第21話:王都視点 『綻び』と『責任転嫁』
ヴァイス国が、セオドアという「天才」の(非合理的な)「フリーズ」によって、ある意味で最も平和な瞬間を迎えていた、まさにその頃。
王都アルビオンは、「飢え」という内政の破綻に続き、「魔物」という外患によって、取り返しのつかない混乱の渦中にあった。
◇◇◇
「―――なぜだ! なぜ、こんな所に魔物が!」
「ひいっ! 村が……村が燃えている!」
「騎士団様は、まだ来ないのか!?」
王都アルビオン、東の国境地帯。 「結界のヒビ」は、もはや「ヒビ」と呼べるような生易しいものではなくなっていた。
魔力供給の計算ミス――いや、そもそも「計算」そのものを放棄した結果、結界は広範囲にわたって「綻び」、そこから中級魔物の群れが、雪崩を打って王都近郊の村々を襲い始めたのだ。
「遅い! 騎士団の到着が、あまりにも遅すぎる!」
「敵は東だと言っていただろう! なぜ西の森に向かったんだ!」
王宮騎士団は、確かに「精鋭」だった。 だが、彼らの「強さ」は、ここ数年、ある「匿名の報告書」によって、意図せず底上げされていたものだった。
『―――東部結界、座標3-5に魔力低下の兆候。三日後、同地点よりオークの侵入を予測』
『―――オークの行動パターン予測。西の森ではなく、南の水源地へ直行する可能性、大』
数ヶ月前まで、彼らの手元には、そんな「不気味なほど正確な」予測レポートが、匿名の司書官室から届けられていた。
彼らは、それを「分析班が優秀だ」程度にしか思っていなかったが、その「叡智」を失った今、騎士団は、ただ右往左往するだけの「烏合の衆」に成り下がっていた。
「くそっ! なぜ、どいつもこいつも、こちらの裏をかく!」
騎士団長は、後手後手に回る戦況に、苛立ちを隠せない。 彼らが西の森に本隊を向かわせれば、魔物は南の村を襲う。
彼らが南の村に到着する頃には、魔物はとっくに略奪を終え、次の村へと移動している。
かつての「番人」が匿名で支えていた、国の「危機管理システム」という背骨。 それを自ら叩き折った王都アルビオンは、今や、無様に大地を這いずり回ることしかできなかった。
◇◇◇
「―――どうなっている! 一体、どうなっているのだ!」
王宮の玉座の間。 ジュリアン・レイ・アルビオン王太子は、玉座の手すりを爪が割れんばかりに掴み、絶叫していた。
その顔は、「飢え」の報告を聞いた時の「楽観」や「焦り」ではない。 自らの足元が崩れ落ちていく、本物の「恐怖」と「パニック」に染まっていた。
「オークごときに、我が国の精鋭騎士団が、なぜ後れを取る!」
「は、はあっ……! そ、それが……魔物の動きが、予測不能でして……!」
「言い訳だ!」
ジュリアンは、報告に来た伝令兵を、怒鳴りつけた。
「役立たずめ! 王都の民が、魔物に怯えているのだぞ!」
「……ジュリアン様……」
そのジュリアンの背後から、彼の権力の象徴である、可憐な少女が、不安げにローブの裾を握りしめていた。
聖女、リリアナ。
彼女の「歓喜の光」は、民衆の「飢え」という本能的な恐怖の前では、無力だった。 「光よりパンをよこせ」という罵声を浴びせられ、彼女の顔からは、ここ数日、計算された「愛らしさ」が消え、憔悴の色が浮かんでいた。
だが、ジュリアンは、その「本物の聖女」の姿に、まるで最後の藁にもすがるかのように、振り返った。 そうだ、自分には、この「奇跡」がある。
「リリアナ!」
「は、はいっ!」
「今こそ、お前の『本物』の力を見せる時だ!」
ジュリアンは、パニックに陥った思考で、最悪の「命令」を下す。
「お前の『光』で、あの魔物どもを、何とかしろ!」
「え……?」
リリアナの顔が、引きつった。
「あ、あの……ジュリアン様……わたくしの光は、その……魔物を、倒すような、ものでは……」
「うるさい!」
ジュリアンの怒声が、玉座の間に響き渡る。
「お前は『聖女』だろうが! 民の不安を取り除き、国に『歓喜』をもたらすのが、お前の役目だ! 『飢え』がダメなら、『魔物』にやれ! 早くしろ!」
「ひっ……!」
追い詰められたリリアナは、もう「演技」をすることさえ、忘れていた。 ジュリアンという「権力」を失うことへの恐怖。 彼女は、半泣きになりながら、玉座の間のバルコニーへと駆け寄った。
眼下には、王都の広場。 その遠く、東の空が、村の炎で、不吉な「赤色」に染まっている。
「いや……いや……!」
(こんなはずじゃ……王太子妃になって、楽に暮らせるはずだったのに……!)
