バス停の宇宙
奇妙な光景だった。
農道のバス停、その傍の小さな小屋のベンチで1時間に1本のバスが来るのを待っていた時のことだった。
(宇宙服!?)
小屋の前にスーと現れた人影を見上げた時、私はそう思った。体型が全く判らない程にモコモコして見える上下白の服。そこから伸びた何本もの管が背中の方に回っている。腕や脚に入った赤いストライプ。服に繋がっているであろうヘルメットのバイザーは金色に光っていて、目を点にして見上げる私の顔が映っていた。
青々とした稲が風になびく田圃が広がり、その後方に迫り出した山の稜線の深い緑とグラデーションを描いている。その原風景の真ん中に宇宙服が立っている。
(コスプレ?)
そう言えばこの近くにUFOの目撃証言が多くて、その界隈の人が集まる観察スポットになっている場所があったことを思い出した。
宇宙服の人はじっとこちらを向いて立っている。ヘルメットは服に固定されていて動かないので首の動きは判らないし、バイザーのせいで視線がどこに向いているかも判らない。でも私の方を見ている気がする。
「あっすいません。どうぞ」
慌てて右隣りに置いていた大きめのバックパックを膝の上に置いて2人掛のベンチの片側を空けた。
宇宙服の人は腰の辺りから上半身を少し曲げた。お礼の会釈なんだろう。ヘルメットで頭の動きが判らないから上半身全体で会釈をして見せたのだろう……と思う。
宇宙服の人が小屋の中に入って来たので、お尻をずらして、気休め程度に右側を広くする。
(どういう絵になっているんだ)
バス停の小屋の2人掛ベンチに宇宙服の人と並んで座っている自分自身を俯瞰してみた。なんとなく想像は出来る。しかし直接見てみたい衝動が徐々に込み上げてきて大きく抑えきれなくなる。
眼球周りのあらゆる筋力を使って首を動かさずに横を見る。想像以上に宇宙服の人の左側が良く見えた。肩の辺りにロケットと星と三日月が描かれたワッペンが貼られているのがはっきりと見えた。宇宙服の人はベンチに浅く座っていた。あれか?背中に背負ってる箱がつかえて深く座れないのか?
横目でチラチラと右隣りを伺いながら体は正面に固定したまま暫く沈黙を貫いたが好奇心が勇気とは違う何かのボタンを押してしまった。
「あのっ!」
緊張を感じていたのか衝動を抑えてきれずに声を掛けようとしたことに羞恥を感じたのか自分でも判らない。直ぐ隣にいる人に向ける声量ではなかった。しかも裏返って高い声になってしまっていた。
モコモコの服のせいでよくは判らないが宇宙服の人が微かにビクッとなったような気がした。
「写真を撮らせて頂けないでしょうか……」
唐突になんて不躾なお願いをしているんだと言う自責と、裏返った大きな声を出してしまったと言う羞恥も重なって真っ赤になった自分の顔が大きなバイザーに映し出されていた。
宇宙服のヘルメットは正面を向いているが中の人が首だけを回して此方を見ているかもしれない。真っ赤になった自分の顔をバイザーの中で凝視されているかと思うと益々顔が紅潮してくる。
宇宙服の人はヘルメット越しに、顳顬?の辺りをポリポリと人差し指でかいてから、親指を立ててくれた。
「ありがとうございます!」
膝の上に置いたバックパックから急いでスマホと自撮り棒を取り出し前に伸ばした。
パシャリ
宇宙服の人にも見えるように2人の間にスマホを引き戻し画面を確認する。
宇宙服の人は大きめのグローブをヘルメットの顎の辺りにつけてピースサインをしていた。私の顔は緊張で引き攣り強張っていた。
「すいません。もう一枚良いですか?」
宇宙服の人は静かに親指を上げてくれた。
パシャリ
今度は何とか自然なとは言い難いが笑顔を作れた。宇宙服の人は今度は両手でピースサインをしていた。段々ノリが良くなるタイプらしい。
「あのコッチでも良いですが?」
私は首からぶら下げた一眼レフカメラを両手で持って宇宙服の人に見せた。宇宙服の人は両手で顔を……バイザーを隠し体を左右に振った。照れているらしい。
「お願いします!」
宇宙服の人のノリの良さに賭けて押し切ってみた。
バイザーを隠している手の指が少し開いた。
「是非!」
一眼レフカメラを顔の高さに持ち上げてシャッターに指をかけた。宇宙服の人はゆっくりと手を下げて小さく親指を上げた。
パシャリ
すかさずシャッターを切る。
サムアップがピースになった。
パシャパシャパシャ
すかさずシャッターを数回切る。
サムアップが敬礼になった。
パシャパシャパシャ
宇宙服さんが敬礼をしたまま立ち上がった。
(良いよ!良いよ!宇宙さん)
私の中で宇宙服の人は宇宙と書いて『そら』さんになっていた。この宇宙さんとの『めぐりあい』を堪能するように一心にシャッターを切り続けた。
宇宙さんを小屋から出るように促して山の稜線まで広がる田圃を背景にシャッターを切り続ける。パシャパシャと音がする度に宇宙さんは色々なポーズをとってくれる。
「良いです!良いですよ!」
思わず声が出てしまった。
声をかけ続け、シャッターを切り続けた。
「賑やかですね」
突然、背後から声をかけられた。突然と言う表現は多分正しくない。シャッターを切ることに夢中になっていて声の主が近付いて来ていることに気づかなかったのだ。
それは宇宙さんも同じだったらしく、声をかけられた途端ピーンと直立不動の姿勢になった。
背後を振り返ると老女が笑顔で立っていた。笑顔のせいか顔の皺がより多く見えた。
「こ、こんにちは」
夢中でシャッターを切っていたときのテンションが老女にどう映っていたかを考えて声が上擦った。
「はい、こんにちは」
老女が会釈した。
「船長さんも、こんにちは」
(船長さん?)
