第24話:王都視点 『崩壊の序曲』
ヴァイス国で、エリアナとセオドアが互いの「非合理的な」感情を確かめ合い、未来への「願い」を固めていた、まさにその時刻。
遠く離れた、旧・王都アルビオンは、ヴァイス国の穏やかな光とは対照的な、冷たくじっとりとした「闇」に包まれ始めていた。 その「予兆」は、王都で最も貧しく、最も顧みられない場所から始まった。
王都、貧民街。
ここは、穀倉地帯の半壊による食糧高騰の直撃を、真っ先に受けた場所だった。
さらに、「東の国境結界」の綻びから侵入した魔物たち――騎士団が討ち漏らしたゴブリンやオークの亜種――が、夜陰に乗じて真っ先に襲撃するのも、この貧民街だった。
飢えと、恐怖。
民衆の不満は、もはやリリアナの「歓喜の光」ではごまかし切れない、殺伐としたものになっていた。 だが、彼らがこれから直面する「絶望」は、そんな「目に見える厄災」とは、まるで次元が違っていた。
「……な、なんだ……この霧……?」
「井戸だ! 井戸から、黒い煙が……!」
貧民街の共同井戸。 その、わずかな水を求めて集まっていた人々(ひとびと)が、悲鳴を上げた。
井戸の深い底から、まるで墨を溶かしたような、冷たい「黒い霧」が、ゆらり、ゆらりと、溢れ出してきたのだ。 それは、地を這うように広がり、貧民街の埃っぽい路地を、瞬く間に埋め尽くしていく。
「ゲホッ……! ゴホッ、ゴホッ……!」
「な、なんだ……息が……」
「の、喉が……焼ける……!」
黒い霧――瘴気――を吸い込んだ人々(ひとびと)が、次々(つぎつぎ)とその場にうずくまる。 乾いた、異常な咳。 高熱にうなされるように、全身が痙攣し始める。
それは、飢えでもなく、魔物による外傷でもない。 大地の内側から、生命そのものを腐らせる、純粋な「汚染」だった。
魔物の被害に加え、この謎の「病」の発生。 貧民街は、完全なパニックに陥った。 逃げ出そうとする者。
井戸を塞ごうとして、より濃密な瘴気に飲まれる者。 王都の「綻び」は、もはや取り繕うこともできない「崩壊の序曲」として、 ―――ついに、始まったのだ。
◇◇◇
「な、何だと!? 貧民街で、謎の『黒い霧』だと!?」
王宮の玉座の間。
ジュリアン・レイ・アルビオンは、宰相からの緊急報告に、ヒステリックな金切声を上げた。
「魔物の次は、病だと!? ふざけるな! 騎士団は何をしている!」
「そ、それが……騎士団も、あの霧に触れると、鎧の上からでも体調を崩し、咳が止まらぬと……! もはや、近寄れません!」
「使えん奴らだ!」
ジュリアンは、玉座の肘を力任せに叩いた。 飢饉。魔物。そして、疫病。 まるで、国を滅ぼすためのお手本のような厄災が、エリアナを追放してから、わずか数ヶ月の月日で、一気に押し寄せてきた。
(なぜだ……なぜ、私が王太子になった、この輝かしい時代に、こんな、不吉なことばかり……!)
