北樺太方面軍③
「奴等は?」
「アナスタシアを追ってるから、もうすぐ見えるはずよ。」
「ねえ、あれは?」
「………………アナスタシアね。そろそろ来るわよ。」
「まだ追い付けんのか」
牟田口が口を開いた。
「もうそろそろのはずなんですが……っ!!伏せろ!!
ある兵士の言葉に、皆が一斉に伏せる。この辺りの反応は軍人だからこそだろう。
伏せた彼らの上を何かが風を切って飛んでいく。その数は数えられないほどだ。
「総員射撃用意!味方に当てるなよ!!…………てえっ!!」
乾いた射撃音が夜闇を切り裂き、チカッチカッと炎がきらめく。
「まずい!火矢だ!!」
誰かが叫んだその瞬間、背後に火矢が着弾。油が染み込んでいるのか一気に落ち葉を燃やし炎上していく。
「退却!退却だ!!」
「しかし、矢が多すぎます!!」
「連続射撃の後、一気に逃げるぞ!用意!!……………………今だっ!!」
牟田口の声と同時に15人の兵が連続して射撃を始めた。たまらず、敵が身を隠したその隙に燃え盛る木々の間を抜け、逃げていく。
その頃、捜索隊は燃え始めた森を見、呆然としていた。
「…………中佐…………これは………………」
「気にするな、探せ!!おそらくあの炎を見て逃げているはずだ。ならばこの辺りに出てくるはず!必ず見つけ出せ!」
そして600もの兵が散らばり、牟田口の名を呼ぶ。
「中佐!中佐!!大変です!!」
その中に1人、長谷川中佐を呼ぶ兵がいた。
「何だ!見つかったか!?」
長谷川の言葉に、首を横に振ると、皆に聞こえるよう大声で叫んだ。
「マトロソヴォ市街地にロシア軍およそ1万が侵入!直ちに応戦するも多数の兵がここへ移動していることを確認したため、道沿いまで撤退し防衛線を引いております!!!」
長谷川は、またも呆然と立ち尽くした。
「…………奴等は?」
「逃げられたわ。でも、この火を見て本隊が動いたはず。なら、私たちの出番はここまでよ。
アナスタシア。大丈夫?」
暗闇の中に、小さな女声が響く。
「大丈夫よ。このくらいのキズなら問題ないもの」
「そう。よかった…………なら、行きましょう。
第296戦闘隊本隊へ」
2100時
「敵兵多数接近!距離500!!」
「弾薬が足りないぞ!!誰か持ってないのか!?」
「距離400!!」
「撃て撃て撃てぇ!!!なんとしてもここを死守だ!!」
「距離300!!」
「右翼後方からも敵およそ200が接近!」
「そっちは1163大隊の管轄だろ!いちいち持ってくるんじゃない!!」
「後方に回り込まれました!同時に1163大隊より救援要請!!」
「こっから出せるわけ無いだろ!!他に当たれ!」
「他がダメだから来たんです!!」
「んなこと知るか!さっさと戻れ!」
伝令兵を怒鳴って追い返す少佐。
「北村少佐!このままでは我が大隊は崩壊してしまいます!」
「だから他を当たれと言っているだろう!邪魔だ退け!」
伝令兵を追い返そうとした時、自陣側から次々と兵がやって来た。しかし、兵のやって来た方向に気づかない北村は声を張り上げる。
「何なんだ次から次へと!」
「敵多数の波状攻撃で前線は崩壊!少佐もお逃げください!」
「何っ?崩壊しただと!?」
「そうです!もう敵は目の前です!」
月明かりに照らされて、ロシア兵がちらほらと見え始めた。
「…………くっ……………………」
指揮官が全力で逃げる1161大隊を見た他の隊も動揺し、防衛線が崩れ始めた。
結局、8000ものロシア兵が正面突破を図り、800程度の死傷者で突破。
そのまま突き進み、残りの日本軍大隊を挟撃。
長谷川率いる牟田口捜索隊も急ぎ戻ろうとするが、森を抜けるまでに手間取り、伝令兵の到着から30分後、やっと防衛線を視界に捉えた。そして全速力で移動するも、2150時の到着はあまりにも遅かった。
2130時に1163大隊大隊長 西 竹一少佐が全部隊に退却を命令。
1161・1162大隊を先に退却させ、西少佐率いる1163大隊第1中隊が殿となり、退却を支える。