宇宙さんが老女に向かって上半身の会釈をしていた。
(船長なの?田圃に宇宙服の人が居る光景に違和感はないの?老女にとって、この光景は日常なの?)
老女がちょこんと2人掛けのベンチに腰掛けた。宇宙さんが此方の方を向きながらベンチの空いている方を手で指し示した。
「ありがとうございます」と言って老女の横に腰掛けた。
宇宙さんは小さな小屋の外に立っている。小屋の中のべンチには老女と私が座ってる。
(この光景も写真に収めたい。流石にこの画角は自撮り棒では無理か。バックパックに括り付けている三脚を取り出してセルフィーで……)
「観光ですか?」
老女に話しかけられた。
「あっ、はい」
「珍しい。こんなところで観光客さんにお会いするなんて」
宇宙さんの方をチラリと見る。
(こんなところで宇宙服の人にお会いするのは珍しくないのか?)と思いつつも老女に視線を戻す。
「趣味で、自然や原風景の写真を撮って回ってまして。ここの景色が余りにも雄大で途中下車しちゃいました」
「素敵なご趣味ですね」
老女はニコニコしながらそう言ってくれた。
遠くの方からブロロロ、ブロロロとバスのエンジン音が近付いて来る。
小屋の前で停まったバスの後方の扉が開いた。
「『しもつせはない入口』行きー」
運転手のアナウンスが開いたドアから聞こえてくる。横に座る老女に先に乗るように促した。老女はヒョコリと小さく会釈してバスのステップを手摺りに掴まりながら一段づつ登って行った。
今度は宇宙さんが私に先に乗るように促してくれた。軽く会釈してバスに乗り込むと車内に乗客の姿はなかった。老女は扉の後ろの2人掛けの椅子の通路側に座っていたので、通路を挟んだ反対側の2人掛けの椅子の通路側に座った。
続いて宇宙さんが乗り込んできた。
「えっ?」
思わず小さく声が漏れた。
宇宙さんが浅い屈伸をするように少し膝を曲げて伸ばすと、宇宙さんの体がふわっと舞うように浮き上がり2段あるバスのステップを一気に飛び越えた。
何と表現して良いのか、何となく落下速度がゆっくりで滞空時間が長く感じた。
バスに乗り込んだ宇宙さんは前の方へ移動していく。ただその歩調はふわりふわりと飛び跳ねているように見える。
バスの床を踵で2、3回叩いてみたが感触は硬い。
運転席とは反対側の列の最前列に座った宇宙さんに運転手さんが制帽のツバを指で摘みながら挨拶をしていた。
バスが走り始めてすぐに老女が話しかけてきた。
「どこまで行くの?」
「『しもつせ明星温泉まで』です」
「あそこは良い温泉よ。私もたまに日帰りで浸かりに行くわ。あなたは泊まり?」
「はい。一泊の予定です」
「あら、あそこは出るわよ。気をつけて」
老女の言葉に思わず唾を飲み込んだ。
「出る……何がですか?」
「美味しい海鮮が!山の中なのに不思議よね。食べ過ぎには気を付けて」
「あ、はあ」
気のない返事をしてコクリと頷いた。
「私は孫のところに、これを持って行くの」
老女が膝に抱えた風呂敷包を愛おしいそうに撫でながら言った。
「お孫さんはどちらにいらっしゃるんですか?」
「ちょっと遠いとこなの。『しもつせはない入口』のもっと先なの」
「それは大変ですね」
運転席の後ろに貼られた路線図をチラリと見る。スマホに視線を落とし『しつもせはない入口』『バス接続』で検索してみるが乗り継ぎ出来そうなバス路線は出てこなかった。
最前列に座った宇宙さんの後頭部を見てどこまで行くの気になった。スマホで『しもつせはない入口』の時刻表を調べてみる。
「なか、おはぎなんだけど良かったら、お一つ召し上がる?」
老女が風呂敷包みを解こうとしたが、「ありがとうございます。でも海鮮のために空けておきます」とお腹を摩りながらお断りした。
終点の『しもつせはない入口』の時刻表では、このバスが到着した後に2本折返しのバスが来ることになっている。
車窓からの風景は田園から高い木々に両側を挟まれた山道に変わっている。
「次は『しもつせ明星温泉〜』」
運転手のアナウンスが車内に流れた。
「明星温泉、次よ降りないの?」
いつまでも『降ります』ボタンを押さない私に老女が尋ねた。
「まだ、折返しのバスが何本かあるみたいなので、折角だから終点まで行ってみようかなと思いまして……あははは」
乾いた笑いで誤魔化してみたが、本音は、
(宇宙さんが何処まで行くのか折角だから確認してみたい)だっ!
