第28話:身勝手な『懇願』、氷の『拒絶』
ヴァイス国は、数百年ぶりに取り戻した「本当の空」の下、急速な復興と、かつてないほどの「平穏」を謳歌していた。
『中央魔力循環炉』を蝕んでいた「古代の呪い」は、エリアナの「叡智」とセオドアの「魔導学」によって、完全に調和された。
国を覆っていた鉛色の瘴気は消え去り、大地からは、清浄で力強い魔力が、絶え間なく湧き出している。
「―――やはり、『古代地術』の解析データによれば、この『緑化させた大地』は、現代の作物よりも、失われた『古代種』の薬草との親和性が非常に高いようです」
「賢者の塔」の最上階。かつてエリアナが王都の地下書庫で着ていたインク染みの司書官服ではなく、ヴァイス国の叡智の象徴たる、深く知性的な青の賢者服に身を包んだ彼女は、自信に満ちた声で、膨大な資料を指し示していた。
彼女の灰色の髪には、セオドアから贈られた「マーカー(という名の髪飾り)」が、穏やかな光を放っている。王都で「暗い」と蔑まれた面影は、もはやどこにもなかった。
「ふむ。『古代種』か。コスト計算は?」
「はい。初期コストこそかかりますが、一度軌道に乗れば、ヴァイス国の医療魔術を五十年は進められる、高純度の魔力触媒が収穫可能との試算です」
エリアナの「声」とセオドアの「魔力」によって蘇った、あの「北の不毛地帯」。
二人の「共同作業」は、国を救うだけに留まらず、今や、この国の未来を創造する、新たなステップへと進んでいた。
「合理的な提案だ。すぐに予算を―――」
セオドアが、その知性的な議論に満足げに応じようとした、その、瞬間だった。
ビーッ! ビーッ! ビーッ!
「賢者の塔」の静寂を引き裂くように、けたたましい緊急アラートが鳴り響いた。それは、ヴァイス国の王宮からではない。
二人の目の前にある、王族専用の魔力通信機が、赤い光を明滅させていた。発信元は、ただ一つ。
―――旧・王都アルビオン。
「……王都から?」
エリアナの体が、反射的に強ばる。
あの日、セオドアの腕の中で、自らの意志で『古書』との接続を断ち切って以来、初めての「接触」だった。
セオドアは、エリアナの緊張を感じ取ると、不機嫌を隠そうともせず、通信機の水晶に手をかざした。
「……こんな時期に、何の用だ。愚かな」
ズ、ズズ……と、魔力ノイズが走る。
通信状態は最悪だった。向こう側の魔力供給が、著しく不安定な証拠だ。そして、ノイズが晴れた水晶に映し出された「光景」に、エリアナは息を呑んだ。
「あ…………」
そこに映っていたのは、もはや「王宮」と呼べるものですらなかった。
崩れ落ちた天井。黒い瘴気に煙る、おぞましい亀裂。そして、水晶の間際に映し出された、一人の男の顔。
「エリアナ! 聞こえるか! エリアナ!」
埃と、血と、瘴気にまみれ、王太子の威厳など微塵も感じさせない、恐怖と狂気に引きつった、ジュリアン・レイ・アルビオンの、半狂乱の顔だった。
◇◇◇
(ジュリアン、殿下……?)
