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今までの殻を脱ぎすてて (高級レストラン⇒アゴヒゲ服屋⇒)

 エレベーターを降りてビル出入口の自動ドアをくぐると、ルナはうんと思い切り背伸びしてから、くるりとこちらを振り向いた。

「まず、あんたのそのだっさい服装どうにかしなきゃね。そんなんで隣にいられると、恥ずかしいったらありゃしない」

 だからってそんなに離れなくてもいいじゃないか。外に出るまでの間、ぼくらはまるで行先が同じだけの他人みたいな距離感を保ちながら歩いてきていた。もちろん、会話なんて一切ない。ものすごく気まずかった。

「……それさっきも言ってたけど、この格好、そんなにダサい?」

 ぼくが自分の服を見ながら言うと、ルナは容赦なしに「ださい」と言い切った。

「だってもう春なのよ。空はこんなに青くて、花も咲いて、小鳥の声がする。なのにタバコの灰みたいな色のパーカーなんて。見てるだけで気が落ち込んじゃう」

「そりゃあルナがタバコの灰って考えるからいけないんだろ。もっとなんかこう、灰色って別の良い表現が……えー、でもファッション誌にはこういう渋い感じのがいいって、」

「私はいやなの」

 普段は見向きもしないおしゃれな雑誌の、女子モテコーディネートとかいうページをコンビニで立ち読みして、それを参考に着てみたのだが――同伴者である妹が気にいらないというのなら仕方がない。まあ、こんな都会で田舎者がモテようとあがいたって無駄だろうし。それに今日一日だけは、こいつのわがままに付き合ってやると決心したのだ。

「あと、私も着替えたいし。カイのは、そのついでだから」

 再びくるりと反転して前を歩き始めたルナが、呟くような声で言った。ぼくは急いで駆け寄り隣につく。ルナはライトグレーのセーターの上に、可愛らしい花の装飾がついた、ドレスみたいな黒のワンピースを重ねていたのだが、

「えー、そのままでもけっこー可愛いと思うけど」

 ルナの、アンティークドールみたいに精巧で整った顔立ちにはぴったりだと思っていた。だからそうやって褒めてあげたのだ。ご機嫌取りではなく、本心から。なのに

「……カイの好みなんてどうでもいい」

 とバッサリ切り捨てたうえ、

「まだ隣歩くなっ」

 とふくらはぎを蹴りつけてきた。まったく母さんよ、こいつをどういう風に育てたんだあなたは。いや、単に似てしまっただけなのかもしれないけど。

 

 *

 

 春休みの上休日なためか、駅近くのデパートはたくさんの人でにぎわっていた。たぶん毎日こんな風ににぎわっているんだろうけど、田舎者のぼくにはそれがものすごい盛況ぶりのように見える。

 ルナはそんな魔物でうじゃうじゃなダンジョンのようなデパート内を、マップを手にした勇者のように突き進んでいった。迷いなく、ずんずんと勇ましい歩調。友達なんかとよく遊びに来るのだろうか。訊ねてみたけど、案の定無視された。

 エスカレーターに何度かお世話になり、あか抜けた若い子たちが横行闊歩する階に飛び込んで――アゴヒゲを生やした店員のお兄さんが女の子と楽しそうに話している、なにやらおしゃれなお店へお邪魔させていただく。

 店内は、ファッションセンター通いの人間ではとうてい表現することのできないおしゃれさで、ぼくは高級レストランへ足を踏み入れたときにも似た、場違い感を全身に浴びていた。

 ここまで案内してくれたルナが、なんだかものすごくカッコよく思えてくる。これが田舎者と都会者の違いだろうか。たとえば田舎者が地元にある日本名滝百選の一つを案内しても、こうカッコよくは見えないだろう。世の中は不公平だ。

 どうやら、レディースファッションのお店らしかった。ぼくが無数のおしゃれ服に幻惑されていると、店員らしきアゴヒゲのお兄さんが「あらっ、ルナちゃんじゃなぁい」と跳ねるような声でルナに話しかけてきた。妹よ、店員に名前まで憶えられてるのか。ということは、かなりの常連さんなのだろうか。