「あら、そう。でもこの先は木ばっかりで本当に何も無いわよ」
「それはそれで、良い写真が撮れるかなぁなんて……あははは」
「よくわからないけど、都会の人には珍しい光景なのかしらね」
老女の微笑みに罪悪感を隠すようにコクリと頷いた。
再度時刻表に視線を落とす。1つだけ到着予定時刻に※が付いている箇所があった。時刻的に今乗っているバスらしい。
『※は臨時バスのため、下津瀬花井入口からの折返し運転はございませんのでご注意下さい。』
(折返し運転がないとはどう言うことだろう?終点から回送運転するのだろうか)
バスは狭い山道を木々の間を縫うように登り続けた。
「次は『終点しもつせはない入口〜」
運転手のアナウンスが車内に流れた。結局、私を含め3人以外は誰も乗って来ず、誰も降りなかった。
「なお、一般のお客様は次の『しもつせはない入口』より先のご乗車は出来ませんので、次の『しもつせはない入口』にて下車願います」
(あれ『しもつせはない入口』の先があるの?路線図にも、スマホ画面の時刻表にも『しもつせはない入口』より先のバス停は書いてないのに)
車内を見渡した。老女も宇宙さんも『降ります』ボタンを押す気配はなかった。
私もボタンを押さず行ける所まで行ってみようと覚悟を決めた。
バスは道路を外れ切り拓かれた広場のような場所に入って行く。広場の片隅には小さな小屋とバス停が立っていて、どうやらここが『しもつせはない入口』らしかった。
ビーという電子音と共に前方の扉が開いたが誰も降りようとしない。
「終点です。一般のお客様はこちらで下車願います」
運転席に取り付けられた大きな鏡越しに運転手の視線が私に向けられているのがわかった。最前列に座った宇宙さんが半身を捻って上半身ごと後ろを振り返っている。
「ここから先は特別な乗車券がないと乗っていられないのよ」
横の老女が微笑みながら優しい声をかけてきた。
「あのお金なら支払います。このまま乗っていては駄目ですか?」
懇願するように運転席に向かって声を張ったが運転手からは何の反応もなかった。もしかしたら静かに親指を立ててくれるのではないかと期待して宇宙さんの方を見るが腕は下がったままだった。
バイザーで顔はわからないのに何故か宇宙さんが困った顔しているような気がした。視線を移すと老女が私に向かって微苦笑していた。
(これ以上、粘るのは閉店後まで居座る迷惑客みたいなものか……)
「わがまま言ってごめんなさい」
深く頭を下げた。バスの前に移動して運転席に据え付けられた運賃箱に乗車料金を入れてバスのステップを一歩ずつ降りた。
最後のステップを降りようとした時、後からポンポンと肩を叩かれた。振り返ると宇宙さんが手に持った三日月と星とロケットが描かれたワッペンを私の方に差し出した。
「くれるんですか?」
宇宙さんが静かに親指を立てる。
出会ってから、ほんの1時間も経っていない付き合いなのに何故だか涙が溢れ出してきた。
「ありがとうございます」と言おうとしたが上手く声に出来ないまま頭を下げた。零れた涙が地面に斑ら模様を作った。
ビーという電子音と共に扉が閉まった。扉のガラス越しに宇宙さんが手を振ってくれている。バスがゆっくりと動き出し後部扉の後ろに座っている老女も私に向かって手を振ってくれていた。
私は徐々に小さくなっていくバスの後部を見つめながら大きく手を振った。
バスは道路には戻らず木を切り開いただけのような狭い道を山の中へ入って行った。
小屋の中のベンチに腰掛け、上を向いて流れて出てくる涙が止まるのをまった。視界の中の大きな満月が滲んで歪んでいる。
(今日は月が地球に最も近づくから大きく見えるってニュースになってたな)
ちゃんと見ないと勿体ない気がして涙を拭って満月を見上げた。
「えっ?」
思わず声が出た。
瞼を擦ってもう一度よく月を見た。
見間違いではない。バスが空を飛んでいる。月の光に照らされてシルエットしか見えないが、先程まで乗っていたバスと全く同じ形のバスが空を飛んでいた。
バスは月の方へ頭を向けると速度を上げていった。私はドンドンと小さくなるシルエットが黒い点になり月の光の中に吸い込まれて消えるまでずっと見ていた。
私は宇宙さんに貰ったワッペンを見つめながら、
「次は絶対最後まで乗っていてやる」と呟いていた。
おわり
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