第23話:『王太子妃』への戸惑いと『決意』
ヴァイス国、王宮評議会、円卓の間。
国王や大臣たちが退席し、先ほどまでの喧噪が嘘のように静まり返った室内。
セオドア・アークライト・ヴァイスの「異論は認めない」という公の婚約宣言は、あまりにも衝撃的すぎて、エリアナ・ノエルは、まだ、その場から一歩も動けずにいた。
「…………」
(わ、たしが……王太子妃……?)
(セオドア様の……?)
頭が真っ白になる。
王都で、ジュリアン殿下の婚約者であった時、「王太子妃」という言葉は、彼女にとって「責務」であり、「呪い」であり、「地味な女」である自分には不相応だと嘲笑されるための「枷」でしかなかった。
だが、今。 セオドアが放ったその言葉は、王都の「聖約」とは、まるで重さが違った。
あれは「合理的」な氷の王子が、王都からの抗議を完璧に論破するために放った、最大の「政治的ブラフ」だったのではないか。
「……セオドア様」
エリアナは、ようやく絞り出すような声で、隣に立つ男を見上げた。
彼は、評議会が終わったというのに、まだ彼女の手を握ったまま、離そうとしなかった。
「あ、あの……先ほどの『王太子妃』というのは……」
「言葉通りの意味だが」
セオドアは、こともなげに答える。 その金色の瞳は、評議会での絶対零度の冷徹さから、いつもの「合理的」な魔導学者のものに戻っていた。
……いや、戻っている、ように見えた。
「で、ですが……!」
エリアナは、勇気を振り絞って、彼の手をそっと(しかし、強く)握り返した。
もう、王都にいた頃のように、一方的に侮辱され、怯えるだけの彼女ではない。 この「氷の王子」とは、対等な「契約」と「信頼」で結ばれているはずだ。
だからこそ、聞かなければならなかった。
「あれは、私という『至宝』を、ヴァイス国に……いいえ、セオドア様ご自身に、完全に縛り付けるための、最も『合理的』な、『政治的判断』だったの、ですか?」
それは、エリアナが持ちうる、最大の懸念だった。 王都では「聖約の責務」という「道具」として縛り付けられた。 ヴァイス国では「国家の至宝」という「道具」として縛り付けられる。
(……もし、そうだとしたら、私は……)
それは、あまりにも、悲しい。
◇◇◇
エリアナの、震える問い。
その問いの「本質」を、セオドア・アークライトという男は、瞬時に理解した。
(……『政治的判断』、か)
彼は、一瞬、黙った。 そして、いつもの彼なら、こう答えただろう。
『そうだ。君という最高機密の叡智を、他国(とくに王都)の干渉から守り、我が国に永続的な利益をもたらすための、最も合理的なリスクヘッジだ』と。
だが、彼は、そう言わなかった。
あの日、花畑で彼女の笑顔を見て「フリーズ」した、あの「非合理的なバグ」が、もはや彼の思考の「中枢」を占めていることを、彼自身が、もう、自覚せざるを得なかったからだ。
「……違う」
セオドアは、握っていたエリアナの手を、さらに強く握りしめた。 その声は、いつもの冷静な響き(ひびき)を、わずかに失っていた。
「……君という『叡智』を失う、というリスクヘッジ。その側面は、認める。現に、王都の愚かな抗議は、あれで完全に沈黙させられる」
「では、やはり……」
エリアナの表情が、わずかに曇る。
「だが」 セオドアは、言葉を続けた。 彼は、自らの「バグ」を、自らの「非合理」を、初めて「論理」ではなく、「感情」のまま、口にした。
「……それ以上に、だ」
「セオドア様……?」
「あの日。緑化された大地で、君が笑ったのを見た時」
セオドアは、あの時の「フリーズ」を思い出し、わずかに、こめかみを押さえた。
「……私の思考は、一時的に、機能不全に陥った」
「えっ!?」
「合理的に説明できない。だが、あの瞬間、私の思考は、国家の利益でも、魔導学の真理でもない、『何か』に、完全に上書きされた」
セオドアは、エリアナの(度の強い)眼鏡の奥にある、戸惑う瞳を、まっすぐに射貫いた。 彼の金色の瞳は、もはや「氷」ではなく、「熱」を宿していた。
「―――君を、誰にも渡したくない」
それは、ジュリアンがリリアナに向けた、表層的な「情欲」ではない。 セオドアという男が、生涯で初めて、自らの「合理性」の「外」に見つけた、「非合理的な感情」そのものだった。
「エリアナ」
「……これは、『政治的判断』ではない」 「―――私個人の、『願い』だ」
◇◇◇
「…………っ」
エリアナの、大きく見開かれた瞳から、熱い雫が、一筋、こぼれ落ちた。
(……『願い』……)
王都では、誰も、彼女に「願い」など、抱かなかった。
父も、母も、彼女を「聖約の番人」という「責務」の「道具」として扱った。
ジュリアンは、彼女を「聖約の枷」という「邪魔者」として扱った。
だが、今。 目の前の男は。 彼女の「叡智」を「至宝」と呼び、 彼女の「笑顔」に「機能不全」を起こし、 そして、 彼女という「個人」を、「誰にも渡したくない」と、「願って」くれている。
「……あ……」
「……う……」
涙が、止まらなかった。
王都で流した、悔し涙でも、悲し涙でもない。 この国に来て、初めて「価値」を認められ、 初めて「人」として扱われ、 そして、初めて「一人の女性」として「望まれて」いる。
その「幸福」が、堰を切ったように、溢れ出してきた。
「エリアナ……?」
セオドアが、彼女の涙に(合理的に)狼狽する。
「ま、待て。私の『非合理的な告白』が、君の『不快』という感情を誘発したか? だとしたら、即時、撤回を―――」
「ちがいますっ!」
エリアナは、涙と、そして、笑顔で、首を横に振った。 彼女は、セオドアに握られたままだった手を、自らの意思で、 ―――強く、強く、握り返した。
「……うれしい、です」
「……セオドア様の、『願い』に……」
「……私も、応えたい」
エリアナは、彼をまっすぐに見つめ、 王都の「枷」から、完全に解き放たれた、 最高の笑顔で、言った。
「―――はい。……喜んで……!」
二人が、互いの手を、固く、結び合わせた、 その、瞬間。
「賢者の塔」の、さらに奥深く。 「古代の呪い」から解き放たれ、ヴァイス国の「叡智」として調和した、巨大な「石碑」が、 まるで、二人の「新しい聖約」を祝福するかのように、 穏やかで、温かな、青い光を、 一瞬、放った。
―――そして、 それとは、対照的に。 遠く、遠く、離れた、 今や「旧」王都と呼ばれる、 あの、アルビオン王国の、地下深く。
「古書」が、かつて、エリアナに、 最大の「警告」を、 発し続けていた、 「第一封印」の、 その、中心部で。
パキリ。
と、 何かが、 決定的に、 砕ける、 小さな、小さな、 音がした。
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(※明日の更新も20:00です)




