第22話:王子の『変化』と『公の宣言』
ヴァイス国、賢者の塔。 あの日、緑化された花畑での「非合理的なフリーズ」以来、セオドア・アークライト・ヴァイスの完璧な論理回路には、観測史上、最大のバグが発生していた。
(……非合理的だ)
セオドアは、自らの執務室で、膨大な術式が書き込まれた羊皮紙を前に、ここ数日、何度目かも分からない内省を行っていた。
(あの日、エリアナ・ノエルが見せた「笑顔」。あの視覚情報に対し、私の思考が、一時的な機能不全を起こした)
(原因は? おそらく……『独占欲』。あるいは、それに類似した、極めて非合理的な感情の奔流)
彼は、自らの感情を「バグ」として冷静に分析しようと試みる。
だが、分析すればするほど、導き出される「答え」は、彼が「氷の王子」として築き上げてきた合理性の「外」にあった。
彼女の笑顔(インプ-"ット)は、彼の胸に、「国の損失」とは質の異なる、明確な「個人的な損失」への「恐怖」を発生させたのだ。
(……馬鹿げている。感情にリソースを割くなど、最も非効率だ)
セオドアは、一度、思考をリセットしようと試みる。 だが、ダメだった。 彼が合理的な思考に戻ろうとすればするほど、彼の「本能」が、別の「合理的な結論」を叩きつけてくる。
(―――思考を変更する)
セオドアの金色の瞳が、カチリ、と焦点を結んだ。
(個人の感情は、一旦、保留する)
(だが、『リスク』は、排除しなければならない)
(最大の『リスク』とは何か?―――あの『至宝』を、他国に奪われることだ)
(特に、あの愚かな王都アルビオンが、万が一にも、彼女の『真価』に気づき、返還を要求してくる可能性)
そうだ。 彼が今、最も優先すべきタスクは、それだ。
セオドアの思考は、いつもの冷徹な「合理性」を取り戻した。 彼が導き出した「結論」は、もはや「混乱」ではない。
自らの「非合理的な感情」さえも「合理的」に正当化し、目的を遂行するための、完璧な「解」だった。
「―――エリアナ・ノエルという『至宝』を、我が国に、いや、私に完全に『固定』する。それが、現時点で最も『合理的』な判断だ」
◇◇◇
その「合理的」な判断は、数日後、ヴァイス国王が主催する「王宮評議会」の場で、実行に移された。
「賢者の塔」の最上階にある、円卓の間。 ヴァイス国王(セオドアの父)と、国の重鎮である大臣たちが集う、最高意思決定機関。
その場には、「古代の呪い」を解き、「豊穣の聖女」として大地を蘇らせた「聖女エリアナ」も、当然のように、セオドアの隣に席を与えられていた。
彼女は、自分が王都で「偽りの番人」と呼ばれていたことが嘘のように、この国の重鎮たちから、尊敬と信頼の眼差しを向けられていた。
「うむ。エリアナ殿の『緑化計画』は、実に素晴らしい」
玉座に座る国王――セオドアの父であり、彼以上に厳格で知られる老王――が、満足げに頷く。
「呪いが解けただけでなく、あの『死の大地』が、数週間で穀倉地帯に変わるとはな。まさに『奇跡』だ」
「もったいないお言葉です。私は、『声』に従っただけで……」
エリアナが謙遜する。 その隣で、セオドアは「当然だ」とでもいうように、無表情で資料をめくっていた。
評議会は、ヴァイス国の輝かしい「未来」について、明るい議題で進んでいた。 ―――その、瞬間までは。
「緊急報告! 王都アルビオンより、正式な『抗議書』であります!」
一人の伝令兵が、血相を変えて、評議会の間に飛び込んできた。 その手には、アルビオン王家の「剣」の紋章が刻まれた、無礼な羊皮紙が握られていた。
「……アルビオンだと?」
国王が、不機嫌そうに眉をひそめる。 エリアナの体が、びくり、と小さく震えた。 「王都」という言葉が、彼女の心に、今だに暗い「枷」の記憶を呼び覚ます。
セオドアは、そんな彼女の様子を一瞥すると、何でもないことのように、伝令兵に告げた。
「読め。その『抗議書』とやらを、全員に聞こえるように」
伝令兵は、ゴクリと息を飲むと、震える声でその「抗議書」を読み上げた。
「は、はい! 『―――貴国が、我が国の『偽りの番人』エリアナ・ノエルを不当に匿い、共謀して、我が国に『呪い』をかけていることは、明白である!』」
