、十五分そこら掛かるだろう。下手をすると、ソードスターの方が先に積み込みを終わっているかもしれない。
だが、意に反して、リフトは二、三分動いただけで停止し、サカイたちはそこで降ろされた。
「どうしたんだ。わしらを輸送船に連れて行くのではなかったのかね?」
その台詞を聞いて、顔をほとんど覆うヘルメットの下から、口だけでにやりと笑った兵士が、サカイの問いに答えた。
「事情が変りましてね。貴方を狙う旧国家の残党が、襲撃を計画しているという情報が入ったものですから。予定を変更して、あなた方には、一足先に小型艇でカリストに向かってもらいます」
旧国家の残党とは、Acceptorsの連中が、人類社会の再編に抵抗するRESCONをさして言う言葉だった。
何処から漏れたか分からないが、計画は既にAcceptorsの知る所になっていたらしい。サカイは、しまったと思ったが、今更どうしようもない。しかし、輸送船を狙う攻撃部隊はどうなる?
「あ、そうそう、ついでに、彼らの一味と思われる、不穏な集会を発見したので、掃討部隊が出動した所ですよ。有り難い事に、そこの彼に情報提供して頂いたお陰で、我々は安全にあなた方を基地まで護送出来るわけです」
サカイはびっくりして、助手の方を振り返った。だが、助手はさっと目をそらし、脇の地面をじっと見詰めていた。この野郎、さっきの震えは、武者震いではなくて、情報を密告した罪の意識からだったのか……。サカイは思わず殴り掛かりそうになる自分を押え込むのがやっとだった。
13.
「……手に入るんだ、構わないだろう?」
攻撃が始まったのは、スターリングがブラッディに、ソードスター強奪について、発言し終わり、ブラッディがあんぐりと口を開けた瞬間だった。
――ドゴーン!!
ぴったり張り付いた吸盤をはがすと、「ポンッ」という音がする場合があるだろう。
あれを数万倍したような大音響とともに、「バー大赤斑」の、ボックス席の並んでいた部分が、そこにいたResurrectorsやRESCONの兵士もろとも、ざっくりとえぐられた様に消えてなくなった。
いや、正確に言うと、攻撃を受けたと思しき場所から直径8メートルほどの空間が、球形にきれいに切り取られるように無くなり、運が好かったのか、悪かったのか分からないが、その境界線にいたResurrectorsは、頭部から足先まで、体の半分を失い、意味不明の言葉を喋りながら、無くなった心臓目掛けて、大量の血しぶきを上げてひとしきり踊り、床にごろりと横たわった。残念な事に、Enhancerのあった筈の頭部の半分は、すっぱりと無くなっている。
他にもえぐり取られた空間に中途半端に引っ掛かっていた連中がおり、辺りは血の海と化している。
そして、球形に無くなった方の空間は、後には嫌な匂いのする蒸気が立ち込め、切り取られた切断面はぶすぶすと燻っていた。
天井もごっそりと無くなって、そこから空中に浮かぶ敵の攻撃艇の姿が垣間見えている。使われた武器は次元転移装置を武器に応用し、目標の空間の物質を原子分解して亜空間に飛ばしてしまう「次元転移砲」という奴だろう。Enhancerを唯一破壊出来るといわれている武器だ。試作段階だという話は聞いていたが、完成していたようだ。
あっという間に、バーに居たResurrectors達の生き残りはスターリングとブラッディ、二人きり。いや、カウンターの奥にへたり込んでいるマスターを含め、三人きりになっていた。
その三人とも、あまりの事に呆気に取られ、声一つ出ないままに、変わり果てた店内を見つめて、呆然としていた。すると、敵の攻撃艇が高度を下げ、更なる攻撃に移るのが見えた。一番先に正気を取り戻したのはスターリングで、ブラッディに平手打ちを食わせると、カウンターを乗り越え、腰を抜かしているマスターに肩を貸していった。
「ブラッディ!いつまで呆けているつもりだ。すぐに第二波が来る、逃げるぞ!」
平手打ちを食らって正気を取り戻したブラッディは、スターリングとともにマスターを引きずって、カウンターの奥から裏口へと回った。
間一髪で店を脱出して路地裏にあるゴミ置き場の中に逃れると、背後で例の「ドゴーン!」が連続して聞こえ、第二波の攻撃が店を虱潰しに消滅させているのが分かった。三人は、為す術も無く、やりたい放題の破壊を尽くした後、敵が悠々と去っていくのを、塵の中でじっと堪えて見ているほかなかった。
敵が去ってしまってから、スターリングは蒸気の立ち上る方角を見て、唇をかみ締めた。
「畜生……っ! 計画がどこからか漏れたに違いない。せっかくここまで準備したのが水の泡だ」
ブラッディは、スターリングを見、蒸気の立ち上っている方角を見て、しばし考え込んだ。敵の攻撃は周到であった。街のバーたった一軒を潰すために、わざわざ新兵器の次元転移砲まで持ち出してきた、という事は、予め、あのバーがResurrectorsの集会場になる事を承知していたに違いない。