「今日はお母様といっしょじゃないのん? ひとり?」

 アゴヒゲの人は、長身な上にハーフっぽいイケメンなくせをして、何やら口調が女っぽい。レディースの店に男性店員とは珍しいのかどうか知らないけど、察するまでもなくその性質が分かってしまった。答えあぐねているルナの、ためらいがちの視線をたどったのか、アゴヒゲは一瞬こちらを見ると

「あらんっ!」

 ルナの肩を、手首を主軸とした気持ち悪い動きでちょいっと叩いた。その後も「あらんっ、あらんっあらんっ」と三連撃を繰り出し、

「もーんルナちゃんたらーっ、ここに男なんて連れ込んできてどうなるか分かってんのーん?」

 そしてアゴヒゲは顔だけをぱっとこちらに向け、不気味なほど白く整った歯を見せて意味深に笑んだ。標的はこっちなのかよ。そしていったいどうなってしまうというんだ。

「……というわけで、服えらんでほしいんだけど。春らしい、明るいやつに着替えたくって」

 ルナの言葉に、アゴヒゲは笑みを瞬時に真剣な表情に切り替え、

「そうねえ、」

 と腕を組んだ。とととっと後ずさり、遠方からルナの全身を眺める。

「うーん、たしかに今の服装は、ダーク、というかクールな感じよね。お嬢様みたいな。このままでも似合ってると思うんだけどぉ……そっか。いっつもお母様にお任せしちゃってるものねえ。そろそろと自立心が芽生え始めたのね。うんうん、サナギが蝶になるためのステップっ。いいことよぉ、そうやって少女は大人の女へ羽ばたいていくのよぉ」

 あんたは少年から大人の女へ羽ばたいちまったんだろうけどな。

 カウンターに跳んだアゴヒゲはいく冊かのファッション雑誌を手にすると、それをルナに見せながらいろいろと説明を始めた。専門用語が飛び交って、ぼくには何のことかさっぱりよく分からないその会話。ルナだってうんうんと頷くだけで、分かっているのかいないのかはっきりとしない印象だったけど――その表情はたしかに、真剣そのものだった。

 ぼくはルナのそんな表情や、店内の女の子たちをぼんやり眺めながらなんとなく思う。やっぱり女の子は、男子よりいっそう見た目に気を遣ってるんだなあ、と。

 服だけじゃない。女の子は男子とは違って、胸に体型に髪形に、お化粧だって気にしなくちゃならない。女の子たちが見た目やファッションにあんなにも気を注いでいるのは、いわば仕方がないことなのだろう。

 そして外見に執着する女の子たちは、ごく自然に、自分の周りの人にもその任を求めようとしてしまう。隣を歩く彼氏や、場合によっては兄や父にもカッコよくあってほしいのが女の子というやつなのだろう。そんな感情が男子にもないわけではないけど、その感情の強さは、ちょっと男子には想像がつきにくい。

 なーんて。これはきっと世界では当たり前の話なんだろうけど、ぼくはそんなことにはちっとも気が付かなかった。気が付かなかったというより、気を払う機会がなかった、といった方が正しいのかもしれない。

 思えば長い間、ぼくは女の子と接点を持たないような生活をしてきたのだ。ルナや母さんと離れてからはずっと親父と二人暮らしだし、彼女だってできたことはない。近所のおばさんを女として見るような趣味はぼくにはないし、中学の部活にマネージャーはいなかった。振り返れば今まで、さびしい青春を過ごしてきたもんだ。

 そんなことを考えていると、自分の着ている灰色のパーカーが急にくすんで見え始めた。こんな場所でこんな服を着ている自分が、とても恥知らずな者のように思えてくる。これがルナの見た、タバコの灰色ってやつかもしれない。三千円もしたのに。ファッションセンターをディスってるわけではないけど。

「そこのあなたーん、」

 とつぜん、右肩にそうっと、撫でるような手つきが這いずった。思わずぞくっとして、背筋に鳥肌が走る。振り返れば、アゴヒゲだった。

「ぼーっとしてないで、ルナちゃんお着替えするから、ちゃんと見張ってあげなきゃだめでしょっ」

「……は、はあ」

 腕にいっぱいの服を重ね掛けたルナは、靴を脱いで、威嚇的な視線をぼくに向けると何も言わずにカーテンを閉めた。無言の暴力。そんなことされなくても覗いたりなんかしませんって。ぼくは更衣ボックスに素早く背中を向けてから、

