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人を癒すたび、私の灯りは短くなる  作者: そらのことのは


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第2話【承】揺れない人

冬馬と出会ってから、四回目の週末。

私は、また美術館の入り口で彼を待っていた。

気づけば、この時間が、一週間でいちばん落ち着く瞬間になっていた。


私たちは、週に一度、美術館で会うようになっていた。

その時間は、いつの間にか、私の一週間の中で、いちばん静かな場所になっていた。


「今日は、新しい展示が始まったみたいです」


冬馬は、いつも通り穏やかな声で言った。


「『静寂』がテーマだそうですよ」


静寂。

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が、すっと軽くなるのを感じた。


展示室には、白黒の写真が並んでいた。

雪に覆われた森。誰もいない海岸。夜明け前の街。


どの写真からも、音が消えている。


「……落ち着きますね」


私がそう言うと、冬馬は静かに頷いた。


「静かな場所が好きなんです。音がないと、自分の心が分かる気がして」


「自分の心……」


その言葉を、私は頭の中で反芻した。


自分の心。

私は、そんなものを、ちゃんと聞いたことがあっただろうか。


「灯里さんは、自分の心の声、聞こえますか?」


不意に聞かれて、私は言葉に詰まった。


「……分かりません」


他人の灯りは見えるのに、自分の心は見えない。

いつから、そうなっていたんだろう。


「ずっと、他人の心ばかり見てきたので」


冬馬は、驚いた様子も見せず、ただ少しだけ考えるように視線を落とした。


「それは……疲れますね」


その一言で、胸の奥が、きゅっと締めつけられた。


誰も、そう言ってくれなかった。

優しいですね、すごいですね、助かります。

そんな言葉ばかりを、私は受け取ってきた。


美術館を出たあと、私たちは近くのカフェに入った。

古い建物を改装した、小さな喫茶店だ。


「ここ、僕が保存に関わった建物なんです」


冬馬は、梁や柱を見上げながら言った。


「壊すのは簡単です。でも、残すのは難しい。

手間も時間もかかるし、正解も分からない」


その言葉を聞きながら、私はコーヒーの表面を見つめていた。


「……人も、同じですね」


「え?」


「壊れそうな人を、見捨てるのは簡単です。

でも、残そうとすると、すごく疲れる」


冬馬は、何も言わずに頷いた。


その沈黙が、なぜか心地よかった。


それから、私たちは美術館だけでなく、カフェでも会うようになった。

週に一度が、二度になり、気づけば、ほぼ毎日、短い連絡を取り合うようになっていた。


ある日、カフェで別れたあと、私は気づいた。


いつもなら、誰かと会った後は、指先が冷たくなる。

でも今日は、違った。


冬馬と一緒にいると、疲れない。


誰かと会えば、私は無意識に相手の灯りを感じ取り、整えようとしてしまう。

でも、冬馬の灯りは、揺れない。


いや、正確には、こちらに寄ってこない。


だから私は、何もしなくていい。

ただ、そこにいるだけでいい。


「最近、顔色がいいですね」


大家のおばあさんが、ふとそう言った。


「……そうですか?」


「ええ。前より、軽そう」


私は、その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。


ある日、冬馬が言った。


「今度、山に行きませんか?」


「山?」


「この街の郊外に、静かな場所があるんです」


少しだけ、迷った。

でも、断る理由はなかった。


山道は緩やかで、木々に囲まれていた。

風の音と、足音だけが聞こえる。


誰の灯りも、見えない。

ここには、私の能力を必要とする人が、誰もいない。


それだけで、息がしやすかった。


頂上で、私たちは並んで街を見下ろした。


「灯里さん」


冬馬が、静かに呼んだ。


「僕、灯里さんといると、落ち着きます」


胸の奥が、わずかに揺れた。


「……私も、です」


「それは、どうしてだと思いますか?」


私は、少し考えた。


「何もしなくていいから、だと思います」


冬馬は、少しだけ目を見開いた。


「それは、楽ですか?」


「はい。とても」


冬馬は、それ以上、何も言わなかった。

けれど、その沈黙は、拒絶ではなかった。


山を下りる途中、私はふと不安になる。


この時間に、慣れてしまっていいのだろうか。

誰かを照らさない私に、価値はあるのだろうか。


その答えを、私はまだ知らない。

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