第29話:『我が国の至宝』
「…………命令、だと?」
セオドア・アークライト・ヴァイスの声は、絶対零度だった。
「賢者の塔」の平穏な執務室の空気が、その一言で凍てつく。
彼の金色の瞳は、魔力通信機の水晶越しに、瘴気と恐怖にまみれたジュリアン・レイ・アルビオンの、その「愚かさ」の底を、冷ややかに射抜いていた。
通信機の向こう側では、ジュリアンが、セオドアの凄まじい威圧感に一瞬怯んだ。
だが、彼の足首には、すでに高位アンデッド「レイス」の冷たい手が絡みつき、生命力を容赦なく吸い上げ始めていた。
「ひっ……! あ……!」 死の恐怖が、彼のなけなしの尊厳を上回る。
「そ、そうだ! 命令だ! 貴様らヴァイス国は、我が国の『番人』を盗んだ! 聖約違反だぞ!」
「返せ! エリアナを返せ! そうすれば、この『呪い』(=破滅)も解ける! 私も助かる!」
「早くしろぉぉぉっ!!」
ジュリアンは、この期に及んでも、自分が「被害者」であると信じて疑わなかった。
彼にとって、エリアナは「本物」と「分かった」以上、即座に自分のもとへ駆けつけ、この地獄を解決するために身を粉にして働く、「責務ある道具」でしかなかったのだ。
その、あまりにも救いようのない身勝手な絶叫を聞き届けたセオドアは、ふう、と。まるで、非合理的すぎる計算ミスを見つけた魔導学者のように、深く、冷たい、息を吐いた。
「……ジュリアン殿」
彼は、エリアナを守るように立ったまま、淡々と、その「現実」を、一つ、また一つと、叩きつけていく。
「まず、『聖約』は、貴殿が『破棄』した。
エリアナ・ノエルは、もはや貴国の『番人』ではない。……違うか?」
「ぐ……!」
「次に、『返せ』という、その『モノ』について、だ」
セオドアの視線が、ジュリアンが「古書と共に」と喚いたことを思い出し、絶対零度の嘲笑を帯びた。
「貴殿が『不吉な本』と罵り、叩き割って捨てた『ソレ』は」「今や、我がヴァイス国の『中央魔力循環炉』と完全に調和し、」「数百年の『古代の呪い』を解き放った、我が国の『聖典』そのものだ」
「な……『呪い』を、解いた……?」
ジュリアンの目が、理解を超えた現実に、見開かれる。
セオドアは、構わず続けた。彼の言葉は、ジュリアンを「論破」し、「絶望」させるための、完璧な魔術の詠唱だった。
「そして―――」
セオドアは、ゆっくりと、守るべき背後のエリアナを、振り仰いだ。彼女は、もう揺らいでいなかった。
静かな、強い瞳で、セオドアを見つめ返していた。セオドアは、その瞳に応えるように、わずかに口元を緩めると、再び、通信機の向こうの「愚者」へと、最大の「カウンター」を、放った。
「貴殿が、『暗く地味な女』と詰り、『偽りの魔女』と断罪し、追放した、彼女は」
「今や、我がヴァイス国の『不毛の大地』を緑化させた、『豊穣の賢者』であり」
「―――私の、妻だ」
◇◇◇
「―――――は?」
ジュリアンの思考が、完全に、停止した。
瘴気の恐怖も、レイスの冷たさも、一瞬、忘れた。
「……つ、ま……?」
「……妻、だと……?」
ありえない。
あの、エリアナ・ノエルが? あの、埃まみれの、眼鏡の、地味な女が? この、大陸最強の「氷の王子」セオドアの?
「なっ……! ば、馬鹿な! ふざけるな!」
ジュリアンは、理解が追いつかず、意味もなく絶叫した。
「貴様! 『番人』を……聖約ある『婚約者』を、私物化する気か! それこそ、王国への反逆……!」
「―――反逆?」
セオドアは、心底から、呆れ果てた、という声を出した。彼は、読者が、そしてエリアナが、最も聞きたいと願っていた「結論」を、ジュリアンという、過去のすべてを間違えた男に、冷酷な「死刑宣告」として、言い放った。
「ジュリアン殿」
「貴殿が、その手で『捨てた』叡智を」
「貴殿が、その口で『追放した』賢者を」
「今さら、どの口が、『返せ』と宣う?」
セオドアの金色の瞳が、絶対零度の光を宿す。
「返す気など、毛頭ない」
「貴国の破滅は、貴殿が、エリアナ・ノエルという『本物』の価値を見抜けなかった、その愚かさの『対価』だ」
「合理的に考えて、」
「―――自業自得、という」
「あ……が……っ!」
ジュリアンは、声にならない声を上げた。完璧な「拒絶」。
彼がすがろうとした、最後の「希望」の糸が、無慈悲に、断ち切られた。
◇◇◇
「う、うわあああああああっ!」
ジュリアンは、レイスに生命力を吸われながらも、なお、通信機に向かって懇願した。
「待て! 待ってくれ! エリアナ! エリアナァ!」
「お前からも、何か言ってくれ! 責務があるだろう! 私を、見捨てるのか!」
セオドアは、これ以上の時間は「非合理的」だと判断し、無表情で通信機の切断スイッチに手を伸ばした。その、手が触れる、寸前。
「―――待ってください」
静かな、しかし、凛とした声が、セオドアを制した。エリアナ・ノエルだった。
彼女は、セオドアの背後から一歩前に出ると、セオドアの隣に並び立った。そして、自分の「過去」のすべてであった、ジュリアンの狂乱の顔を、まっすぐに見据えた。
その瞳に、もはや、王都で彼に向けていた「怯え」や、先ほどの「動揺」は、微塵もなかった。あるのは、すべてを乗り越え、新しい自分を選び取った、「賢者」としての、静かな「決意」だけだった。
「ジュリアン殿下」
エリアナは、静かに、最後の「別れ」を告げた。
「私は、もう、貴国の『番人』ではありません」
「な……何を……」
「貴方が私を『偽物』と断罪し、追放してくださった、あの日に」
「私を縛っていた『聖約』も、『責務』も、すべて、終わったのです」
エリアナは、そう言い切ると、隣に立つ、自分の「声」を「至宝」と呼び、自分の「価値」を信じ抜いてくれた、唯一無二の男へと、絶対の信頼を込めた、穏やかな笑顔を向けた。
「私の、この『声』は」「私を信じ、必要としてくれる、この国の人々と」「―――そして、セオドア様のために、使います」
それは、ジュリアンへの完全な「決別」の言葉であり、セオドアへの、最大の「愛の告白」だった。
「あ……あ……」
ジュリアンが、その「意味」を理解し、絶望に目を見開く。
「よ、よせ……エリアナ……! 待て……! 助け……!」
プツリ。
セオドア・アークライト・ヴァイスが、その見苦しい懇願が、エリアナの耳にこれ以上届くことは「非合理的」であると判断し、通信機の水晶を、無慈悲に、遮断した。
水晶の光が消え、ジュリアンの最後の絶叫が、途切れる。
「賢者の塔」に、再び、ヴァイス国の「平穏」が戻ってきた。エリアナは、もう、暗くなった水晶(=過去)を、振り返らなかった。
彼女は、ただ、隣に立つセオドアを見つめ、そして、彼と共に、この国の「未来」を、見つめていた。
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(※明日の更新も20:00です)