「……何?」
エリアナが、信じられない、という顔で目を見開く。
「『貴国のエリアナが放った『魔物の呪い』により、我が国の騎士団は壊滅した! これは、明らかな『侵略行為』である!』」
「……」
評議会が、水を打ったように静まり返る。 それは「抗議」ですらなかった。 ジュリアンが逃げ込んだ、「妄想」と「責任転嫁」の、支離滅裂な「宣戦布告」だった。
「……馬鹿馬鹿しい」
一人の大臣が、こめかみを押さえる。
「ジュリアン王太子は、ついに、現実と妄想の区別もつかなくなったか」
「だが、無視はできん」
別の、法務を司る老齢の大臣が、難しい顔でエリアナを見た。
「……聖女エリアナ様。貴女の『叡智』が、我が国に『至宝』級の利益をもたらしたことは、事実。……しかし」
老大臣は、あえて、セオドアの「氷の視線」を浴びながら、懸念を口にした。
「貴女が、あのアルビオン王国の『元王太子妃候補』であったことも、また、事実」
「……」
「アルビオンが、これほど『貴女』に固執し、難癖をつけてくる以上、我が国としては、貴女の『立場』を、明確にしなければ……」
「―――その通りだ」
老大臣の言葉を遮ったのは、それまで沈黙していた、セオドア・アークライト・ヴァイス、その人だった。 彼の声は、氷のように冷たく、議場全体を支配した。
「アルビオンの愚行は、どうでもいい」
セオドアは、玉座の父王と、評議会の全員を見渡した。
「問題は、法務大臣が言う通り、エリアナの『立場』だ」
彼は、老大臣に向き直る。
「彼女は、王都アルビオンが『偽りの番人』と罵り、『聖約』ごと捨て去った『賢者』だ。……違うか?」
「そ、それは……左様ですが……」
「そして」
セオドアは、言葉を続ける。 その金色の瞳は、エリアナがこの国に来て以来、見たこともないほどの、強い「意志」の光を宿していた。
「―――彼女は、私が、このヴァイス国に『必要』だと判断し、『選んだ』女性だ」
「捨てた」国と、「選んだ」男。
その鮮烈な対比に、評議会は息を呑んだ。
◇◇◇
「……セオドア、様……?」
エリアナは、自分の心臓が、大きく鳴っているのを感じた。
(今、この人……『私が選んだ』と……?)
だが、セオドアの「宣言」は、まだ終わっていなかった。 彼は、王都からの「抗議書」を、まるでゴミでも払うかのように、テーブルの端に押しやった。
そして、玉座の父王に向かって、臣下としてではなく、一人の「王子」として、高らかに宣言した。 その声は、「私の『至宝』だ」と囁いた、あの時とは比べ物にならないほど、公のものだった。
「父上。及び、評議会の諸君」
「王都アルビオンの、これ以上の『干渉』と『リスク』を、最も『合理的』に、かつ『永続的』に排除する、唯一の『解』を、今、ここで提示する」
セオドアは、ゆっくりと立ち上がると、 呆然とするエリアナの隣に立ち、彼女の手を、その氷の手袋で、強く、優しく、握りしめた。
「―――賢者エリアナ・ノエルを」
「我がヴァイス国の、『王太子妃』として、正式に招聘する」
「……え」
エリアナの思考が、完全に停止した。 王太子妃? 王都で、あれほど「責務」であり、「枷」でしかなかった、あの「呪い」のような響き。
だが、セオドアが口にする「王太子妃」は、全く違う意味を持っていた。
セオドアは、エリアナの手を握ったまま、評議会の全員を、絶対零度の視線で射貫いた。
「―――異論は、認めない」
王都の「聖約」という名の「押し付け」ではない。
国の危機を救い、大地を蘇らせた「実力」と、 セオドア・アークライトという一人の男の、「非合理的な感情」が「合理的」に導き出した、公の「婚約宣言」。
(……わ、たし、を……?)
(……王太子、妃、に……?)
エリアナは、セオドアの真剣な横顔と、握られた自分の手を見つめながら、 喜びでも、驚きでも、戸惑いでもない、 人生で初めての「幸福」な情報奔流によって、完全に、真っ白になっていた。
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(※明日の更新も20:00です)