「あ、あのっ」

 ルナに聞こえないよう、小声でアゴヒゲに話しかけた。

 

 *

 

 カーテンを開けて更衣ボックスから出てきたのは、ルナではなく――ぼくだった。

「おーっ、」と声をあげたのは、アゴヒゲではない。アゴヒゲが紹介してくれたメンズファッションショップの店長である、金髪サングラスのお兄さんだ。ぼくは照れくさくなりながら、もう一度更衣ボックス内の鏡に自分の姿を映してみる。

「良い良い、にーさんまじでカッケーくなったよ」

 サングラス店長のことばに、ぼくは思わず顔をほころばせてしまう。最初はこの軽い口調にあまり良い印象を受けなかったんだけど、事情を話すとサングラス店長は熱心に服選びを手伝ってくれた。この人もどうやら田舎出身なのだそうで、都会に出るときはいろいろと試行錯誤したそうである。その結果が半パンにアロハシャツってはどうなのか知らないが、似合ってるには似合ってると思う。

「か、カッケーですかねぇ?」

「うんうん、いや、このオレがいうんだからまじ何も心配いらないからね。かなりカッケエし、

 めちゃくちゃかっけえから。オレ惚れたもんお前に。現在シンコー形で」

 こういうおしゃれ業界の人って、よくこんな褒め台詞がぽんぽんと口から出てくるよなとコミュニケーション能力の高さを思い知らされつつ、ぼくも負けじと

「ややっ、ぼくもグラサン店長の心意気に惚れましたよ。ほんっとありがとうございます」

「はっはあ……いや、ここだけの話、オレに惚れたら、アゴヒゲの兄貴にぶちのめされるぜ? あの人は独占欲の強いお方だからなあ。だからせいぜい、憧れるだけにしときなよ」

 そう、意味を知りたくもない意味深な言葉を冗談めかしてではなく真顔で言ったので、ぼくはアハハハとぎこちなく笑うしかなかった。高度なギャグなのだと信じておくことにする。

 ぼくは再三店長に感謝の言葉を述べ、代金を支払うと急いでアゴヒゲさんの店へと向かった。もうあれから二十分も経ってるし、ルナの服選びはとっくに終わっているはずだ。ルナの対応についてはアゴヒゲさんに任せておいたから、たぶん大丈夫だとは思うけど――やっぱり、怒ってるんだろうなあ。

 

 心配にやりきれず、エスカレーターに乗ると右によけてくれている人の列を追い抜かして駆け上がる。赤色系がふんだんに盛り込まれたレディースショップの丸い階層の、左手にあるアゴヒゲさんの店の正面に、女の子がポツリと立っているのが目に入った。服装に気を取られる前に、まずツインテールのシルエットでそれがルナであることに気づく。

「ルナっ、」

 怒っているというよりどちらかというとしょんぼりしたような、心配しているような表情が、すばやい動作でこちらを向いた。ぼくは横切る人の流れを縫うように走って、それに近づいていくたびルナの服装に意識が向くようになる。

 ――森の奥で花摘みの少女と遭遇したような。そんなやわらかい印象を、ルナは全身にまとっていた。目の前にたどりついて息を切らしながら、ぼくは変身したルナの姿に、胸を撃たれたような気分になっている。

「……それ、買ってきたの?」

 何か文句を言われると覚悟してたんだけど、ルナのそんな第一声にぼくは少しだけほっとした。「明るい」とか「春らしい」とかいうルナの発言を参考にして選んでもらった、ダークブルーとライトグレーのボーダーカーディガン。その下に二枚襟の白シャツを着けて、パンツ(今までズボンって呼んでたんだけど)も明るい色にしてみた。いわゆるさわやか系コーディネート、らしい。あれだけ貯めていたお年玉が半分も削られたけど、まあそれは善しとしておくとする。ぼくは乱れた呼吸を整えたあと、

「……これなら、隣、歩けるだろ?」

「あとでついでに買いに行くつもりだったのに」

「アゴヒゲさんに頼んでみたんだよ。その手のプロの方がやっぱ、コーディネートとか上手いだろ? ……それに、なるべく早く隣歩きたかったからさ。遅れたのは、ほんとごめん」

