第31話:『賢者』の婚礼
ヴァイス国の首都は、祝福の光に満ち溢れていた。
「古代の呪い」が解け、清浄な魔力が満ちる大地。
どこまでも澄み渡る青空の下、街の中心にそびえ立つ「賢者の塔」は、国民の熱狂に包まれていた。今日は、この国を救い、未来をもたらした「二人」の、婚礼の日だからだ。
その喧騒が嘘のように静かな、「賢者の塔」の最上階。
エリアナ・ノエルは、あの日セオドアから与えられた執務室で、窓から差し込む柔らかな光の中、鏡に映る自分の姿を、呆然と見つめていた。
「…………」
そこに映っていたのは、王都アルビオンで埃にまみれていた、地味な司書官の姿ではなかった。
インクの染みがついた制服も、ジュリアン殿下から「地味だ」と嘲笑われるために、無理やり着せられた夜会のドレスでもない。
そして、王太子妃の「責務」と「聖約」という「枷」の重さしか感じなかった、あの古く、陰鬱な儀礼服でも、ない。
エリアナが今、その身にまとっているのは、ヴァイス国の清浄な魔力だけを吸って育った「光シルク」で織られた、眩いばかりの、純白のドレスだった。
複雑な装飾はない。だが、その生地そのものが、内側から淡い光を放つかのように輝き、動くたびに、エリアナの細い体のラインを、この上なく優美に、知的に見せている。灰色の髪は丁寧に結い上げられ、贈られたあの「青い髪飾り」が、唯一のアクセントとして輝いていた。
「……本当に、私なのでしょうか……」
エリアナが、信じられない、という声で呟くと、傍らで身支度を整えていた助手のリタが、今日ばかりは研究者の顔ではなく、心から嬉しそうな笑顔で頷いた。
「もちろんです、エリアナ様。……セオドア殿下が、自らデザインを引き、素材を選び抜かれた、世界に一つのドレスですから」
「え……セオドア様が、デザインを……?」
「はい。『エリアナ・ノエルの知的な魅力を、最も合理的に引き出すための設計だ』と仰って……」
リタは、そこまで言って、くすりと笑った。
「……三日三晩、執務室に篭って、何百枚も設計図を描き直しておられました。『合理的』とは、とても思えませんでしたが」
「……あの方は……」
エリアナは、頬が熱くなるのを感じた。
あの「氷の王子」が、自分のために、三日も寝ずにドレスのデザインを?その「非合理的」な行動にこそ、彼の不器用で、まっすぐな「愛」が、溢れるほどに込められていた。
王都では、「責務」のために着せられていた。
だが、今、このドレスは、「愛」のために贈られた。エリアナは、そっと胸に手を当てる。もう、「声」は聞こえない。否、『叡智』は、エリアナという「賢者」の心と完全に調和し、もはや「警告」ではなく、穏やかな「祝福」として、彼女の魂を満たしていた。「責務」に導かれるのではない。
今日は、自分の「意志」で、自分が愛する人の、隣に立つ日なのだ。エリアナは、いつもの地味な眼鏡を外すと、リタが差し出した、銀縁のささやかな装飾が施された、新しい眼鏡を、決意と共に身につけた。
◇◇◇
式典の場所は、「賢者の塔」の最下層。あの日、二人で「古代の呪い」と対峙し、王の欲望によって引き裂かれた「叡智」を、再び、一つに「調和」させた、あの、巨大な「力の石碑」の前だった。
瘴気は、とうに消え去り、「石碑」と、それに連なる『中央魔力循環炉』は、今や、国を守る「祝福」の象徴として、穏やかで、荘厳な「青い光」を、絶え間なく放ち続けていた。
その、神々しいまでの「叡智」の光の前に、純白の王太子礼装に身を包んだセオドアが、エリアナを待っていた。
そして、彼らの前には、セオドアの父である国王アルベリクが、彼らの背後には、ヴァイス国の大臣や研究者たちが、そして、塔の外には、この歴史的な瞬間を見守ろうと、首都を埋め尽くす国民たちが、固唾を飲んで二人を見つめていた。
エリアナは、リタに導かれ、ゆっくりとセオドアの元へと歩み寄る。