恐らくは不意打ちで、俺達が全滅したと思っているだろう。
ブラッディはまたスターリングをじっと見ると、決心して立ち上がった。
「いや、まだ終わりじゃない。敵は恐らく、俺達を全滅させたと思って油断している筈だ。それにここで諦めたら、本当に全てが終わってしまう。行こう、反撃開始だ」
スターリングはびっくりして、相棒をまじまじと見詰めた。だが、やれやれという感じで彼も立ち上がると、身体に付いた塵を払った。そして、おもむろにEnhancerを調整して、あたりをぐるっと伺った。
「仕方ないな。残ったのは俺等だけの様だし、絶対無謀だとは思うが、他に手もなさそうだ」
そういって、マスターの方を向く。
「と、いう訳だからマスター。適当に逃げてくれ。このあたりに敵はいないようだから、変に騒がなければ大丈夫だ。損害賠償はRESCON本部にでも申し立ててくれ」
そのマスターはというと、いまだに腰を抜かしたままへたり込んでいた。が、スターリングの言葉に、首だけはうん、うんと頷いて見せ、そのまま這いずるように路地伝いに街の方へと去っていった。大丈夫かなぁ、そう思いながらマスターを見送っていたスターリングだったが、微かな「がさがさ」という音を聞きつけ、途端に身体を強ばらせた。
「何か来るぞ」
せっかくゴミを払った二人だったが、今度は傍にあった汚物だまりの中に見を潜ませた。幸いな事に、このガニメデには汚物だまりに湧く虫やらはいないようだ。が、じっとしていると何ともいえない嫌なにおいで、息が詰まりそうになる。それでも、二人は緊張の方が先に立っていたので、じっと息を潜めて様子を伺っていた。
「スターリングさーん。ブラッディー。――やれやれ、やっぱり死んで仕舞いましたか。面倒ですね」
間の抜けた平板な声に、二人は顔を見合わせると、ほっとして肩の力を抜いた。
そして、急に気になりだした悪臭に、汚物の中からごそごそと這い出ると、ゼイゼイと息をついて身体中を拭った。ようやくそれが一段落した所で、ブラッディが、Enhancerを通してアリスに呼びかける。
【勝手に殺すなアリス。それに、もうちょっと静かにしろ】
すぐに、通信を通しても変わらない平板な声で、答えが返って来る。
【ブラッディ。スターリングさんもご無事でしたか】
【お子さまは嫌味が過ぎるね。ネットワークで繋がっているんだから。安否や場所は分かって居る筈だろ】
スターリングの突っ込みに、平板な答えが返ってきました。
【大変な目に遭われたと思いましたので、ジョークで和ませようと――】
【要らん世話だ! すぐこっちに来い】
【いやです。お二人とも汚物の中じゃないですか。さっさと出てきて体を洗ってください】
ブラッディが肩をすくめると、スターリングはうんざりした顔をしたが、直ぐに立ち上がってアリスに向かって歩き出した。
「いやっ、来ないでください!」
「ほーれ臭いぞ。お前も一緒に汚れとけ!」
「これ以上近づくと実力で排除しますよ!」
「やれるもんなら――」
アリスは正にゴキブリを見る目になると、スカートを捲りあげた。
「お子さまがセクシー攻撃とか?」
「御冗談を」
次の瞬間、スターリングの周囲にビーム弾の雨が降り注いだ。
「うわっつ、ちょ、止めろっ!」
まくり上げたスカートから見えていた細い脚はばっくりと展開すると、中からマイクロ重核子連装砲が姿を覗かせて、大気圏内でビームを放出した後の、空気の焼ける匂いのする青白い煙を放っていた。お子さまのスカートの中は危険がいっぱいだった。
「では、私に触れずにお風呂に向かいましょうね。お二人様」
スターリングは流石に腰を抜かした。アリスは脚の武器を収納すると、まくり上げたスカートを元に戻して、皺を気にしながら着くずれを直していた。
見ていたブラッディは、やれやれと思いながら空を見上げた。
といっても、それは偽りの景色で、実際は屋根があるに過ぎなかったのだが。
やがて、周りの汚物で件のフリフリなスカートが汚れない様に、と、用心しながら歩くアリスと共に、二人はその場を後にしていた。
「ちょうど整備が終わって、皆さんの集会に向かっている最中だったんです。いきなり敵が現れて、どうしようかと思いました。――他の皆さんは?」
スターリングは天を仰ぎながら大袈裟にゼスチャーすると、アリスの能天気さにあきれた。
「全滅だよ、全滅。残ったのは俺達だけだ。敵は次元転移砲で攻撃してきた、やられた奴は全員助からん」
アリスは、しかし悲嘆に暮れることなく、言葉を続けた。
「そうですか。それでは仕方ないですね、3人で何とか致しましょう」
「アリスちゃんは切り替えが早いねえ、羨ましいよ」
「有難うございます」
「――褒めてないよ」
「あら?」
およそ場に似つかわしくないゴスロリ少女と、汚物まみれの二人の戦士は、人目に着かない路地へと消えて行った。
たった3人での出撃。
そこに待ち受ける試練とは。
以下次回。