「リリアナ! 何をしている! やれ!」
ジュリアンの絶叫が、彼女の背中を押す。
「―――あああああああっっ!!」
リリアナは、自暴自棄になった。 彼女は、自らが持つ「幻惑」の魔力を、その最大出力で、東の空――魔物が暴れている「戦場」へと、放った。
「おあがりなさいっ! 『歓喜の光』!!」
王都の空を、真昼の太陽よりもまばゆい、巨大な「黄金の光」が貫き、戦場へと降り注いだ。
◇◇◇
「―――グォオオオオオオオオッッ!!??」
その「結果」は、数分後、王宮にいるジュリアンの元へ、絶望的な「悲鳴」となって届いた。 騎士団長からの、魔力通信だった。
『で、殿下! お、おやめください! リリアナ様の光を、おやめください!!』 「な、何だと!? 聖女の奇跡が、効かんとでも言うのか!」
『効くも何も……!!』
騎士団長の声が、恐怖に裏返る。
『魔物が……オークどもが……光を浴びて、興奮しています!』
「……は?」
『目が、目が真っ赤です! 傷の痛みも忘れて、凶暴化しています! ぎゃあああ! こ、こっちへ来るなァ!!』
ブツリ、と。魔力通信は、そこで途絶えた。
リリアナの【歓喜の光】。 それは、人の感情を高揚させ、痛みを麻痺させる「幻惑魔法」。
その「まやかしの光」を、知性の低い、凶暴な魔物に、最大出力で浴びせれば、どうなるか。 結果は、単純だった。 痛みを知らぬ、興奮状態の「狂戦士」の群れを、王都の近郊に、人為的に生み出してしまったのだ。
「……あ」
リリアナが、バルコニーで、ガクガクと膝から崩れ落ちる。
「……そんな……」
ジュリアンの顔から、血の気が引いていく。
「幻惑」が、通じない。 「飢え」にも、「魔物」にも。 自らが「本物」と信じ、国を追放した「叡智」の代わりに据えた「奇跡」が、何の役にも立たない、「まやかし」だったと。 その「現実」が、ついに、ジュリアンの目の前に突きつけられた。
「……あ……ああ……」
ジュリアンは、玉座に、力なく座り込んだ。 騎士団は、壊滅するだろう。 魔物は、やがて、この王都の城壁まで押し寄せる。 食糧は、ない。 結界は、ない。 民衆の「歓喜」も、もう、ない。
「…………もし……」
ジュリアンの唇から、無意識に、本音がこぼれ落ちた。 彼が、この世で、最も聞かれたくなかったはずの「弱音」。
「…………もし……エリアナが……いれば…………」
あの女がいた頃は、こんなことはなかった。 「地盤沈下の兆候」「魔物の行動予測」。 あの不吉で、地味で、暗い報告書は、いつだって「正しかった」。 あいつさえいれば、こんなことには……
「―――いや、違うッ!!」
だが、次の瞬間。 ジュリアンは、自らの「弱音」を、打ち消すかのように、玉座から立ち上がった! 彼は、崩れ落ちるリリアナを、ゴミでも見るかのような目で見下ろし、そして、玉座の間にいる、数少ない臣下たちに向かって、高らかに「宣言」した。
その顔は、もはや「現実逃避」ですらない。 自らの過ちが生んだ「現実」を、すべて「塗り替える」ための、狂気に満ちた「妄想」だった。
「そうだ……! そうに違いない!」
ジュリアンは、雷に打たれたかのように、一つの「答え」にたどり着いていた。
「これは全て、『呪い』だ!」
「王都の食糧が消え、結界が破れ、魔物が暴走する……。こんな都合の良いことが、続くわけがない!」
彼は、震える指先で、一つの「国」の方角を指差した。
「―――これは全て、国を捨てた、あの『偽りの番人』! エリアナ・ノエルの呪いだ!」
「は……」
「あいつが! あいつが、我が国への復讐のために、あの『氷の国』と組んで、我が国を攻撃しているに違いない!」
食糧難も、魔物の凶暴化も、全ては「エリアナの陰謀」だと。 自らの「愚かな選択」を、認めることができない王太子は、ついに、最も「楽」で、最も「見苦しい」、最悪の「責任転嫁」へと、逃げ込んだのだった。
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(※明日の更新も20:00です)