2200時に防衛線から2km後方の地点まで移動を完了。ここで再度、防衛線の構築を開始した。
その頃…………
「町は…………?」
「ダメです。完全に落とされた後ですね…………」
「なんてこった…………」
ロシア兵が屯するマトロソヴォに帰ってきた牟田口ら16人。
味方の姿は無い。
「どうします?」
「………………レオニドヴォに後退する。おそらくその途中に居るはずだ。…………ああ、勿論、森通ってな」
そして、再度森の中に消えていった。
「いました」
「追うわよ」
それを追う影も消えていった。
「一体何処まで逃げたんだ……?結構歩いたはずなんだが……」
牟田口らが歩き始めて30分。ちょうど「元」防衛線が見えてくる頃だ。
「そうですね………………………………………………」
「何だ?」
「……………………………………」
ドサッ
「何だ!?」
咄嗟に振り返る牟田口。
「すみません大佐。このような輩がおったもので。」
兵が足で示したのは、倒れた女。そして、右手にはナイフが握られている。
「殺ったのか?」
「ええ。チラッと後ろを見たらおったので」
「まあ、殺ったことは悪くないのだが…………と、なると厄介だな。他にも出てくるッ!!!!」
突然、牟田口の前に現れた女。その右手に握られたナイフはさっきの兵士の首を狙っている。
「避け……………………」
声をあげるより早く、ナイフが首に近づいていく。
「甘いんだな。これが」
振り向くと同時にしゃがみこんだ兵士は、降り下ろされるナイフを銃で受け止め、逆に蹴り飛ばす。
後ろに飛び、衝撃を緩和しようとした女に接近し、刺突。女はこれを避けるが、そのすぐ横には牟田口がいる。
「……………………」
牟田口は無言で軍刀を振る。
女はゆっくりと倒れ、動きを止めた。
「ふぅ…………他の兵は?」
「円陣のようにして全方位を警戒させている」
「そうか…………君の名は?」
「1162大隊第2中隊中隊長 船越 三郎大尉です」
「1162か…………よし。では船越君。行こうか」
「ちょっと」
そう言うと、船越は銃を構えた。
「またか?」
「………………手練れか?…………確かに気配がしたが、今は居ない」
「なら、急いで行こうじゃないか。こんな森の中だと戦えん」
「了解」
「ほんとに大丈夫なのか?こんな森の中でなんか死にたくねえよ……」
「あんな動きになんか付いていけねえ…………俺らじゃ勝てねえよ…………」
「泣き言言うんじゃねえ。全員生きて帰るんだ。分かったな」
「「「はい………………」」」
小声だが、覇気のある船越の声が兵たちの心を保つ。
「………………あれは……………………ロシア兵…………襲撃されたか」
双眼鏡で「元」防衛線を慎重に覗く牟田口。
その後ろからゆっくりと近づく船越。
「そうなると他の部隊はこの先ッ!!!!!」
その船越の足下の土中から刀が突き出る。船越はどうにか往なすが、その背後からも接近する影があった。
「船越ィ!!」
しかし、その影は軍刀を横薙ぎに振るった牟田口によって止められた。
「まずい!!」
接近する影はもう1つ。その狙いは円陣状態の兵士たち。
「総員斬り殺せッ!!!」
牟田口の命令に動揺しつつも銃剣を突き出す兵たち。しかし、影はそんな程度では止まらない。
「ウワァァァァァァァァァァァアアアアア!!!!!」
1人の兵が恐怖に戦き震え、叫び始めた。
この叫びに驚いた影は、動きを止めてしまった。牟田口はその隙に攻撃を仕掛けようとさせるが、叫んだ代償は高く、その動揺は瞬く間に全員に広がり、部隊が崩れ始めた。
「貴様らッ!!!それでも栄えある帝国軍人か!!もっとしっかりせんか!!」
船越が怒鳴りつけ、少し落ち着いたが、いつ崩壊するかも分からない状況が続く。また、最初こそ攻撃を防がれた影も、隙を狙い動こうとしている。
「これはまずいな…………逃げられん」
「唯一の方法として我々で2人を殺れば行けるだろうが、それ自体が不可能だ……」
牟田口と船越は影と対峙しつつ考えるが、いい案は出ない。
そして、影が動いた。