あまりの変わり果てた姿と、通信機の向こう側から聞こえてくる、かすかな断末魔のような悲鳴。
エリアナは、自分が追放された故郷が、今、信じられない「厄災」に見舞われていることを、即座に理解した。あれこそが、自分が必死に警告した、『地下封印の崩壊』の、成れの果て。
「助けてくれ! 戻ってきてくれ!」ジュリアンは、エリアナの顔が(水晶の向こうに)見えたのか、さらに必死の形相で懇願する。
「私が悪かった! お前が、お前が『本物』だったんだ!」
「私が、間違っていた……!」
『本物』。
その言葉に、エリアナの肩が、びくりと震えた。王都で、あれほど渇望しても、決して手に入らなかった言葉。
自分を「偽物」と断罪した男が、今、破滅の淵で、それを叫んでいる。その、あまりにも皮肉な現実に、エリアナの心が、わずかに揺らいだ。
(私が……本物……)
ジュリアンは、その一瞬の動揺を、見逃さなかった。
彼は、エリアナの「優しさ」――いや、彼が一方的に信じ込んでいる「番人としての責務」に、すがりついた。「そうだ! お前は『番人』だろうが!」水晶の向こうで、ジュリアンの顔が、懇願から「傲慢」な命令へと、微かに変わっていく。
「国が! この私が、死にそうなったぞ!」 「『番人』なら、国を見捨てる気か!」
「―――エリアナ」
その時。低く、冷たい声が、彼女の名前を呼んだ。
ハッと我に返ると、いつの間にか、セオドア・アークライト・ヴァイスが、彼女と通信機の水晶の「間」に、立っていた。
その幅広い背中が、エリアナをジュリアンの狂気から、物理的に「守る」ように、毅然とそびえ立つ。
エリアナは、その背中を見つめ、荒くなりかけていた呼吸を、ゆっくりと整えた。
(……そうだ)
(私は、もう『番人』ではない)
(あの国との『責務』の鎖は、私自身が、この人の腕の中で、断ち切ったのだ)
セオドアは、エリアナが落ち着いたのを背後の気配で感じ取ると、水晶の向こうで、なおも何か喚き立てるジュリアンを、絶対零度の瞳で、見据えた。
「ジュリアン・レイ・アルビオン殿」
セオドアの声は、通信機のノイズに負けないほど冷たく、そして、重かった。
「貴殿からの緊急通信は、極めて『非合理的』かつ『理解不能』だ」
「な……貴様は、セオドア……!」
「問う」
セオドアは、ジュリアンの言葉を、容赦なく遮った。
「確認するが、ジュリアン殿。貴殿は、数ヶ月前、」
「我がヴァイス国が『賢者』として招聘した、エリアナ・ノエルに対し、」
「『偽りの番人』という、事実無根の烙印を押し、」「両国の礎たる『建国の聖約』を、貴殿の独断で一方的に破棄し、」「あまつさえ、彼女を、国宝たる『古書』の残骸と共に、王国から追放した」
「…………この『事実』に、相違は?」
「ぐっ…………!」
ジュリアンが、言葉に詰まった。セオドアの「合理的」な尋問は、一つの抜け道もない、完璧な「正論」だった。
だが、そのジュリアンの背後で、『............』と、玉座の間の暗闇から、レイスの冷たい手が、彼の肩に迫っていた。
死の恐怖が、彼のなけなしの理性を、再び焼き切った。
「うるさい! うるさい! うるさいッ!!」
ジュリアンは、正論を突きつけたセオドアに、逆上した。
「過去のことなど、どうでもいい! 私は『間違っていた』と認めたぞ!」
「だから! いいから!」
彼は、水晶に向かって、まるで「当たり前の権利だ」とでも言うかのように、叫んだ。
「今すぐ、その女を! 『古書』と共に、王都へ戻してこい!」
「これは、『アルビオン王国』の、次期国王たる、」
「『王太子』の、命令だッ!!」
「命令」。
その言葉を、エリアナは、セオドアの背後で、聞いていた。
(……ああ)
(この人は、やはり、何も、変わっていない)反省も、後悔も、すべては自分の命が助かるための「手段」でしかない。
彼にとって、自分は、今も、昔も、国を救うための「責務」を果たすべき、「道具」でしかなかったのだ。
エリアナの心から、先ほどまでの「動揺」が、氷のように冷ややかに、消えていった。
「…………命令、だと?」
セオドアの声が、地を這うように低くなった。彼の金色の瞳が、通信機の水晶越しに、ジュリアンの愚かさの、その「底」を、射抜いた。
その瞳は、もはや「氷」ですらない。彼が守ると決めた「至宝」を、「道具」として「命令」した愚者に対する、触れるものすべてを、存在ごと凍てつかせる、「絶対零度」の、冷徹な「怒気」そのものだった。
お読みいただき、ありがとうございます!
面白い、続きが気になる、と思っていただけましたら、 ぜひブックマークや、↓の【★★★★★】を押して評価ポイントをいただけますと、 執筆の励みになります!
(※明日の更新も20:00です)