セオドアが、エリアナに向かって、手を差し伸べた。エリアナは、その手を、強く、握り返した。触れ合った手を通して、彼の緊張と、それ以上の「歓喜」が伝わってくる。
「……見事だ、エリアナ」
セオドアが、かすれた声で呟いた。
その金色の瞳を見て、エリアナは息を呑んだ。そこに、もはや「氷の王子」の仮面は、欠片もなかった。
彼の瞳は、エリアナという「奇跡」を映し込み、まるで、あの日、花畑で「フリーズ」した時のように、(いや、それ以上に)、深く、熱く、ただエリアナ一人だけを求める「熱」に、揺らめいていた。
国王アルベリクが、厳かに口を開く。
「セオドア・アークライト・ヴァイス。エリアナ・ノエル。汝ら二人は、この『叡智の石碑』の前で、引き裂かれた国の運命を、再び繋ぎ、調和させた。今、ここに、国の未来そのものである汝らが、新たな『誓い』を立てることを、ヴァイス全土の民と共に、見届けよう」
セオドアが、エリアナに向き直る。彼は、その金色の瞳で、愛しそうにエリアナを見つめ、その「誓い」を、紡ぎ始めた。
「エリアナ・ノエル」
「私はこれまで、合理性と、揺るぎない真理の探究こそが、世界を構成する、すべてだと信じてきた」
「だが」
彼は、あの日の「非合理なバグ」を、今や、誇らしげに、公言する。
「君と出会い、君の『声』に触れ、そして、あの花畑で、君の笑顔に『フリーズ』したあの日から」
「私の合理性は、君という、この世で最も愛おしい『非合理なバグ』に、完全に支配されている」
エリアナの目に、涙が滲む。
「もはや、合理性も、国の未来も、超えて」
セオドアは、彼女の手を、自らの胸へと導いた。
「私は、君を。我が国の『至宝』としてではなく、―――『私個人の至宝』として、生涯、愛し、守り抜くことを、誓う」
◇◇◇
「……セオドア様」
エリアナは、溢れ出る涙を、そのままに、人生で、最も幸せな笑顔を、彼に向けた。
「私『声』は、王都では『呪い』でした」
「でも、その『声』を、『叡智』だと、『至宝』だと、信じてくれたのは、世界でただ一人、あなただけでした」
「私も、私のすべてを、私の魂に宿る、この『叡智』のすべてを、あなたに、誓います」
セオドアが、エリアナを引き寄せ、「石碑」の青い光と、国民の熱狂的な視線の中、二人は、永遠の「誓い」を、交わした。
その瞬間、「石碑」が、まるで二人の誓いに応えるかのように、ひときわ強く、空を突くほどの、壮麗な「祝福の青い光」を、放った。
塔の外で、その「奇跡の光」を見た国民から、大地を揺るがすほどの、大歓声が巻き起こった。
『うおおおおおおおおおおおっっ!!』
『賢者エリアナ様、セオドア殿下、ご成婚、おめでとうございます!!』
『我らが国に、光と緑を、そして、愛を、ありがとう!』
『見ろ!氷の王子が……あんな……あんなに、お幸せそうに、笑ってらっしゃるぞぉぉぉっ!!』
歓声に応えるため、セオドアは、エリアナを伴い、「賢者の塔」の最上階、あの日、二人が「契約」を結んだ、あの、巨大なガラス窓の前に立った。
国民に向かって、涙ぐみながらも、幸せそうに手を振る、エリアナ。
セオドアは、そんな彼女の肩を、国民に見せつけるように、しかし、世界で最も大切な「至宝」を抱きしめるように、強く、優しく、抱き寄せた。
そして、彼は、愛しい妻となった「賢者」の耳元に、未来への、絶対的な確信を込めて、静かに、告げた。
「エリアナ」
「これで君は、名実ともに、この国の『未来』、そのものだ」
青い光と、国民の熱狂に包まれて、かつて「偽物」と「氷」と呼ばれた二人は、今、誰よりも幸せな「本物」の「愛」の形を、見つけていた。
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(※明日の更新も20:00です)




