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断罪劇の台本を書いたのは私です 〜ただし、あなたが泣く結末だけは書けませんでした〜  作者: 九葉(くずは)


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第5話 侍女頭の怒り

私の妹を泣かせた女が、今日も笑っている。


イレーネ嬢。伯爵令嬢。王太子殿下の幼馴染にして、この宮廷の社交界を牛耳る女。笑顔は完璧。立ち居振る舞いは洗練そのもの。噂の操作は芸術的と言っていい。


一年前、その芸術的な噂操作で、妹のリーゼが宮廷を追われた。


リーゼは侍女だった。真面目で、少し不器用で、紅茶を注ぐのだけは王宮で一番上手かった。イレーネ嬢がフリードリヒ殿下に送った私信を、リーゼが偶然目にした。それだけのことだ。


翌週、リーゼが殿下の私物を盗んだという噂が宮廷に流れた。証拠はない。だが噂は証拠より速い。リーゼは弁明の機会もなく宮廷を追われ、今は実家の田舎で静かに暮らしている。


私はクラーラ。王宮の侍女頭だ。


段取りは戦争と同じだと思っている。まず情報を集め、布陣を整え、補給線を確保してから攻撃に移る。感情で動いたら負けだ。


だから、一年かけた。


◇◇◇


エレオノーラ嬢の計画に乗ったのは、利害が一致したからだ。


嬢様は婚約から逃れたい。私はイレーネ嬢の噂操作の証拠を公にしたい。嬢様の計画が成功すれば、その過程でイレーネ嬢の悪事も白日の下に晒される。


感情ではない。合理的な判断だ。


……と、自分に言い聞かせている。本当は怒っている。一年経っても、この怒りは消えない。リーゼの手紙を読むたびに、こめかみの奥がずきずきする。


「お姉ちゃん、こっちは元気だよ。庭の花がきれいに咲いたよ」


あの子は恨み言を一つも書かない。それが余計に腹が立つ。


◇◇◇


侍女ネットワークの力を知らない人間は多い。


宮廷の情報は、公式には早馬と書簡で伝わる。だが非公式には——侍女の口伝えで、半日で王宮の隅々まで届く。誰が誰と会った。誰が何を言った。誰の部屋に誰が入った。侍女は空気のように扱われるが、空気にも耳はある。


私はその網を使って、一年かけてイレーネ嬢の噂操作の証拠を体系的に集めた。


日付。場所。誰が誰に何を言ったか。指示系統。噂の出所と経路。全て記録した。侍女十二人分の証言。署名入り。


一番苦労したのは、イレーネ嬢付きの侍女から証言を取ることだった。あの侍女は主人に忠実で口が堅い。だが、人間には弱みがある。彼女の弟が宮廷の厩番の採用試験に落ちていた。口を利いてやった。翌月、弟は厩番になり、姉は証言書に署名した。


恩を売るのは得意だ。段取りの一環だから。


この屋敷の動線は設計した人間の顔が見たいほどに非効率だが、おかげで侍女同士が人目につかず話せる場所はいくらでもある。裏階段の踊り場、乾燥室の裏、第二厨房への渡り廊下。全て私の頭の中に入っている。


証拠はすでにナターリエ嬢——図書館の司書——に渡してある。法的な裏付けはあちらが担当だ。そして三日前、王妃付きの侍女に手渡した。王妃がどう動くかは王妃次第だが、あの方は不正を嫌う。放置はしないはずだ。


段取りは整った。


◇◇◇


それで——今日語りたいのは、証拠収集の話ではない。


エレオノーラ嬢が道に迷った話だ。


一年前のある午後。嬢様は王宮図書館でナターリエ嬢と打ち合わせをした帰り、宰相邸の西棟で迷子になった。


西棟は使用人の居住区と倉庫が集まる区画で、嬢様はまず足を踏み入れない。嬢様は自分の書斎と客間と正門への道は完璧に把握している。だが、それ以外の場所では——壊滅的だ。


私が見つけたとき、嬢様は倉庫の前で立ち止まっていた。手には図書館で描いたらしい地図。きれいな字で通路の名前が書き込んである。周りには漬物樽と干し肉の束が積んであって、酢の匂いが充満していた。宰相令嬢が立つ場所ではない。


「……クラーラ。ここはどこですか」


「西棟の第三倉庫の前です。嬢様、玄関からここまで、正反対の方向に歩いていらっしゃいます」


「正反対……」


嬢様は地図を見下ろした。地図は正確だった。通路の名前も方角も合っている。私が見ても感心するほど丁寧に描かれている。ただ、嬢様自身が地図を逆さまに持っていた。


「地図を描くのと使うのは、別の能力なんです」


恥ずかしそうに、でも少し笑いながら嬢様は言った。


私は——不覚にも、笑ってしまった。あの冷静沈着な宰相令嬢が、倉庫の前で地図を逆さまに持って途方に暮れている。計画は完璧なのに、道は覚えられない。


五分もしないうちに、レオン殿が走ってきた。息を切らしている。嬢様が玄関から姿が見えなくなったので探していたらしい。


「お前、計画は完璧なのに道は覚えられないのか」


「地図を描くのと使うのは——」


「別の能力、ってか。はいはい」


レオン殿は呆れた顔をしていたが、目は笑っていた。嬢様をまっすぐ見ていた。


それから、ふとレオン殿が聞いた。


「なあ、エレオノーラ」


「何ですか」


「この計画が全部終わったら、お前、何するんだ」


嬢様は少し黙った。


「……考えたことがありません」


その声は、いつもの嬢様より小さかった。


レオン殿は何も言わなかった。ただ黙って嬢様の隣を歩き、書斎への道を先導した。時折振り返って嬢様が付いて来ているか確認していた。まるで辺境で迷子の子羊を導く羊飼いのようだった。


嬢様は黙ってその背中を見ていた。表情は読めない。ただ、歩調がいつもより少しだけ遅かった。


◇◇◇


私は二人の後ろを歩きながら考えた。


嬢様は計画を立てる天才だ。三年先の盤面を読む。人の配置を考え、証拠を集め、法律の穴を見つける。だが、計画が終わった後の自分自身のことは——何も考えていない。


自分の幸せを計画に入れていない。


そしてもう一つ。


レオン殿の目。あれは偽装恋人の目ではない。


侍女を二十年やっている。恋をしている人間の目は、嫌というほど見てきた。あの目は本物だ。嬢様を見るときだけ、少し——ほんの少しだけ——柔らかくなる。


嬢様はそれに気づいていない。あるいは、気づかないふりをしている。


計画は順調だ。証拠は揃った。法的根拠も見つかった。夜会の段取りもこれから詰める。


だが、私にはひとつ気がかりがあった。


あの辺境伯の三男の目が、もう演技じゃない。


計画が終わったとき、あの二人はどうなるのだろう。


段取りは戦争と同じだ。撤退戦の計画がない戦争は、最悪の戦争になる。


嬢様の計画には、心の撤退戦が含まれていない。


私にできるのは、段取りを整えて待つことだけだ。

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