「そうだ……」
ジュリアンは、まるで天啓でも得たかのように、玉座の隣で、瘴気の報告に青ざめて震えている、少女の腕を掴んだ。
「そうだ、リリアナ! お前がいる!」
「ひゃっ……!?」
「リリアナ! 今こそ、お前の『本物』の力を見せる時だ!」
ジュリアンは、リリアナを無理やり立たせると、玉座の間から、民衆の不安な声が聞こえてくるバルコニーへと、彼女を引きずって行った。
「あの『黒い霧』を、浄化しろ! 病に苦しむ民を、癒やせ! お前は、エリアナのような『偽物』ではなく、『本物』の聖女だろうが!」
「あ、あ、あの、ジュリアン様……! わ、わたくしの力は、そういう、病とか、霧とかを……」
「いいからやれっ!!」
怒鳴りつけられ、リリアナは、泣きながらバルコニーの先端に立たされた。 眼下には、王宮の前に集まった、不安げな民衆の顔、顔、顔。
貧民街の方角からは、たしかに、あの不吉な「黒い霧」が、王宮地区に向かって、ゆっくりと、しかし確実に、迫ってきているのが見えた。
「い、いやぁぁ……!」
リリアナは、半ばパニックになりながら、自らの「能力」を、最大出力で解放した。
「【歓喜の光】(チャーム・ライト)ッッ!!」
まばゆい、黄金の光。 王都の民を熱狂させ、ジュリアンの心を掴んだ、「奇跡」の輝き。
その光は、王宮から王都全体を照らし出すかのように、強く、強く、放たれた。
集まっていた民衆も、その光に当てられ、一瞬、うっとりとした表情を浮かべる。
だが。
その光は、迫り来る「黒い霧」に届くと、 ―――ただ、通り抜けただけだった。
黄金の光の中で、「瘴気」は、何の影響も受けることなく、 むしろ、光を嘲笑うかのように、 より一層、その黒さを増して、ゆらめいている。
「幻惑」の光は、「物理的」な汚染である瘴気に対して、 まったく、 何の、 効果も、なかった。
「……うそ……」
リリアナの顔から、血の気が引く。 そして、その光景を、民衆も見ていた。
「…………」
「…………おい」
「…………消えてないぞ」
「光が……あの黒い霧を、素通りしてる……」
「ていうか、貧民街のほう、まだ咳の声が聞こえるぞ!?」
集まっていた民衆の、「幻惑」による陶酔は、 「飢え」という現実と、「病」という現実の前に、 完全に、効力を失った。
彼らが、リリアナに向ける目は、もはや「崇拝」ではない。 「疑惑」と、「怒り」だった。
「あの聖女様は……いったい、何なんだ?」
「光ってるだけじゃないか!」
「そうだ! 魔物も興奮させるだけだったし、今度は霧にも効かない!」
「腹も膨れねえ! 病も治せねえ!」
「あの人は……ただ、歌って踊る(幻を見せる)だけか!?」
「ひっ……!」
民衆から放たれる、剥き出しの敵意。
リリアナは、その場にへたり込み、泣き崩れた。
「ちがう、わたくしは、わたくしは……!」
「な……なぜだ……」
ジュリアンもまた、バルコニーの上で、愕然としていた。 信じていた「本物」の奇跡が、 またしても、 現実の「厄災」の前に、 何の役にも、立たなかった。
◇◇◇
「もう……お終いです……」
玉座の間。
リリアナが泣き喚きながら引き下がってきても、ジュリアンは、虚ろな目で、ただ玉座に座り込むだけだった。
そこへ、あの老いた宰相が、 死人のような顔で、 震える足で、 ジュリアンの前へと、這うように進み出た。
「……殿下」
「……うるさい、今、考えている……」
「殿下ッ!!」
宰相が、絞り出すような、 しかし、玉座の間すべてに響き渡る、 悲痛な声を上げた。
「……もはや、リリアナ様では、無理ですッ……!」
「なっ……!」
「あれは……あの『黒い霧』は、ただの病ではございません!」
宰相は、王宮の古い記録を管理する立場として、 そして、かつて「匿名の報告書」のあまりの正確さに、舌を巻いた一人として、 ついに、 その「真実」を、 口にしてしまった。
「あれこそが……あれこそがッ……!」
「かつて、『番人』が……エリアナ・ノエル様が!」
「命を懸けて、警告しておられた……!」
「『地下封印』の、 ―――『崩壊』に、 他なりませんぞッ!!」
「―――――」
時が、止まった。 ジュリアンの思考が、完全に、停止する。
エリアナ。 封印。 崩壊。 嫉み。 呪い。 偽物。 追放。
(あ……)
(あ……)
「だ、黙れぇぇぇぇぇぇぇッッ!!」
ジュリアンは、耳を塞ぎ、 玉座から転げ落ちるようにして、 現実を突きつけた宰相を、蹴り飛ばした。
「黙れ! 黙れ! 黙れッ!」
「あんな女の、あんな『偽物』の『妄想』が……!」
「現実になるわけがない!」
「私は、間違ってない……! 私は、『本物』を、選んだんだ……!」
そう叫ぶ、ジュリアンの顔は、 自らの「正当性」を信じる、 輝かしい王太子のものですらなく、 ただ、 迫り来る「破滅」の足音に怯える、 哀れな子供のように、 恐怖で、 蒼白になっていた。
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(※明日の更新も20:00です)




