道中 (CDショップ⇒街中⇒)
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そのあと、ぼくはルナに引っ張り回されるようなかたちでショッピングを続けた。
ぼくだって好きなバンドの新譜とか、買いたいものは田舎から出る前の日に一応チェックしていたんだけど、なにしろルナはこの都会を自分の庭のように好き勝手動き回るのだ。言い出せるようなタイミングがあるはずもなく、正直なところ、ぼくは着いていくのだけで精いっぱいだった。
ルナも何か買いたいCDがあるらしく、「次はタワレコね」とルナが言った時、ただ足に疲労を詰め込んでいただけのぼくは、ようやく普段のテンションを取り戻した。
都会を歩くのは、坂ばかりの田舎とはまた別の疲れがたまる。人が多いから普通に歩いている時ですら周りに気を遣わなきゃいけないし、坂の代わりに階段ばかりあるから、体力消費の面でも田舎とはあんまり変わらない。ジャングル暮らしのぼくからすれば、コンクリートジャングルの方がよっぽど過酷だ。いくら物にあふれていようと、これはちょっと勘弁だなあと思った。
――タワレコの品ぞろえを見た瞬間、そんな思いは一気に吹き飛んだんだけど。
なんてったって、わざわざ書店で予約して辛い待機の一週間を送らなくとも、ここでは店頭に並べられた商品をレジに持っていくだけで購入できるのだ。ずっと前から買いたい買いたいと思っていたあのCDやこのCDのジャケットを眺めながら、ぼくは服に費やしたお金が帰ってくればいいのにとさえ思ってしまった。
あまりにテンションが上がってしまったため「気持ち悪い」とルナに言われてしまったけど関係ない。ロックンロールはぼくの魂なのだ。とカッコつけてみるが、ぼくはギターに触れたことすらない。
だけど驚いたのは、ぼくがインディーズバンドのCDジャケットを見てはあはあしているとき、
「私このCD持ってるよ」
なんてことをルナが発言したことだった。どうせまた強がって言ってみただけだろうと思ってテキトーに流したら、「これが目に入らぬか」と言わんばかりにウォークマンを突き出してきて、ぼくはその後「ははーっ、CD貸してくだされえ」と土下座するハメになる。
まあCDは家にあるわけだから貸してもらえなかったんだけど、再三の頼みで数個のMP3データだけは聴かせてもらえた。
そういえば、地元じゃ同じバンドのファンなんていやしないのだ。それがこうやって同じ音楽を聴いて肩を揺らせる人と出会えたというのは、まったくもって幸せなことである。離れ離れになったとはいえやはり双子だから、好みがけっこう似通っているところがあるのかもしれない。
店の中ではこんな感じで、じゃあ歩いているときはというと、質問責めたり質問責められたりの繰り返しだった。いや、控えめに言ってもルナからの責めの方がほとんどの比率を占めていた気がするんだけど。ルナは、あまり自分のことを語りたがらなかった。
特筆すべきことがあるとすれば――ルナは元々住んでいた田舎の様子を気にしているようで、それについての質問が多かった気がする。そういえば、ルナは両親の離婚の際、家族だけじゃなくむかしの友達とも離れ離れになってしまったのだ。よく家に遊びに来てくれていた同じクラスのカナちゃん(ぼくはふたりのことをルナカナなんて呼んでからかっていたらしい)の話をしたときの、ルナの興味津々そうな眼は、なぜかぼくの心に深く残っている。
しかしこちらばかり情報を晒してやっているのもシャクなので、ぼくはルナに何度もしつこい追及を試みた。その結果ルナが重い口を開いて教えてくれたのは、自分が陸上部に所属しているということだった。それでぼくはちょっと思ったんだけど、
「そんな長い髪だと、走ってる途中自分の髪踏んづけて転んだりしないか?」
その直後のルナのくすっとした笑いは、ぼくの心にすっかり焼きついている。小さな花のように、つい守ってあげたくなるような笑顔。それがたぶん、今日はじめてルナがこぼした笑みだった。
「ばっかじゃないの……部活のときはちゃんと結んでるから、だいじょーぶっ」
ぼくは幸せな気持ちでルナの髪を見る。芯のしっかりしていそうな艶々しい長髪を、左右ふたつにわけてくくったツインテール。歩みのたびに細い毛先が腰のあたりでぴょんぴょんはねて、それはまるで妖精の触覚みたいだった。そこでぼくは思いつく。
「今おもったんだけどさ、髪形も思い切って森ガール仕様にしてみようよ。ツインテールって前の服装にはあってたけどさ、今の格好だとあんまり合わないような気がするんだよな。この……リボンっていうの? それも、レース柄のお嬢様仕様だし」