 ルナは、口をぐっと閉じたままうつむいていた。喜んでもらえると思ってたのに、どちらかというと悲しんでいるようなその表情に、ぼくはちょっとあたふたする。待たせたのがいけなかったのだろうか。それとも、この服はルナの好みに合わなかったのだろうか。

「ルナちゃんはねえ、あなたと『いっしょ』に、お買い物したかったんだってーぇ」

 ぼくらの間に割り込んできたその気持ち悪い口調に、ルナはさっと顔を上げた。アゴヒゲさんが、腰に手をあてにやついていた。ぼくはルナの、何か物言いたげに口をもごもごさせている顔を見つめる。

「ルナ……」

 ぱっとこっちを向いたルナの頬が、みるみる間に林檎の赤さをにじませていく。「ちがう」と言いかけて舌をかんだような変な声を出して、自分の両手をぎゅっと絡みつけるように結んだ。ルナのそんな仕草に、エレベーターのときのようなやさしい感情が再び心から溢れ出して、ぼくはふいに微笑みを浮かべてしまう。

「……今日はまだまだ時間あるんだし、これからめいっぱいすればいいだろ、そんなの」

「そうよー。それにとっとと服整えといたほうが、お買い物も断然楽しめるでしょ? ルナちゃんのために、わざわざ私に声かけてしてくれたことなんだから、そこのところは多めに見といてやってくれない? 私の顔に免じてっ」

 アゴヒゲさんはそう言うと、ぱちりとぼくにウィンクを飛ばしてきた。気持ち悪いけどイケメンという新感覚。ぼくもそれにウィンクをお返ししてあげる。

「……それでどーお? 私とルナちゃん共同コーディネートの新しい服装はっ?」

 いぜんとして言葉を発さないルナの様子を見て、アゴヒゲさんが話を変えた。ぼくは上体を少し後ろに倒しながら、ルナの服装を見回してみる。するとそんなぼくに反応して、ルナが少し身体を縮めたのが分かった。

「ルナちゃんって肌が白くて、うらめしーいほどきめ細やかだし、日本人にしては……そう、北欧っぽい雰囲気があるのよね。それに着目して、いわゆる森ガール的なテイストの服をチョイスしてみたのよ。アンティーク調の色柄を重ねて、ほんわかした印象のシルエットを与えてあげて、スカートは長く、花柄のコットン素材。それにセピア色のブーツを履かせて完成ッ。最初着てたやつはクールな感じで締まって見えたけど、ルナちゃんって意外とおちゃめなとこもあるし、こういうほんわかしたコーディネートも似合うと思ったのよ」

「いやあ……かーなーりっ、良いっすね」とぼくは正直に言う。

「でしょーう? テーマは羽化っ。固い殻を破って今まさに羽ばたこうとしてる少女ッ!」

 ずっともじもじしていたルナは、とつぜんジャンプするように身を翻して後ろを向いた。ひらりと、金魚のひれみたいなスカートが波打って揺れる。

「あんま、じろじろ見るな……」

 全身をじろじろ見てて思ったけど、そういえばルナは、胸はあまり成長していないようだった。前の服装だとかろうじて浮き上がっていた柔らかそうな形が、こんなふわふわした格好だと全く目立っていない。と、ぼくはゲスじみた発想をやめる。双子の妹にそんな考えを働かせてどうする。

「ルナ」

 ぼくが声をかけると、「なによ」とルナは尖った目つきをしてこちらを少し振り返った。

「前のより、こっちのが断っ然かわいいよ」

「……あたりまえでしょ、店長さんが、選んでくれたんだから」

 ルナはそう言ってアゴヒゲさんを見上げると、ありがとうございました、と小さな声でちょいと頭を下げてから、

「ちょっと、トイレっ、いってくる」

 とたたたたっと、軽やかなステップで逃げ去るように人波へ飲みこまれていった。

 

