第3話【転】燃えているのは、私だけだった
冬馬と過ごす時間が増えるにつれて、私の日常は確かに楽になっていった。
でも、光が強くなれば、影も濃くなる。
私の日常に、静かな歪みが生まれ始めていた。
カウンセリング事務所で、ふと気づく。
最近、セッション中に集中できない。
クライアントの灯りが、以前ほどはっきり見えない。
まるで、炎の向こうに薄い膜が張られたみたいに、ぼやけている。
「灯里さん、最近、少し元気ないですね」
クライアントが、心配そうに言った。
「……そうですか?」
私は、いつものように笑った。
でも、鏡を見ると分かる。
顔色が悪い。目の下に、薄く影が落ちている。
その日の帰り道、スマートフォンが震えた。
――また、会えますか?
冬馬からだった。
少しだけ迷った。
疲れている。でも、会いたい。
「大丈夫です。行きます」
そう返信して、私はいつものカフェに向かった。
「お疲れ様です」
冬馬は、変わらない声で言った。
その瞬間、肩の力が抜けた。
でも同時に、体の奥が、ひどく重い。
「顔色、よくないですね」
「……少しだけ」
私は、正直に答えた。
そのとき、カフェの扉が開いた。
「あ、灯里さん」
振り向くと、見覚えのある女性が立っていた。
以前、私のもとに通っていたクライアントだった。
「お久しぶりです。元気そうですね」
「はい。灯里さんのおかげです」
彼女の灯りは、安定していた。
それを見ると、ほっとする。
「また、相談に行ってもいいですか?」
胸の奥が、わずかに沈んだ。
――今は、正直きつい。
そう思ったのに、口から出た言葉は、いつも通りだった。
「……もちろんです」
断れなかった。
それから、似たことが続いた。
街で、駅で、店の前で。
まるで示し合わせたみたいに、かつて私が支えた人たちが、次々と現れる。
「灯里さんがいないと、不安で」
「また話を聞いてもらえませんか」
「あなたといると、落ち着くんです」
みんな、同じ目をしていた。
私は、そのたびに頷いた。
そして、セッションが終わるたび、体が重くなる。
ある日、相談中に、視界が揺れた。
クライアントの顔が、遠くなったり近くなったりする。
口を開いても、言葉が出てこない。
「灯里さん?」
クライアントの声が、遠くなる。
「……大丈夫です」
そう言って、机に手をついた。
指先が、氷みたいに冷たかった。
その夜、私は雑貨店に寄った。
「灯里さん、顔色がひどいわ」
おばあさんは、私を見るなり言った。
「……私、間違ってますか」
初めて、そう口にした。
「助けたいだけなのに、どんどん苦しくなって」
おばあさんは、しばらく私の手を握っていた。
「あなたの力は、人の感情を安定させる。
でも、その代わりに――」
言葉を、そこで切った。
「あなた自身の灯りを、使っている」
胸の奥が、冷たくなる。
「……知っていました」
喉が震えた。
「気づいてはいた。でも、認めなかった」
私は、それ以上、何も言えなかった。
その帰り道、冬馬に会った。
「灯里さん」
私を見る目は、いつもと同じだった。
私は、全部を話した。
能力のこと。代償のこと。
そして、最近、自分が壊れそうなこと。
冬馬は、遮らずに聞いた。
「……それは、辛かったですね」
その一言で、涙が溢れた。
「助けるのを、やめたら……
私は、空っぽになる気がして」
「そうかもしれません」
冬馬は、否定しなかった。
「でも」
彼は、私を見た。
「君が燃えなくても、ここにいる」
その言葉が、胸に落ちた。
「誰かを照らしていなくても、
君には、ここにいる価値がある」
その瞬間、はっきり分かった。
燃えていたのは、私だけだった。




