第20話:芽吹く大地と、芽生える『感情』
セオドアは、実験区画に芽吹いた奇跡の若葉と、それを生み出した「代償」として青白い顔をしているエリアナを見比べ、深い葛藤に陥っていた。
国益のために彼女の「叡智」を使いたいという「合理的」な思考。 彼女の「生命」を削らせたくないという「非合理的」な感情。 二律背反。
この矛盾こそが、セオドア・アークライト・ヴァイスという男が、初めて自覚した「人間らしさ」だった。
「……リタ」
セオドアは、部下の手前、かろうじて「氷の王子」の仮面を取り繕うと、助手に命じた。
「実験は『成功』だ。だが、術式の『効率』に、致命的な欠陥が発見された」
「け、欠陥、ですか?」
リタは、奇跡の若葉を見て興奮していたが、セオドアの氷のような声に背筋を伸ばす。
「そうだ」
セオドアは、エリアナの肩を支え、強引に馬車へと促しながら、言い放った。
「術者の『生命力』という、最も『非合理的』なコストを支払っている。これでは『持続可能性』がない。……プロジェクトは一時凍結。賢者の塔に戻り、術式そのものを、根本から見直す」
「えっ、で、でも、セオ...!」
「異論は認めん」
エリアナの抗議を、セオドアは一言で封じ込めた。
「君の『自己犠牲』を前提とした術式など、我が国の『叡智』として、採用できるわけがないだろう」
その声は、相変わらず冷たく、合理的だったが。 その「怒気」の奥に、エリアナの身を案じる、不器用なまでの「熱」がこもっていることに、エリアナ自身も、そしてセオドア自身も、まだ気づいていなかった。
◇◇◇
「賢者の塔」に連れ戻されたエリアナは、セオドアによって、半ば「軟禁」状態に置かれた。
「君は、その『責務』という名の『呪い』が解けるまで、執務室で安静にしていろ」 という、合理的なんだか非合理的なんだか分からない命令と共に、彼女は古代地術の詠唱を「禁止」されたのだ。
その間、セオドアは、自らの私的研究室に閉じこもった。 彼の目の前には、エリアナが持ち帰った「緑化された土」と、彼女の「詠唱」を記録した魔道具、そして「生命力を魔力に変換する」という、彼が最も嫌悪する古代の術式が並べられていた。
「……非効率、極まりない」
セオドアは、指先で土を弄びながら、ブツブツと呟いていた。
「術者の生命力に依存するなど、愚の骨頂。これでは王都のジュリアンと何も変わらん。……そうだ、あの愚王は『搾取』した。私は『最適化』する」
彼の天才的な頭脳が、猛烈な勢いで回転を始める。
(エリアナの『詠唱』は、必須だ。これは『神の領域』の鍵だ)
(だが、彼女の『生命力』は、絶対に『不要』だ)
(ならば……)
セオドアの金色の瞳が、ギラリと輝いた。
(彼女の詠唱はそのままに、彼女の生命力だけを『バイパス』し、外部の魔力で『肩代わり』する、新しい『術式』を組めばいい……!)
それは、神代の「古代地術」と、セオドアの「現代魔導学」の、完全なる融合。
「氷の王子」の仮面が、この世で最も美しい「解」を見つけた「天才魔導学者」の、歓喜の表情に変わる。
「……リタ! 賢者の塔の全リソースを、私の研究室に回せ! 徹夜だ!」
◇◇◇
それから、三週間後。
ヴァイス国の北の不毛地帯は、信じられない「奇跡」に包まれていた。
「……すごい」
エリアナは、セオドアの魔導馬車から降り立ち、目の前に広がる光景に、今度こそ、心からの感嘆の声を上げた。
灰色の「死の大地」は、消えていた。 地平線の彼方まで、見渡す限り、みずみずしい「緑」の絨毯が広がっていたのだ。
「セオドア様……これが……!」
「ああ」
セオドアは、エリアナの隣に立ち、満足げに腕を組んでいた。
(目の下には、三週間分の研究の『成果』である、濃いクマが浮かんでいたが)
「君の『古代詠唱』を『核』として、君の生命力を完全に『遮断』し、地脈に流す魔力を『私が最適化する』術式だ」
セオドアが考案した、ハイブリッド術式。 それは、エリアナの「声(叡智)」の負担をゼロにし、セオドアの「規格外の魔力」を、効率よく大地に還元する、まさに完璧な「共同作業」だった。
数週間前、灰色の土だった場所は、今や、大陸でも有数の、豊かな魔力を秘めた「黄金の穀倉地帯」へと生まれ変わっていた。 この奇跡を、ヴァイス国の国民は、熱狂的に歓迎した。
彼らは、王都からやってきた地味な司書官を、もはや「賢者」とは呼ばなかった。
「―――『豊穣の聖女』様、万歳!!」
「我らが国に、緑と食糧をもたらしてくださった!」
「古代の呪いを解き、大地まで蘇らせるなど……本物の、聖女様だ!」
王都のジュリアンが求めた、リリアナの「幻惑の光」ではない。
本物の「土」と「小麦」と「未来」をもたらしたエリアナを、国民は、心の底から「本物の聖女」として崇め、称えた。
◇◇◇
「……はぁ」
だが、その「豊穣の聖女」様は、自らに与えられた「賢者の塔」の最上階で、ここ数日、ため息ばかりついていた。
緑化計画は、セオドアが考案した新術式のおかげで、もはやエリアナが直接詠唱を使うまでもなく、王宮魔導師団によって自動化・量産化のフェーズに入っている。
(王都では考えられなかった、効率的な『引き継ぎ』だわ……)
エリアナは、司書官として、その完璧な「マニュアル」を作成し、研究者たちに引き継いだ。 そして、今。 彼女は、燃え尽きていた。
「……やることが、ない」