 ルナの後ろ姿を見送ると、ぼくはアゴヒゲさんを見上げて一礼する。

「ほんと、いろいろお世話になってしまって、アゴヒゲさんのおかげで今日は何とかなりそうです」

 するとアゴヒゲさんは容姿を褒められたどこかの令嬢のような笑い方で

「うふふふふっ、とんでもないわよー。これが私たちのお仕事なんだからっ。女の子のいろいろをね、ファッションで後押ししてあげただけのこーと」

「いやいやいやいや。グラサン店長と喋ってるときも思ったんですけど、この業界の人たちってほんとかっこいいですよ。……あの、師匠って呼ばせていただいていいですか」

「あら、嬉しいわねー。でも私はねえ、弟子はとらないようにしてるの。たーだーしっ、恋人になるっていうんなら、師匠ってニックネームをつけてもらっても構わないけどね」

「アゴヒゲさんのままで結構です」

 うふふふふふふっ、と突き出した唇に指を当ててアゴヒゲさんは笑う。

「……ルナちゃんもねぇ、いっつも隣にお母様くっつけて歩いてるから、なーんかしんどそうよねえって前々から思ってたのよ。でーもっ、あんたみたいな男がついてくれたんなら、私も安心だわ。これからも、ルナちゃんとよろしくしてやってちょうだいね?」

 男っていってもただのお兄ちゃんなんだけど。というか、ルナはそこのところをアゴヒゲさんに説明しなかったのだろうか。まあ、今さら説明するのも何なので、ぼくはためらいつつも「お任せください」と胸を叩いた。

「カーイー、いくよーっ」

 ちょうどその時雑踏の中からルナの声が聞こえてきた。声の方を探してみると、ぼくはエスカレーターの近くにいるルナの姿を視認する。トイレ終わるの早いな、と思いつつ「ちょっと待ってー、今行くーっ」とルナに声をかける。手早くアゴヒゲさんの方を向き、再び一礼したところで、

「ここまできたら今夜はドドンと一発、決めちゃいなさいよっ」

 ぼくは手を男の力でがっしり掴まれて、なにか小さなものを無理やり握らされた。ぼくはそれを指の隙間から見る。白くて四角いパッケージに浮き出た、ピンク色の輪っかの形。一瞬何が起きたのか分からなかった。リング状の、ぐにぐにとゴムのような感触。その正体を理解したときぼくは、

「うわッ。ちょっ、これはっ、ちょとっ、」

「だいじょうぶ。それさえあれば、あんたらの年頃だってなんともないんだからっ」

 そういう問題じゃあないのだ。っていうかこの人はなんでこんなものを常備しているんだ。

「カーイー?」とルナの呼び声がもう一度聞こえて、ぼくはそれをとりあえず財布の中へしまった。どうしよう。こんなものを財布の中に忍ばせてるのがバレたら、積み上げてきたものが一瞬で崩れてしまう。

 とりあえずぼくはもう一度「ありがとうございましたっ」とアゴヒゲさんに礼すると、ルナのところへ一気に駆け寄った。

「なにやってたの?」

 という言葉にあいまいに返事しながら、ぼくはルナの隣について歩き出す。ルナはもう、何も文句を言わない。だけどそのことに嬉しさを感じる余裕もなく、ぼくはさっき渡されたものに意識を注いでいた。

 それは、コンドームだった。そしてぼくはそれがコンドームだと分かった瞬間、ルナと「そんなこと」をするシーンを妄想してしまった。もっともその妄想はほんの一瞬だけのもので、意識の流れにすぐかき消されてしまったんだけど。しかしそれは、水面に巨大な石を投げ込んだときのように、ぼくの心に大きな波紋をたてた。

 隣で不思議そうな顔をしているルナを見ながら、ぼくはなんでもない素振りを装う。ルナはとんでもなく可愛い女の子で、ぼくにはそれが自分の妹だとはどうしても思えなかった。周りからしたって、ぼくたちのことを兄妹だなんて思う人は少ないはずだ。長いこと接したアゴヒゲさんすらも、けっきょく最後まで勘違いしていたんだし。そんなことを思うと、ぼくはちょっと複雑な気持ちになる。

 ――いや、でも。そうだとしてもルナは、正真正銘、妹なのだ。家族のアルバムにもちゃんと載っている、ぼくの妹なのだ。そう思い直し、ぼくはうやむやな態度を「何でもないよ」で強制的に結んだ。

 


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