「……じゃあ。外せば、リボン」
ルナはこっちを気にしているような様子から、まっすぐ前に向き直るとそう言った。ちょうど商店街のアーケードゾーンを抜け、横断歩道に直面するところだった。信号が赤になるのを確認して、ぼくらも他の人たちと同じように足を止める。
「手ぇ動かすのだるいから、私は別にこのままでもいいし。……カイが外してよ、外すんだったら。でも、結び直すのめんどくさいからやりたくないし、変になってもしらないから」
ぼくは「あ、ああ……?」とよく分からずにうなずく。いったいどういうわがままなんだ。そしてなぜかかけられる謎のプレッシャー。
ぼくはぎこちなくルナの背後にまわる。こうやって後ろに立ってみると、ルナの身体は本当にちっちゃく見えた。身長はぼくの首元あたりまでしかないし、肩幅なんか、そこらで母親の手を焼いている子どもとあまり変わらないような広さだ。ぼくはふいに、そんなルナをぎゅっと抱きしめたくなる。
衝動をこらえてリボンに手を伸ばし、慎重な手つきでそれをほどく。するりと音をたて、髪は重力に従いながらルナのお尻の下でぱっと広がった。もう一方のリボンに手をかけながら、
「こういうのって、母さんにやってもらってるの?」
なんとなく口をついて出た質問に、ルナはぼくの方へ頭を振りむけようとした。あまり触らないでおこうとしていた髪の束に、思い切りべたりと触れてしまう。その肌触りは、ちょっと触れているだけで心地よい滑らかさだった。
「お母さんなんかにやってもらってないっ。ちゃんと、自分でくくってるし」
「……ふーん。でも、けっこう大変じゃないか?」
「慣れたら簡単だし。ようは……ハチマキ結んでるときみたいな感じ。それだって、鏡見たら簡単にできるでしょ?」
胸を張って言っているみたいな、堂々とした口調。それに反して、リボンの結び方はなんとなく頼りない形に崩れていた。レストランの件や、服屋さんでのアゴヒゲさんの言葉で察してたことだけど、やっぱり母さんとの間に何かあるみたいなんだよなあ。ぼくは急にそれが気になり、それとなーく触れようと思って、
「ははーん、反抗期だな? 一人でやるより母さんに手伝ってもらったほうが楽だけど、気持ち的には手伝ってもらうと負けたような気がするから、しかたなく一人でやってるー、みたいな」
それに合わせるように、ぼくはゆるい力で結ばれたリボンをほどく。花が咲いたみたいに毛先がぱっと広がって、それと同時にルナが身体ごとこちらを振り向く。ひるがえった髪が、甘いシャンプーの匂いを散らした。
「……なによ母さん母さんって。そんなに、仲が悪いの気になった? そりゃあ気になるんだろうけどさ、でもカイにはもう、私たちのことなんてカンケーないでしょ」
ぼくはその言葉に少しむっとする。
「家族の心配をして何が悪い。離婚しようとしまいと、ぼくにとっちゃルナも母さんも、大事な家族であることに変わりないんだよ」
「離れてから一度だって手紙も電話もよこさなかったくせに、何が大事な家族よ」
それはっ、と反射的に何か言いだそうとして――ぼくは、何も言うことができなかった。
離婚した家族だから、何となく気まずい。いつしかぼくの頭の中にはそんな考えが憑りついていたのだろうか。思えばルナたちに連絡なんて、一度も考えたことがなかったのだ。
「……ずっと、待ってたのに」
喉からしぼりだすような声で、ルナはぼくから身体を背ける。そうか。それでルナは、今までぼくにあんな悪態ばかりをついていたのかもしれない。それをぼくは、下手にかっこつけたような行動で無理やり誘い出して――。
なんでぼくは、ルナたちのことを簡単に忘れてしまえたんだろう。愛情が、薄れてしまったのだろうか。それともぼくが家族に向けていた想いなんて、その程度のものだったのだろうか。別れたばかりのころは、今でも親父が時々ネタにするほどぎゃあぎゃあ泣いていたらしいのに。
信号が青に変わって、ぼくらも群集の動きに合わせて歩き出した。
微妙に空いてしまった距離の先で、ルナは不機嫌そうに前を向いたままだ。謝ろうと思っても、それはただ言い訳を塗り重ねるようにしか聞こえないような気がして、ぼくは言葉を切り出すことができなかった。田舎じゃ考えられないくらい長い長い横断歩道の、真ん中あたりにたどりついたとき、
「……仕切り直しっ」
ルナはそう言ってタワレコの黄色いレジ袋を持った手を挙げ、ぴんと真っ直ぐ前に伸ばした。
「ゲーセン」
横断歩道の先に続くアーケードの奥を指差して、ルナは鋭く言い放つ。
「ゲーセンで勝負。……カイのことなんかっ、ボッコボコにしてやるんだから」