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断罪劇の台本を書いたのは私です 〜ただし、あなたが泣く結末だけは書けませんでした〜  作者: 九葉(くずは)


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第8話 断罪の夜会

台本は三度書き直した。最後の版が一番短く、一番重かった。


第一稿は「フリードリヒ殿下に自発的に破棄させる」。三年かけた計画。父に潰された。


第二稿は「エレオノーラ側から婚約の法的無効を宣言する」。ナターリエが見つけた百年前の判例と、ルートヴィヒ殿下が王室文書庫から引き出した先例。母の署名がない婚約契約書の瑕疵。


第三稿はない。第二稿がうまくいかなかったら、ヴィクトルの偽装診断で体調不良を装い、時間を稼ぐ。それが最後の砦だ。


夜会の朝。私は鏡の前に立った。


白い絹のドレス。コルセットの骨が肋骨を締めつけている。この窮屈さにも三年で慣れた。母の形見のショール。白百合の刺繍が肩にかかっている。


母がこのショールを最後に着けたのは、父との結婚式の日だったと聞いた。今日、私はこのショールを着けて、婚約を断つ。


皮肉だと思ったが、母が望んだのはこちらの方だ。


◇◇◇


断罪の夜会。


大広間に入る前、マティアスの料理が並んでいるのが見えた。給仕の銀盆に載った胡桃入りの黒パンの薄切り。夜会向けに小さく整えてあるが、マティアスの焼いたパンはすぐわかる。焼き色が深くて、端が少しだけ焦げている。


一瞬だけ、安心した。共犯者がここにいる。


蜜蝋の蝋燭が百本。蜂蜜酒の琥珀色の杯。百人の顔。


フリードリヒ殿下が壇上に立った。


経緯は省く。ルートヴィヒ殿下の工作で、殿下は自ら破棄を宣言する側に回った。計算通りではない。だが結果は計算以上だ。


「——では、この婚約は破棄とする」


殿下の声。三年前から何度も想像した台詞。


私は微笑んだ。泣くのでも怒るのでもなく。


「承知いたしました」


広間がざわめいた。記録係の老人が羽根ペンを落とした。殿下の目が見開かれた。


殿下は一瞬だけ、何か言いかけた。たぶん「理由を聞かないのか」と。だが私が一礼して黙ったので、殿下もそれ以上は言わなかった。この方は空気を読む人だ。合理的で、冷静で、王族として申し分がない。


ただ——それだけの人だった。私が三年間婚約者として隣に立っていたことに、殿下は何も感じていなかっただろう。私もまた、何も感じていなかった。お互い様だ。


殿下が退いた壇上を見ながら、私は初めて不思議なことを思った。この人のために泣いたことは、一度もなかった。でも二ヶ月前、計画が崩れた夜——レオンの前では泣いた。


その差の意味を、今はまだ考えたくなかった。


イレーネの顔が視界に入った。唇の端を持ち上げている。勝利の笑顔。彼女はまだ知らない。王妃の手元に、彼女の噂操作の証拠が届いていることを。あの証拠が公になれば、社交界での信用は崩れる。それはまた別の話。


今夜は、私の夜だ。


◇◇◇


広間を出る直前、レオンが見えた。


柱の影で拳を握りしめている。白い手袋の布が骨の形に沿って盛り上がっている。


——大丈夫。成功した。


目で伝えようとした。レオンと目が合った。


レオンの目は怒っていた。


計画が成功したのに、怒っている。


広間の蝋燭の光がレオンの顔を横から照らしていた。顎の筋が浮いている。噛みしめている。あの顎は、剣を構えるときと同じだ。何かと戦っている顔。


だが——誰と?


フリードリヒ殿下に? 殿下は台本通りに動いた。怒る理由がない。父に? 父はレオンにとって他人だ。イレーネに? レオンはイレーネに会ったこともない。


消去法で考えた。怒りの対象は殿下でも父でもイレーネでもない。


残るのは——私だ。


レオンは私に怒っている。


なぜ。計画を立てたことに? 偽装の恋人役を使ったことに? それとも——「役目」と呼んだことに?


わからなかった。この人の感情は計算できない。三年の計画で宮廷の全てを数式に落とし込んだ私が、この人の拳一つ読めない。


それが——怖かった。


怖いのに、目が離せなかった。


◇◇◇


夜会の後。回廊で父と目が合い、一礼して背を向けた。


その先がある。


馬車の待つ裏庭まで、レオンが付いてきた。護衛の名目だ。裏庭の石畳に二人分の靴音が響く。冬の夜風が頬を刺した。レオンの上着の襟が風にあおられている。


馬車の前で立ち止まった。


言うべきことを言わなければ。


「計画は成功しました」


声は安定していた。


「あなたの役目は、これで終わりです」


沈黙。


石畳の上を風が走った。遠くで夜会の音楽がまだ鳴っている。甘ったるい蜂蜜酒の残り香が、夜気に混ざって流れてきた。


レオンは黙っていた。長い沈黙。馬車の馬が鼻を鳴らす音。蹄が石畳を掻く音。それだけが、二人の間を埋めていた。


「……そうだな」


レオンの声は低かった。


何かを言いかけた。口が動いた。喉仏が一度動いて——止まった。言葉にならなかった。


レオンは何も言わずに馬車の扉を開けた。紳士的な所作ではない。ただ黙って、力任せに扉を引いた。蝶番がぎいと鳴った。


私は乗り込んだ。ステップに足をかけたとき、レオンの手が私の肘を支えた。一瞬だけ。触れた場所がしばらく温かいままだった。


扉が閉まる寸前、レオンの手が見えた。扉の取っ手を握る手。白い手袋の布が骨の形に沿って盛り上がっている。


また、握りすぎている。


◇◇◇


馬車が走り出した。


窓の外を街灯が流れていく。王都の夜は暗い。月が出ていない。石畳を打つ車輪の音が、規則的に響く。


自由になった。


なったはずだ。三年間求めていたもの。父の支配から逃れること。自分の人生を自分で決めること。王太子妃という鳥籠から出ること。


全て手に入れた。


——なのに、なぜこんなに胸が。


いや。「胸が痛い」という言い方は正確ではない。正確に言えば——馬車の座席に座った瞬間、自分の左手を見て気づいた。手袋の中に、何かがある。


押し花だ。


ブラウグロッケの押し花。青い鈴の形。薄く乾燥しているが、色はまだ鮮やかだった。


いつ入れたのか。たぶん、夜会の前にレオンが手袋を渡してくれたとき。あの不器用な手で、小さな花を壊さないように——挟んだのだろうか。


この花は、最初の夜会からずっと入っていたのだろうか。それとも今夜だけ。


わからない。計算できない。この人のことだけは、いつも計算の外にある。


馬車の中で、ブラウグロッケの押し花を指先でそっと触った。辺境の青。春の色。


「役目は終わり」と、私は言った。


でも、この花は——役目ではないだろう。


自由になったはずの手が、小さな押し花を握りしめていた。

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