王都にいた頃は、朝から晩まで、地下書庫にこもり、『古書』の「警告」に耳を傾け、匿名の報告書を書き、国を支える「責務」に追われていた。
だが、ヴァイス国では、どうだ。 「古代の呪い」は、解いた。 「緑化計画」は、軌道に乗った。 『叡智のネットワーク』は、完全に安定し、もはや「緊急の警告」など、発してはこない。
(なんて、平和な国なの……)
エリアナは、王都では「責務」を果たすために、常に「何か」をしていなければならなかった。 何もしない時間=「怠慢」だと、ジュリアンに罵られる、恐怖の時間だったからだ。
「……いけない。私も、次の研究を……」
エリアナが、無意識の「自己犠牲」の癖で、机の上の「古代地術・第二階層」の資料に手を伸ばした、その時だった。
「―――許可できん」
背後から、氷のように冷たい声が響いた。
「ひゃっ!?」
いつの間にか、セオドアが、音もなく執務室に入ってきていた。
「セ、セオドア様!? い、いつの間に……」
「君が、その資料に手を伸ばした瞬間からだ」
セオドアは、エリアナが手にしていた資料を、無言で取り上げた。
「……問う、エリアナ」
セオドアは、目の下のクマがようやく取れた、完璧な「氷の王子」の無表情で、エリアナを見下ろした。
「君の、ここ数日の『労働効率』は、著しく『低下』している。何か、『問題』でもあるのか?」
「えっ!? い、いえ、その……」
(労働効率って……私、もう、やること、全部……)
「ふむ」
セオドアは、戸惑うエリアナを、金色の瞳でじっと見つめ、何かを「分析」しているようだったが、やがて、一つの「合理的」な結論に達したようだった。
「……そうか。分かった」
「え?」
「君の『過労』だ」
「…………はい???」
エリアナは、ここ数週間、寝食と読書以外、何もしていない。 「呪いの調和、緑化計画の立案、そして新術式の構築。君の『脳』は、我が国の魔導師団の百年分に相当する『労働』を行った」 セオドアは、真顔で、そう断言した。
「合理的に考えて、君の『脳』は、今、休息を必要としている」
「い、いえ、私は、そんな……」
「これは『命令』だ」
セオドアは、エリアナの反論を許さず、彼女の細い腕を、有無を言わさず掴んだ。
「君の過労は、我が国の『損失』に直結する。よって、これより君に、半日間の『強制休暇』を命ずる」
「きょ、強制休暇!?」
「そうだ。……『私と』、な」
セオドアは、そう言うと、真っ赤になって固まるエリアナを引きずるように、賢者の塔から連れ出した。
◇◇◇
セオドアが「合理的」な休暇先としてエリアナを連れ出したのは、皮肉にも、二人が「緑化」した、北の大地だった。
だが、そこは、もはや「穀倉地帯」ではなかった。
「……わぁ……」
エリアナは、息を呑んだ。 見渡す限り、色とりどりの「花畑」が広がっていたのだ。 セオドアが地脈に流し込んだ、膨大な魔力。 エリアナが詠唱した、生命の「旋律」。 その二つが、小麦だけでなく、この大地に眠っていた、ありとあらゆる「花の種」をも、一斉に目覚めさせたのだ。
「……リタの報告によれば、この花々から、新しい『蜂蜜』や『香油』が作れるらしい。緑化計画の『副産物』としては、上々の『投資対価』だ」
セオドアは、花畑の真ん中に敷かれたピクニックシートの上で、相変わらず「合理的」な解説をしていた。 だが、その彼の手には、彼自身が入れたらしい(そして、なぜか湯加減が完璧な)紅茶のカップが握られていた。
「……ありがとうございます」
エリアナは、紅茶のカップを受け取り、花々の香りが混じった空気を、深く、深く吸い込んだ。
(……穏やか)
王都では、ありえなかった。 「責務」にも、「警告」にも、「誰かの視線」にも追われることのない、こんなにも穏やかな、何もしない時間。
「……ふふっ」
エリアナの口から、自分でも驚くような、小さな、明るい笑い声がこぼれた。 王都の地下書庫で、埃にまみれて「番人」をしていた時には、決して出なかった「音」。
「……なんだ」
セオドアが、その「音」に、怪訝な顔で反応した。
「何か、非合理的なことでも?」
「いえ」
エリアナは、ずれた眼鏡を押し上げ、花々に照らされた、心の底からの「笑顔」を、目の前の「氷の王子」に向けた。
「こんなに穏やかなのは、初めてで。……とても、嬉しいです、セオドア様」
「―――――ッ」
その瞬間。
セオドア・アークライト・ヴァイスの、完璧に構築されていた「合理的」な思考(世界)が、音を立てて「崩壊」した。
(……なんだ、今のは)
(『笑顔』。エリアナという『個体』が、表情筋を『弛緩』させた、『現象』だ)
(……なぜ、だ)
(なぜ、その『現象』を前にして、私の心拍数が上昇する?)
(この感情は、非合理的だ)
(研究対象の『至宝』が、ただ笑っただけだ。国益には、一ミリも、関係がない)
(だというのに、なぜ、その『笑顔』を)
(―――誰にも見せたくない、と、思う……?)
セオドアの金色の瞳が、エリアナの「笑顔」を捉えたまま、カチリ、と凍りついた。
それは、彼の天才的な頭脳が、彼の生涯で、初めて「理解不能」な「非合理的な感情」
―――すなわち、「独占欲」という名の「恋」――に遭遇し、完全に「フリーズ」した瞬間だった。
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(※明日の更新も20:00です)




